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2009年7月 9日 (木)

腕白小僧 の お参り

小さいとき、6人兄弟の一番下で、いたずらっ子で手がつけられないような村一番の腕白小僧だった。

両親は何とかおとなしく、育てようと、よく山里の町の津久井教会に私の手を引っぱってバスに乗せ、連れて行った。

教会の外で遊ばせてくれず、神前にづっと座らせられ、お取り次ぎとお説教を聞かされた。

神様なんかどこにいるんだよ、と子供ながらに親父に反抗するのだが、

親父は口癖のように、信仰は自分の心の修養だ、天地に感謝、人に感謝しろと説いた。

おまえにも見えないだろうが立派な心があろうが、

心が見えるか?

確かにあるはずの心だが、どこのあるかは見えないんだよ、

それが神様だと、

体は骨や肉や血でできているが、心がそれを動かしている。

心はもっとも大事なものなんだ。

お前の心と同じく、この宇宙にも、地球にも、天地の心があるんだよ、

見えないが、確かにあるのが、天地の心、神様だ、

よく見てみろ、

何で朝、陽が出て、夜沈み、雨が降って、川が流れ、植物が酸素を出して、すべてが アンバイよく生きられるか?

天地の心が一生懸命働いてくているからだ。

おまえもいたずらばかり考えてないで、少しはそういうものに感謝し、心をただせ。。。何が悲しくて、そんなに夢中になって毎日いたずらばかりするんだと、しかられた。

それでも、毎晩、夕方になると、家の前には苦情の列、

近所の子供のお母さんが何人か毎晩苦情を言いにきていた。本人はいじめたわけではないとおもっていたが、相手にとってはいじめられたのであろう毎日苦情がきた。

教会でも、なんともならんときは、近所の旧家、河津(後の相模原市長)ノおばあちゃんに、お灸をすえられに連れて行かれたものだ。今なら一見虐待ととられようが、けして虐待ではなかった。、

親も相当手を焼いていたのだ。

4歳くらいですでに、親父に追い出され、納屋に隠れて寝たこともある、

戦後初めてできた、幼稚園を夏休み前に先生が家にきて、何か話をしていたようだが、9月からはもう行かなくてよいと、結局退園であった。

そういう親に育てられても、いたずら小僧のDNAは生まれつきのもので、小さいながらに確立した心があったようだ。

そんな子供ではあったが、反発しながらも、見えない天地の心、神様を実感し、心にだんだん効いてきたようで、

中学で番長グループを抜け、まじめに勉強しはじめ、

ろ周りには、人一倍気を使う、素直な高校生になり、成人していった。

その後、神様をまじめに意識し始め、他人に感謝、気を遣う性格に替わってしまったことで、いろいろ葛藤があり、31歳で大きな心の病になるのだが、

現代病の代表的な心の病の治し方の参考にもなるから、

その後の神様に守られた私の一生の心のよりどころと大きなおかげをいただいた、お話を続けてみたいと思っている。

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コメント

いたずら小僧の小星さん、KJ法の川喜多二郎博士、お亡くなりになりましたね。小星さんにとっては、恩人のお一人でしょうか?
私、とっくに故人---と思っておりましたので、ちょっとびっくりしました。

投稿: 敦煌 | 2009年7月10日 (金) 07時39分

3日間旅行しておりました。コメント気がつかず失礼いたしました。
ブログは旅先から更新でした。
そうなんです、恩師の川喜田二郎博士 御亡くなりになりました。さびしい限りです。
NM法の中山正和博士
KJ法の川喜田二郎博士
TM「田口メソッド」の田口玄人博士
このお三方は偉大な日本の指導者で、私の恩師でもあります。

投稿: s.koboshi | 2009年7月13日 (月) 23時39分

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