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2009年7月

2009年7月31日 (金)

日本の優れもの(3)

日本古来の教育システムも、世界に誇れる優れたものだとおもう。

師匠に弟子入りしても、毎日毎日何も教えてもらえず、便所掃除と鞄持ちをやっているうち、ある日突然、真打ちになれる力をつける。

しかも師匠を超える力をつけてしまうことが多い。

落語家であっても、刀工や、塗り師など職人でも、入門しても、仕事は盗むモノとして手取足取り教えない。、

ただただ無慈悲に叱られながら、学びたいと言う気持ちだけを強くもって、耐えに耐えさせる。

そういう苦労の中で仕事を盗ませるやり方と

欧米の教育のように、カリキュラムがあり、知識を段階的に教えてゆく方法の違いは、

前者は、弟子は師匠のコピーではなく、固有の力をもつ大きな人物に育つ事ができるのだそうだ。

カリキュラムや、座学で知識をおしえても、師匠を超える事はできないが、

日本的、禅的な教育では、多くの場合、師匠、上司を超える人物に育つという。

私の長い研究生活でも、

職場では多くの素晴らしい人材が育ったが、けして丁寧に教えた訳ではない。

むしろ、手取足取り教えるな。。と強く指示し、自分で課題を探させ、自分でやらせた。

ただし目標だけは明確にして徹底的に達成させた、やり方は任せたが、智慧がなければ、徹底的に叱った。

助手席に乗せたまま、いくら道を教えても、道は覚えられない。

運転席と、助手席は全く違う、やり方を任せてやらせてみなければ、智慧はでないと確信していあたから、徹底して自らやらせてみた。

入社したての新人にやらせた、コニカ初のゼラチンタイプのインクジェットペーパーの開発に成功してしまったこともある。

目標を与え、これを追求するだけ、やり方を任せれば、10年選手でも新人でも同じ力を発揮してくれる。

社内教育など、座学の教育は、受けたときは皆、感動して職場に還ってくるが、1週間でほとんど忘れてしまう。やらせて見なければ、どんなに感動しても、身につかない。

実は、

座学では知識は身につくが、仕事には使えない。

仕事に必要なのは、知識と智慧なのだが、座学では知識しか入らないから、学生と同じで仕事はできない。

仕事を早く覚えたい、何とか盗みたいという、弟子は

いつの間にか師匠の仕事を盗んでしまい、智慧の出し方を身をもって学ぶようだ。

何か少し勉強すれば、直ぐ仕事が出来ると思う方が多いがそれは仕事とは言わない。

最近茶道の稽古を始めたが、

同じ動きを稽古するだけだ、本を見ても、人の所作をみても、けして洗練された、お点前が出来るようになる訳ではない。ただひたすら同じ動きを繰り返すだけ

昔弓道をやっていた事もある。

弓道も茶道と同じで、自分の体と心を鍛え、弓を引く姿勢を徹底的に正しくする訓練をするだけで、突然中(当た)るようになる。

弓道はアーチェリのように狙うモノではなく、姿勢正しく構えて射れば、必ず、中(当た)るものらしい。

美しい形が出来れば、中(当た)りは必ずついてくる。

だから巻藁3年と言って、最初は的の前には立たせず、目の前の巻藁をひたすら射る事で鍛錬してゆくのである。

最初から的前に立って、いくらこつをつかもうとしても、弓は狙って射るモノではないから、当てようとすればするほどけして中(当)る姿勢は造れない。

有名なお話しが、弓と禅 と言う本に書かれている。

ドイツの哲学者、オイゲン ヘリゲル が大正13年 東洋の神秘、日本人と禅の研究に来日した。

東洋思想と禅の研究には弓が良いと聞いて、弟子入りしたのが阿波研造 名人であったが、

毎日毎日巻藁を射させられ、少しも教えてくれない、これでは上達するはずがない、早く理屈を教えろと迫るが

老名人、上手くなりたければ、巻藁3年だと、けして的前に立たせず、的を射させず、ひたすら、およそ役に立たなさそうな 巻藁訓練を課した。

的を射ずに練習になるのか?

