六根清浄
昔、山登りの時、六根清浄と書いた杖を持って、”六根清浄お山は晴天”とか言いながら登ってきた人たちがたくさんいた。我々は山岳部であったからそんなことはまったくしなかったが、富士山などでは今も沢山いると思う
当時から最近まで、この「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)の意味さえ知らず、考えたこともなかった。
最近、ある教会で、立教の基としてあげていたものを読んでみてびっくりした。
天照皇大神宣わくという出だしの言葉で始まるが、
これは日本の素朴な信仰の根本なのかもしれないなと思わされた。
以下に概要を記す。
”人はすなわち天下の神物なり、心はすべてのもとなり
それゆえに、我が心を傷ましむる事なかれ,
”眼に諸々の不浄をみても、心に不浄を見ず、
”耳に諸々の不浄を聴いても、心に不浄を聴かず、
”鼻に諸々の不浄を嗅いでも、心に諸々の不浄を嗅がず、
”口に諸々の不浄を言いても、心で諸々の不浄を言わず、
”身は諸々の不浄に触れても、心で諸々の不浄に触れず、
”意に諸々の不浄を想っても、心に諸々の不浄を想わず、
”この時、清く、潔き、良きことあり、
”諸々の法は影と像のごときなり、心清く、潔ぎよければ、穢れることなかれ、
”我が身は六根清浄なり、
”天地の神と同根なり、天地の神と同根なら、万物の霊と同体なり、
”万物の霊と同体なら、為す所の願い成就せずということなし
これは、こころ正しければ願いかなわずということはないと、
何かおかげは和賀心にありと言われているようでもある。
いや、誠にありがたい、日本の根本に触れた様な気がする。
どっこいしょのかけ声もここが基らしい、
どっこいしょはやさしいが、六根清浄はなかなか難しい事でもある。
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