起業家

2008年6月20日 (金)

人生の転機 世に何を遺すか!

私の人生に大きな影響を与え、今でも忘れない書物がある。”ライフワークの見つけ方”というはハウツーものの本で、著者はジャパンマネージメントアドバイスという会社の社長の井上富雄氏である。もう80歳以上だろう。

1978年ころこの本を読み、漠然とではあったが同じような工夫をしてきた私に、明確な目標と変化を与えた。

この本に出会う前から、いろいろ工夫をするのは大好きだった。高卒入社、実験助手の私に出世の望みなど無い、入社当時は、毎日仕事が終わると仲間と遊び、スポーツに明け暮れていたが、お前は結果などみなくてよい、という上司の目を盗み、自分なりに工夫をして結果は楽しんでいたが、

それでも、あのままだったら、問題になっている秋葉原の事件の若者とおなじような挫折感をづット持ち続けたかも知れない。

なにくそと勉強し、社内制度の国内留学派遣で、都立大の工学部を出たからといって保守的な制度や状況は変わらない。職場もフィルム開発の王道チームではなくその付属の現像処理という脇役だった。

そんな中でも、幸い子どものときのガキ大将根性から、入社以来反骨精神だけは旺盛で、どんな境遇でも自分が満足できる人生、自分が納得出来る人生を自分で設計しよう。会社が、社会が、上司が、職場がどうのというのはなんとつまらない人生か?遊びも仕事も自分で設計してみよう、思い切った人生を描いてみようと決意していた。

それでも限界があり、遊びが中心だったかも知れない

スポーツでも、野球をやれば、どこならレギュラーになれるか?皆が嫌がるキャッチャーをやり、座ったままランナーをセカンドで刺す方法を定時後暗くなるまで一人訓練し、暗くなればまた職場に戻って仕事、肩が強くなったらピッチャーに、地元の野球でも1部から4部のDまである中で、1部(Aクラス)のエースを何年か維持していた、

スキーをやれば1級をとるまで徹底して工夫を続け、何回か試験には落ちたが最後はものにした、当時のSAJ1級試験はジャンプやパスカング「平地滑走」、不整地滑降など10種目以上もあり結構難しかったが工夫次第で不可能は無いという実感をもったものである。

しかしこの本に出会って、仕事も生活も一変した。サラリーマン生活で世に何を遺すか?というものだった。

井上富雄に習って、人生25年計画をたて、5年後に必要となるスキルを計画的に習得しはじめた。会社にあっても上司に仕えるのではなく、仕事に仕えようと決め、写真の歴史に名を残すような大仕事を3回やろうと夢を描き、社会に貢献したいという大きな願いをたて、具体的な目標と達成計画を立てた。

その後は、この研究室に俺が陽をあてる、輝かせると決め込み、みんなで写真化学の原書の早朝輪講会を就業時間前に行い、開発テーマをHowではなくWhatにしていった。常に誰もやったことが無く、お客様がこんなものがあったらなーというような夢の商品開発を求めたから、回りからは冒険好きでチャレンジャ-的な社内起業家のように写ったことだろう。

井上富雄は大学卒業後日本IBMに入社早々、体を壊し長期に入院仲間からハンデを背負ってのサラリーマンでありながら、この人生長期計画で40歳で常務となり、43歳で日本IBMの常務の椅子をすて、コンサルタントとして独立し、ドラッカーをめざした男だ。

彼にはとても及ばないが、それでも、小さな処理グループが研究室に昇格し、システム研究に拡大、開発センターとなり、デジタル研究にまで発展していくことが出来た。みんな、信じあいながら、仲間として家族のようなチームつくりをしながら、絆のある組織と周りからもみられていたのが何よりであったとおもう。

個人的にもこの仲間達の仕事のお蔭様で紫綬褒章まで戴くことになり、人生計画の設計はそれほど間違いではなく、改めて井上富雄さんの本とお世話になった方々に感謝申し上げたい。

参考までに、スキルなどについても目標を立て、計画的に進めた。

ひらめきが必要なら、徹底的に知識が無ければひらめかない。あらゆる分野の知識を徹底的に学び、その上で発想法、創造的な手法を取り入れた。

創造スキルにしても、東洋的な発想法の祖である川喜田二郎博士のKJ法を徹底的に勉強し、使いこなし、自分のものとしていったし、NM法の中山正和博士の工学禅など読み漁って、知識の信号系のしくみや、創造的な発想ひらめきはどういう構造からくるかなどの研究にも没頭した。

また商品開発における顧客ニーズの調査法や、一見不可能と思われる開発テーマを、いかに実現するかの開発手法や組織運営法なども工夫し内外で積極的に発表した。

英会話も重要なスキルと認識し、ゼロからどう話せるようになるか、計画した。百年も前のドイツの実験心理学者エビングハウスの言を引用し井上富雄が言うとおり、記憶は20分で急速に忘れる、反復するなら10分以内、明日では遅い。。を信じ、

テープで英会話を繰り返せるよう、短文を何回も繰り返し録音してテープを自作したり、部下の女性と毎朝会社のある駅で落ち合い、皆が通る道を避けて、その日のラジオ英会話のダイアログを覚えてきて、日本語一切禁止で2人でロールプレイしながら20分歩いて3年も続けた。

誰もが、人目を避けて狭い道を毎日迂回して会社にくる2人を見たら不倫と思ったことだろう。当然覚悟の上で女房の許可もとってあった。これが無かったら、全く英語など聞き取ることも話すことも出来なかっただろうし、海外の企業と共同開発などできなかっただろう。それでも、実際彼らからみれば赤子が片言でしゃべっているようなものだから、現地に暮らさずに、会話は難しいことだ。

そんなわけで、目標を達成するためには、あらゆる仕組みを変える、出来ない理由は一切排除した。たとえ不倫と言われても。

この本が無ければ今は無いだろう、時々そうおもう。おそらく神様が私にくれたプレゼントだった。人間どこかで、そんなきっかけが、必要なのだろう。

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