的の狙い方のこつがあるはずだ、

教えて欲しいと師匠にくってかかる、

しかしヘリゲルがいくら頼んでも、あなたが的を射ようと意志を持てば、持つほど当たらなくなります。

我々は弓の下端で地球を糸でつっている、上端で天をついているのだ、力を入れたら、糸がきれてしまう。

笹の葉から学びなさいと、

笹の葉は雪を受けて一杯にたわみます、そして突然重みで雪はすべりおちるが、笹は無心が故に、その瞬間微動だにしません。

それでも、東洋の禅的な教育、道と呼ばれる指導が理解出来ず、

何かこつがあるはず、秘伝があるはずだと食らいつく。

それなら、今夜、弓道場に来なさいという

そして弓が狙わずにあたるという、とんでも無いモノを見せてもらうことになる。

(この話は前にも書いたような気がするが、明日また少し書きたい)

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2009年7月30日 (木)

日本の優れたもの

昨日、

安心社会のあり方として、同じコストを掛けるなら、日本の優れた終身雇用と言うシステムがあることを、書いた。

米国では、金曜日の午後、突然,来週から出社しなくて結構ですよ、と申し渡される事が多い。

市場主義、能力主義の社会ではあたり前のことであるが、これほど、不安な社会は無い。

しかし,米国であっても日本企業の従業員にはそういう事はあまり適用されてイナかった。

しかも米国には定年はないと聞いているから、日経企業では、相当長く勤める方もあっただろう。

日本の終身雇用は、

安心社会の最たるものなのだが、他にも世界に誇れる日本のスグレモノは沢山ある。

和魂漢才、のちに和魂洋才と言われた精神もそのひとつだろう。

和の心を残して外来であっても良いもは柔軟に取り入れる精神だ。

素直な心の現れだと思う。

日本語は漢字、仮名、片仮名と3つの文字を使って表記出来る世界に例のない言葉でもある。

万葉時代、漢字は真名と読ばれたらしい。

真名に対し仮名や片仮名があったのだという。

外来の漢字を真の文字としてあつかい日本の文字を仮とした。

韓国のようにハングルだけで表現せず、いい物は真の立場で取り入れる。

優れた4000年の歴史を持つ大国から学ぶ姿勢は徹底していたようだ。

まさしく和魂漢才である。

グローバルスタンダード「漢、唐様」を真とし、万葉仮名「和様」をかりそめの仮の文字としてあつうのが当時の国際感覚だったのだろう。

その証拠に、初期の朝廷では、正式儀式を行う、朝堂院は瓦葺きで朱塗りの柱の唐風(中国風)を使っており、生活の場、清涼殿は檜皮葺で白木の柱、和の様式としていた。

そして片仮名は 起請文や願文という神様に何かを誓うときの文字として使うモノだったそうである。

それ故、漢字と片仮名交じりがもっとも正式で神事や憲法につかわれ、日常の私的な事柄にはひらがなだけが使われた。

ひらがなで書かれた和歌を坊さんが書き写すと片仮名になってしまう、理由もわかるような気がする。

日本の法律は漢字片仮名交じりでかかれ、書道はけして片仮名を使わず、ひらがなであったという。

そして、神様への言葉、文字であった片仮名は、いつの間にか、誰が決めたわけでもないのに、外来語の表記に使うようになり、

とても便利で、なるほどという気が利いた使い方だと感心する。

これほど見事に、和魂洋才が自然にできてしまう国は他には無い、と感心する。

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2009年7月29日 (水)

日本の優れたいくつかのシステム

自由な市場経済がもっとも理想的で自然な姿になるとはかぎらない。

労働に対する賃金,人事評価システムもそうである。

人間には能力の差があるから、労働しても成果には必ず、差が出る、だから賃金には自ずと差があってしかるべきだ、という能力主義がある。

機会だけ均等にして、平等であれば、,後は本人の能力次第で、成果に応じ、賃金に差が出るのは当然、と言う考え方である。

一方労働したら,成果に関係無く、

すべて同じ賃金が分配されるべきであると言うのが人間皆平等という社会主義の考え方だ。

平等主義と非平等主義、の対極である。

しかし賃金制度には実はこの2つだけではなく、実は^ 日本型という第3のシステムがある。

これは、日本古来の商家から派生した、システムだが、賃金はあまりあがらないが、成果や能力に応じ、昇進により、役職での処遇を組み合わせたものだ。

終身雇用、年功序列を維持するために、賃金を低く押さえたまま、本人のやり甲斐を高く維持出来る優れたシステムなのではないかと、小泉改革が破綻してから最近気がついた。

人は何のために働くか?お金、賃金だけではないだろう。

名誉、地位、権力を昇進により与える、役職処遇である。

これでも十分やり甲斐を満足させる事ができるのだ。

近年、日本の経済界はこの優れた方法をすてさり、

能力主義や派遣社員制度を取り入れ効率化を強力に推進してきた。

その結果、結局セフテイネットで救わざるをえなくなってしまったのである。

私が課長に昇進したとき、大幅に給料は下がった。

係長研究員で夜中まで残業していたために、課長で管理職手当がついても大幅に下がるのである。

管理職とは人の上に立ち,見本とならなければならないと、たった100円の賃金差でも、誇りを持って課長が出来なければと,その時思った。

社会的な名誉や権力の差は、給料とは違う意味を持つ物、公共性のあるものだと当時おもった。

その後課長になる部下によく言った物である、給料ではないぞ、人を通じて仕事をする事の大切さ,責任の大きさを説いたものであった。

他人が認める,違いと部下への思いやりが大事であると。

他人が認める能力の差が少しでもある者は、給料ではなく、やり甲斐をもってやってくれた。

部下も、社員と課長や部長、社長であっても給料の差は小さいから,上は大変だよなと、我慢もしてくれたものなのだ。

米国の能力主義では、社長は数億円もらっていても社員は年俸300万円というのが一般的である。

人々はそんなに社長が仕事をしているか?

