和の心
昨日は、栃木県の小山グランドホテルまで、妻と車で出かけた。
金光教の関東教区信奉者研修会、結城教会の大木先生の素晴らしいお話をお聞きし、懇談ノあと、懇親会にも参加。
お酒を飲ンでしまったため妻の運転でゆっくりかえってきたカラ夜中になってしまった。
お話は、教祖様時代のような奇跡的なおかげを沢山戴いた時代と違い、3代目ノ信者や教師の時代となり。。。、ああこれが神様か。。。というような大きな奇跡的なおかげの体験もなく、神様を実感する事ができなくなっている中で、
どう信心すればよいかというお話であり、神様を信じ切り、神様のお心に叶った生活をという、ような内容であった。
私の父親は、口癖のように、信心とは神様に心が向い、気持ちを正すこと、自分自身の精神修養だ、しかも幸運の神様だからこれ以上ありがたいことはないと、
自分の願いばかりのご利益信心ではなく、人が助かりさえすればいいという神さまの願いにかなった人間になることというお話には、同感である。
父が言っていたように、世界でも珍しい宗教で、純粋に心を正しくすることを教え、人の助かりを一心に願う、およそ欲のない神様だと思うが、
最近茶道を始めてつくづく思う
利休は、荒くくれた殺傷ばかりの武人の心を相手への(相客)思いやり、おもてなしの心など和の心 を 茶を持って教えたのではないかと考えている
金光教ノ教える”和賀心” はまるで茶道にも通じる、いや逆だ、茶道も実は立派な宗教なのではないか、禅もそういう意味では同じかも、
自然を生かし、小さな日常の空間に壮大な宇宙を映し、天地の働きを冒しがたい荘厳なものと、おいて、侘び、質素に徹し、心は大きな真でもてなす。
むしろ茶道のようなものでない宗教は、本当の宗教とは言わないのかもしれない。
実家からこの道を我が家に嫁入り道具として、伝えてくれた、亡き母には感謝している。
SF作家のかんべむさし氏も、
SF作家が出逢ったおもろい神様という副題の ”理屈は理屈、神は神”という著書で、
よくぞ俺にぴったりのこんな宗教があってくれたことよな、と
優しくて穏やかな宗教だなあ、間口が広く、寛容で義務や強制が一切なく、押し付けず、すべて自由意思、に任せる。
束縛を嫌い、受容されるのを好む、今時の若い人に好まれるだろうな。。。と言ってくれているそうだが、
実際は欲がないから、およそ伝わらない。
それはそれでよい、茶道と同じなら、自由なのだから。
教祖時代は、みな信者が ひとを助けるという 強い心で信心したから、広く一気に広まった、
今は自分の心の改まり、何事にもお礼を言う気持ち、感謝の気持ちなど、自分の心の改まり、やおかげが、中心となり、
人の助かりを願うという利他的な強い欲が信者になくなり、外、特に若い人には伝わらない。
日本が世界一の自殺者を抱える国、しかも飛びぬけて高い自殺率、これは宗教がない国の特長だとも言われている。
たぶんそうだろう、
キリスト教圏は日本の半分、中東地域は自殺者ゼロ圏だからたぶん宗教と関係あるかもしれない。
宗教と言えば皆オカルト的に毛嫌いし、子供には社会常識や、精神のあり方すら教えず、勉強だけを学校に押し付け、責任を果たせないい親が多い中で
それでは心は誰が育てるのか、今こそ子供たちに、宗教でなくても、何でもいい、
世界に通じ、世界に誇れる日本の精神文化、それは禅でもいい、茶道でも、弓道でも、剣道でも、良い、子供や若者達に伝え、心を正しく、強靱に育てる。
そんな何かを伝えてほしいと願う。
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