能力があるか?

と不満や疑問が出てくる。

日本では、研究職が会社に何百億円もの利益を与えても、賃金やお金では報わず、他人より数年早い昇進をさせる事で報いてきた。

これが終身雇用を維持し、コストをあげずに、有能な社員に報い、不満がでない方法でもある。

賃金格差やお金より、納得性があって、やり甲斐を持たせてあげられる道でもあったのだろう。

その行き過ぎが 名ばかり管理職 でもあるのだが、行き過ぎでは意味が無いが、一般的には良い方法といえる。

そんな訳で

経済的に膨大な報酬は無くても、日本の技術力は高い水準で維持されて来た。

その源泉がこの役職 処遇制度だったのだとおもう。

自分は本来なら年俸数億円もらえる実力がアルはずだと思っても

我慢ができる。会社に貸しを作っている満足感が幸せを生む。

仕事の達成感、組織を任される昇進が遙かに高いインセンティブとなる日本のシステムが終身雇用を維持してきたのだ。

これは世界に例のないシステムであると思うようになった。

能力主義のもとでの敗者の数は勝者より圧倒的に多く、多くの惨めな意気消沈をうむ。

総コストが同じなら、負け組をたくさん造って、社会保証でまかなうより,

全体的には中水準の賃金レベルであっても、終身雇用と年功序列の安心できる 

みんなが幸せ感のあるワークシェアリングとは違う、世界にない日本のシステムを見直すべきかもしれない。

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2009年7月28日 (火)

ひょっとしたら日本のシステムが世界を救うかも

昨日、ハローワークの実態を聞いた話として書いたが、

いま、日本人の多くが目標を失ったように見える。

政治も経済も混迷、迷走しはじめ、日本を閉塞感が覆っている、

この閉塞感はどこから来るのだろうか。

人々はいろいろな不安に押しつぶされ、未来に希望を失っているようにみえる。

数年前小泉改革に人々は熱狂し、構造改革、市場解放はうまくいき、経済の立て直しに成功したかに見えた、

しかし、サブプライム問題が起こると、これは見事に崩れ、日本中沈滞ムードが漂い、構造改革など吹っ飛んでしまった。

日本の経済が世界的に見て、不自由、不透明、不公正な事はいうまでもない、日本市場の透明性は、まだまだ改革が必要で、十分ではないが、挫折してしまった。

日本の経済の、不自由、不透明、不公正は 自由、透明、公正な物に作り替えなければならないが、

理想とした米国の経済が破綻し、急激な改革は大きな格差を生む事も明らかになった。

今回の不況で、日本人のおおくが、政治にも経済にも失望し、目標を失い漂流し始めたように見える

なぜだろうとかんがえる。

日本古来の終身雇用が崩れたせいで、心の支柱を失ったかのようにおもえてきた。

非効率で多くは無駄だと言われた、公正、公平、公共性の高い経済の良さが失われ始めたからではないのだろうか?

世界の多くの国は,、宗教が国の柱になって憲法が出来、心を支えている。

しかし日本は無宗教、憲法の核にすべき物がないため、伊藤博文などが言うように、戦前の帝国憲法では 皇室を宗教の代わりに国民の心の柱として据えた。

戦後は、平和憲法、

国民の目標は、貧乏でも小さな幸せを求め、世界に追いつき、追い越せを合い言葉に、GDP世界二位の経済大国を作り上げてきた。

追いつき追い越せが心の柱であり、国民共通の目標であったようだ。これも1990年からのバブルのはじけとともに終焉し、失ってしまった。

いよいよグローバルスタンダードへ向けて、日本の大掃除と、無駄や不公正をなくす、市場経済主義へと大きく舵をきりだしたところであった。

今回の構造改革の失敗で、気がつかなければならない事があるような気がする。

日本人の心のよりどころは、実は日本型経済システム、特に終身雇用制だったのではないだろうか?

日本型の良さを維持する事が、日本に取って,,いやむしろ、世界にとっても、お手本になる経済システムを作り上げることが出来るのではないだろうかと思えてきた。

派遣労働者が不況で突然首を切られ,リストラの嵐が吹きまくる、そんな不安な社会が,いくら効率的であっても,いいはずはない。

経済だけ効率を上げても、社会の落ちこぼれを、税金で,面倒見るなら、結局は同じコストが掛かってしまい,しかも不安がつきまとう。、

であれば、心が安定している終身雇用の方がよほど良い。

セフティネットなどどこかで必要なコストなら、年功序列賃金などを残したほうが良い。

日本型の良さとして残して,世界に互してゆける経済システムを造るべきなのではないかと思えてきた。

日本型の良さの極地は完全雇用制度だ、安心できる心の安定がつくれる。

つぶれない限り雇用を維持しようとする日本の良さは世界にはない,他人への思いやりが基本となっている。

改革主義者は、この完全雇用制度を時代遅れ、社会主義とまでいうが、実は日本人の心のよりどころになってきたのではないだろうか?

完全雇用制は、終身雇用、企業別労組、系列などが支え、様々な無駄を制度化して成り立っている、巨額の交際費,、サービスの高価格など、人々は無駄をシステムとして組み入れ、大きな経済成長を支えて来た。

問題はインサイダーに都合が良く,アウトサイダーに都合が悪い、特に投資家にとって次ごうが悪い面の改善は必要だろう。

フェアさは大事だ、これは直さなければならない。

日本独自の素場らしい,新たな経済システムを、模索すべき時なのではないだろうか、それが世界第二位の経済大国の役割のような気がしているのだが。

私も竹中、小泉構造改革に大賛成であった。

しかし、構造改革は、一握りの投資家、株主のために,透明性をあげることでもあり、巨大な資金が不動産や、石油を巡って暗躍し、汗もかかず一夜にして、巨利を稼げるようにする事なのだと知った。

そういうグローバルな資本主義に、サブプライム問題は疑問を投げかけたのだと思う。

ここでヨーク考えなければならない日本システムが世界を救うかもしれないのだ。。

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2009年7月27日 (月)

大不況での生き方

土曜日、20年前,家の近くのアパートに住んでいたNさんと久しぶりにお会いし、飲んだ。

私が、ここに家を新築し引っ越してきたとき、近所は畑をはさんだ,アパートだけしかないから、このアパートの皆さんにご挨拶に伺った。

Nさんは普通の家の人がアパートに挨拶に来たと感激してくれ、それ以来、深いおつきあいをしてきた。

Nさんは、大手家電企業の資材購買関係の責任者を務め、海外勤務も長かったし成功者でもある。

数年で家を購入し転居したが、時々飲む程度のおつきあいを続けている。

彼は数年まえ、会社の事業もあまり上手く行っていないために,自分が犠牲になろうと格好良く,自らをリストラし、

自分ならなんとか、やってゆけるはずだと再挑戦を誓って、自ら退職、新規一転と船出したが、2社ほど新たな挑戦をして、ここも合わないと退職し、現在失業中だった。

昨年の秋からの大不況、ご多分に漏れず、再々再挑戦はきわめて困難。

再就職は難しいかもという、まだ56歳、人生半分だが、彼の話を聞いてびっくり。

ハローワークは、何時間も待たないと説明すら聞けない大混雑、大渋滞。

必死で仕事を探している方がひしめいているらしい。

待っている間に、結婚したてで、赤ちゃんが生まれ、必死で職探しの話など聞いてしまうと、若い人にまずは仕事をと、思って、遠慮してしまうとのこと。

不況はますますひどくなり,政府の言う回復などほど遠い状況だと言う

自分がもし、結婚したてで、職がなかったらとおもうと,年寄りは遠慮せずにはいられない

と言う

彼の気持ちは余裕のあらわれでもあるのだろうが

仕事を与える側から見ても若いに越した事はないから、十分わかるし常識的にもそう思う。

しかし、少し気になる事を言う。

今日家を出るとき、女房がうれしそうにしているから理由を聞いたら、

今日はキッとコボシさんが叱ってくれるだろうと、ニコニコしていたと言う。

あの奥様は、職が無くぶらぶらしている彼に不満を抱くような方ではない。

むしろ,今までご苦労様と感謝し,仕方がない少しゆっくりしなさいとねぎらうような方のはずだ。

コボシさんが叱ってくれると言う、そういうカードが,一枚あればKJ法で言う、情報としては十分だ。

KJ法では、このカードを見て、すべてが推測出来ないようでは失格だ^^^。

もちろん職があるに越した事はないが、奥様の気持ちが痛いほど伝わった。

キッと生き方の問題だとおもう。直感だがおそらく正しい。

プータロウという気持ちで職を探して待つ人生と、

雨が降ったら、仕方がない、晴耕雨読、

人生を磨く、チャンス。。。という生き方は大きく違う。

最後まで誇りと張りをもって生きて欲しいと言うことだろう。

職なんか無くても、いいと思っているはずだ。

彼は大企業で成功者、、

成功体験からぬけられないのだろう。

そんな物はおよそ通用しない。

,俺はもっと出来る,はずだ、あんな事ができたんだから、,これからも出来るはずだ

と言う固い殻があるはずだ。

これが挫折を招くし、危険でもある。

そんな事より、家族に信頼されることが重要だ。

子供も立派すぎるほど育っているではないか、心配なし、大安心なのだから、

殻を脱いで、自分を磨いて欲しい。

キッと楽しい後半の人生が開けるはずだ。

経済は回復していない、最悪の状態だとおもう。

かれが言う通り、仕事は若い方優先でいい、

問題は生き方だ。

ああいい人生だったと自分が自分を褒められるように生きなければならない、

それにはまずはすべてに感謝し,今まで生かされて来たすべてに対し,素直にお礼が出来れば、必ず道は拓けるはずだ。

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2009年7月25日 (土)

三略会 人生の快挙

先日の三略会、テーマは、自分で自分を褒めてあげたいと思うような、”私の人生における快挙”だった。

皆さんのお話は、

今の妻を選んだ自分の決断、出会い、や妻への新たな思いやり行動の決断など、をあげる方が多かった。

橘先生は、何か世界を動かしたとか、歴史を変えたとか無いのかね?

というが,意外と身近な話題が多い。

一流の企業を経営し、オンリーワンのビジネスを展開する三略会の面々、

先生が言うような快挙がない訳ではないはずだが、なぜか皆、家族の話題が多い。

年齢に関係無く、現在の奥様との出会いや、旦那さんとの出会いなど、結婚への決断や行動を快挙とする方が多かった。

私の場合も、お題を戴いた瞬間から、家族との話しか思い浮かばなかった。

これはこのブログでも書いたことがあるのだが。

長女が2歳半、次女が1歳半、3女はまだ生まれていなかった。

1975年の夏、家族で車で出かけた、宮が瀬 中津川のキャンプ場(今はここはダムの底)

車を川の上に置き、荷物を持って2段になった河原の上段に降り、テントを広げ張りだした。

テントは結構大きく、妻が手伝い、ロープで支柱を張って、ぐるっと周り、全体が立ち上がったと思ったら,長女しか見あたらない。

エッと思って、向こう側に回ったが,イナイ、

エッツ、どこ?

血の気が引いた、数分のはずだが,2人ともテント張りに夢中になってしまった。

妻が車の方へ行ったのかね?と草むらを回って駐車場へ向かう上の道を指す。

テントの下、一段下がっる方向に道があり、下に河原があるが、川面は下がらないと見えない。

一瞬の判断だった。山は後でも良い、探せば済むが、まず川だ.となぜか瞬間判断し、ダッ。。。ット 川へ向かってかけおりた。

12mくらい川の中、奥に次女が浮いて流れ始めているのが見えた,泣きもせず無言で流れている。

ダッ。。ト飛び込んで助け上げた。

後1,2分で急流、その下にいっていたら,間違いなく見えなくなっていただろうから,

やっぱり車の方に行ったか。。。と戻ってしまっただろう。

よちよちあるいても、数分でこれ距離、子供は興味があると黙ってやるから困る

こんなところまで来ていたのか,そんなに水が好きなのか?

今考えても,私の一生の快挙だった。

家族からもこれだけは感謝されている。、

一生後悔しなくて済んだ一瞬だった。褒めてあげたい私の一瞬の判断力,間一髪だった。

子供を車に残して熱中症で死亡とか新聞で見るたびにぞっとしてこの事を思い出す。

世の中の事件、ほんの一瞬の不注意だとおもう、誰にもありうる事だから,

悲劇は紙一重のところで起こるから気をつけたいが、

これが私の人生最大の快挙として誇れる、我が家の、晶子ちゃん川で流される事件なのだ。

先生は、コボシサンは特許とかアルでしょうというが、これが無ければ、次は私も妻との結婚、をあげる,これも奇跡なのだから、快挙となるはずだ。

もちろん、仕事も成功しました、競合企業からも,あなたが一番怖かったと言われる発明や商品も沢山造りました。

科学技術長官賞ももらいました。紫綬褒章ももらいました。部下にも上司にも恵まれました。特許も680件も成立させていただきました。

それぞれに快挙がありましたが、

しかし、それは、自分だけの成果ではなく、会社や仲間や上司や、部下の手助けがあって初めて、生まれた,みな様の快挙なのです。

だから自分を褒めてあげたい快挙となると、そういう快挙は,それほど、うれしい物ではないのだなと改めて思わされました。

身近な家族から本当に信頼され、感謝されるのが本当の勲章なのでしょう。、

だから、皆さん、のろけではなく、これは本音なのだと思います。

世界を動かすにしても,家庭があって,伴侶の信頼があって、初めて動かしているのでしょう。

みんな、家族の支えが一番大切な物で価値があるのです。

家族が,すべての大本なのでしょう。

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2009年7月23日 (木)

信用が大事

1昨日はコニカ時代のOB仲間がボランテイアで手伝ってくれた。

そして昨夜は3女と妻がやはりボランテイアで、夜中までやってくれた。

商品に入れるおまけのUSBカードリーダーを全数チェックしているのだが、一つ一つ丁寧に包装から取り出し、メモリーカードを実際に装填し,パソコンで画像が開けるか・包装や、不具合が無いか?すべてチュエックする。

助けていただいている有り難いことである。

包装やプラスチック部の不具合、読み取り不良など、不具合をチェックし、排除している。

おまけといえども、完璧を期したいと言いながら、コストはかけられない、お客様の信頼を裏切りたくない。

小さな会社を、好意で皆んなが支えれてくれている。

いつも、お客様へのお問い合わせ対応がもっとも重要だと行っている。

小さな会社だから、担当が休みの時、休日など、メールでのお客様への問い合せには自分でも、お答えするようにしている。

質問したら答えをお待ちいただいている方の気持ちになって休みでも答えてあげたいが

すべてが可能であるわけではない

アルバムの使い方が間違っていたり、勘違いで使えないなどの質問も多いが、パソコンのトラブルも実際には沢山ある。

パソコンのドライブや、ソフトなどお客様の、使用環境は、限りなく幅広く、そのすべてに対応する事はできないから、あきらめて戴く場合もあるが

たいていの場合は親切に対応すれば,解決する。

この問い合わせへの親切さが私どもの会社の命なのだ、丁寧にすすめている。

私どものお客様はお年寄り、シニアや赤ちゃんをかかえたヤングママが多く、

皆、パソコンが苦手な方が多いから、

さながらパソコン教室のようなやりとりが多い。

電話でも1時間にもなることがアルようだ。

もちろん問い合わせは無い完璧な商品なら良いが,そんな物は不可能だ。、

お客様は、教えれば教えるほどファンになってくれる.。

クチコミで広げてくれるから、お問い合わせ対応が最大の営業だと言っている。

今、発売を準備している写メの保管用 ソフトウエア、写メレブだが、

これはソフトだからソフトだけ売ればいいと言う訳にはいかない、

お客様がこれを手に入れてパソコンにインストールしても、携帯のメモリーカード、マイクロSDカードを取り出して、パソコンにセットしなければならない

そのためには,カードリー^ダを購入しなければならないから、それならこのカードリーダーをおまけとしてソフトにセットして、売ればいいと言う事になった。

このマイクロSDカードをパソコンにセットするための小物、USBカードリ-ダ-(アダプター)をソフトに同梱(おまけをセット販売)してご提供する、親切な商品にしようという事になった。

ところがソフトの値段は 5000円程度で、それほど高くできないから、おまけが1500円もする物では、赤字となる。だから高価な物を入れるわけにはいかない、

USBカードリーダーは一般には最低でも、1000円以上する物だから、原価でもかなりの値段となる。。

出来るだけ安い物を手に入れる事が必要だが、そうすると品質が保証できないという。

価格が高くなれば売れないから、親切ではない、

おまけだから、品質は保証しなくていいかというと、そうはいかない,

おまけであっても商品の信用となってしまう、信の一字は崩してはいけない。

サービスと品質とコストのジレンマとなるのだ。

両方解決しなければ、創造的な解決策にはならない。

お客さまが神様だから実意丁寧に全数チェックし、品質を維持する。

そして出来るだけ安く,,カワイ、デザインの物を選んだ。

全数検査し、徹底的に良品を選別し、ご提供すると決めた、

しかし、コストはかけられない、これを仲間や家族が支えてくれた、もちろん私も一生懸命作業したが、みんなの助けがとても有り難かった。

カードを挿しても、画像を認識しない不具合商品に行き当たると私が、アッタと喜ぶ

娘は不良品見つけてなぜ喜ぶの?と言う。

笑って答えなかったが、これがお客様へゆくことを防げたのがうれしい限りなのだ。

1週間でしかも時間外のボランテイア作業で終わらせルことができた。

かなりの数の商品だから、出来るかどうか、最初は不安だった、

寝不足は残ったが、満足感がアル、

お客様に迷惑をかけず、,コストも掛けず、全数チェックで良品だけを出せる、

電話の問い合わせにも、お客様のコネクターをちょっと確認していただけますか・と

自信を持って答えられる。これが ”信”の一字、 守れてよかった。

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2009年7月22日 (水)

EVERPLAYの原点

昨夜古い友人と酒を楽しんだ。良い人と巡り会ったと感謝しながら。

デジタル時代は、各社システムは互換性があるようで,いて,実は全く無い。

デジタルは設計次第で各社どんどん進化できるからだ。

デジカメは、ソフトの固まりだから各社使い勝手はばらばらだし、マニュアルを見なければ使えないほど複雑だ、機能ばかりついても使え無い,アイコンですら共通ではないから覚えられない。

メモリーカードもCF(コンパクトフラッシュ)SDカード、メモリースティック、xDカードなどそれこそばらばらに進化し、20年たったらおそらく形は代わり、その時再生出来ないだろう。

そしてアルバム管理ソフトも各社ばらばらに造られており、家族が写真をパソコンで共通に楽しむことすら難しいのだ。

1998年ころ、デジカメが出現、そういう時代になるなと覚悟するとともに、デジタル時代になったら,各社の開発研究はどうなるだろうと漠然とした危惧を持った。

おそらくシステムはばらばらになり、使い勝手、互換性も崩れてしまうなと。

個人だけではなく、家族や仲間が共通に楽しめ、しかもプリントしなくても100年後にもさっと持ち出し,再生出来なければ、写真の資格はないとおもったのだ。

開発は競争してはいけない互換性と、競争して進化して良い部分があるはずだ。

アルバムだけは、業界共通にしたいと強く思えた。

しかし、

今まで,互換性という犯してはならない共通の部分を大切にしながら、後は全くお互いに秘密主義で、徹底的に競争してきたのが子の業界だった。

だからデジタルだからと言って、急に協力出来るだろうか?

アナログの写真企業は世界で4社しかない寡占だ、だから余計秘密主義できた。

米国のKODAK、ドイツのAGFA、日本のフジフィルム、コニカである。

もちろんカメラメーカーは日本にひしめいていたが、フィルム カラーペーパー、ミニラボ、カメラまでそろえた総合写真企業はこの4社であった。

お客様はシャッターを押すだけ、世界中のカメラもフィルムも、お互いに互換性があり、どこの商品でも安心して使え、世界中,どこのお店でプリントしても、どこのフィルムを使っても、同じよい色に仕上がるよう、統一された規格の中で、いかに良い色、良い使い勝手を提供出来るかを各社常に秘密主義で技術を競って戦っていたのだ。

特に日本の2社、フジフィルム、とコニカは協力した経験が無かったはずだ。

デジタル時代も写真だけは、お客様の迷惑がないよう、パソコン知識が無くても、いつまでも誰でもスキルが無くても、家族や仲間が共通に使えるよう、アルバムだけは規格を作るべきだと考え着手した。

どんなにいい物を造っても、競ったら、戦ったら,相手が更に良い物を考え、進化はとどまるところをしらなくなり、各社がばらばらになり、迷惑するのはお客様なのだ・。

便利であってもお客様は迷惑だ、各社バラバラでは、つかえない、

これは最強のフジフィルムを中心にしなければ事はならないと考えた。

しかし当時の常識では協力など絶対に考えられない相手でもあった。

社内ではPS「ポータブルストレージ)規格という名前で規格の骨格を固め、商品を支える技術を開発し、特許も出願した上で、これを手土産に、すべて相手に公開する腹をまず自分自身が固め、自分を納得させた、世のためだと言い聞かせた。

これからの戦いは協力して業界共通のビジネスを造らなければならない、と部門の意志も固め,TOPの了解ももらった。

そして、この事を理解してくれる方はフジの中でも、当時のM専務しかいないと心に決めて、無謀にも直接プライベートゴルフにお誘いし、昼食時に、お話しを切り出した^。

最初は、こいつ何しに来た、

特許で相当苦しめた相手だから一番嫌なやつというイメージだったと思うが,聴いてくれた、さすが、直ぐに理解してくれた。

コニカの中でも営業部門からは、なぜそんな素場らしい商品を自分でやらず敵に持って行くんだと、売国奴扱いで叱られた。

結果てに業界が手を結べばビジネスが広まるのだ、,お客さまのメリットが会社のメリットでもあるのだと,じっと耐えた。

フジといえども宿敵コニカに対する相当な不信感の中での、未来とお客様の迷惑を防ぐための英断だったはずだ。

そしてフジのK常務、がリーダーとなり、KODAKのTOPをも巻き込み 3社の写真の保管とシェアリングに関する互換性維持の業界規格策定が始まったのであった。

その歴史的な、薩長連合の推進の立役者 コニカの私とI氏、フジのメデイカルの社長だったK元常務 M元専務 の4人が昨夜 新宿で再会し、久しぶりのお酒を楽しんだ。

本当の立役者は この規格を親身になってすすめてくれたフジのH部長だが昨夜はいない。

彼の努力があって初めてEVERPLAY規格は出来上がったのだが、彼はまだ現役だから退官組みだけの再会とした。

M元専務が終始ニコニコしながら、

しかしお前さんには特許でいじめられたな、コニカの中でも一番嫌なやつだった。

,とんでも無い発想で特許を取られ対抗策の開発に本当に会社中で苦労させられたのだと述懐していた。、

出もいい人達だ、今だから笑って済まされる、がこのM専務、K常務が大きな部分で決断したから写真が未来に遺せるEverplay 規格が出来たのだ。

あんな大きな決断が出来た,この方々と定年前にお客様のために最後の決断が出来r

た事をつくづく幸せに感じ、子の方型に感謝しながらも、良く,推進出来たなと、不思議な気がした。

なぜか坂本龍馬の気持ちがわかるような夜だった。

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2009年7月21日 (火)

皆既日食

明日、22日は久しぶりに日本でも日食が見られる。

幅160kmでインドから悪石島から硫黄島などへ移動する観測帯が大騒ぎだ。

日食と言えば、50年前、家の新築工事で大工さんと一緒に庭で寝転んで見た皆既日食を思い出す。

私の家は江戸時代からの旧家だったそうだが、明治初めに没落、

生まれた家は、草葺きの小さな農家で、家の再興が 親父の悲願であった。

絶対俺が再興すると親父は文字通り寝食忘れて働いて再興を計ったようである。

子供のころ、近所のお寺のそばにある立派なお屋敷の家を、あれが昔のうちの家なんだよと言われて育った。

親父もお袋も、結婚後、金光教の熱心な信者になった。

親父はこの道は運の神様、心をただせば、おかげは無尽蔵と、言いつづけ、

事実、何をやってもお届けし、ことごとく事業が当り、大繁盛 明治時代に没落した家を一代で再興した。

家業だけでなく、近所でも珍しく,家族が一度も病気にならない、入院しない、手術もない、皆健康、

そして私が中学1年か2年、一番上の姉が嫁ぐことになった、

親父は長女の結婚を一つの区切りにがんばって来たらしく、張り切っていた。

よし、立派な家を造ってやる、嫁入りまでに完成させるから、その家から、胸を張って嫁げと、大工事が始まった。

新築は、昭和の大恐慌時代に手に入れた3ヘクタールもの、自前の檜や松の山から太い木を切り出し、製材して 柱や板を造り、ほとんど自分の山の木で造ってしまった。

40cmもある太い、長い立派な檜丸太を軒ゲタに使うため 子供ながらに手伝わされて一生懸命米ぬかで磨かされたのを思い出す

その時は考えられないような、でっかい2階建ての家、大黒柱や床柱など、一生懸命磨かされた。

タテマエ「上棟式」が昭和33年4月初めだった気がするが、

皆既日食は4月19日、上棟式直後の^^^まだ屋根と柱だけの家だった。

沖縄が中心だが東京もかなりの皆既日食が見れると言うことで、

8人か9人の大工さんに、親戚や近所の方も、広い庭にござを敷いて、寝転んで、日食を見ていた気がする。

大工さんに混じって私も寝転んでみていた。

生まれて初めて本格的な日食を見た、2,3分だったとおもうが、周りは相当くらくなったような記憶がある。

今はその時嫁に行った姉は、昨年8月に亡くなり、その当時の家も、10年前に兄によって、更に大きな家に立て替えられ、親父の夢であった家は完全に再興された。

そんな事を思い出してしまった。

あれから50年も立った。

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2009年7月20日 (月)

綺麗なフォームを創りさえすれば

今は忙しくて、月一回くらいしかできないが、ゴルフを再開し,フォームもスコアもだんだんよくなってきた。

年を取って、スコアが大きく振れる事がある。飛ばない、曲がる。

いいときもあるが、わるいときが多くなる。

結果を求めて、ラウンドしながらあれこれフォームをいじってしまう。

練習も本番も忙しくて,なかなかいけない、月一回かそれ以下、。

その所為にしてしまう。

思い直した。

同じやるなら、漠然とやらず、基本通り、やって見ようと考えた。

徹底して基本を創る、年だから余計、基本に戻ろうと思った。

それだけに徹した。

オンプレーンに、その場で肩を回して、ゆっくりテークバック、しっかり、左肩をあごのしたまで入れる、最後をぐっと止めるように回しきり

あとは、下半身からリードし、インパクトに向け振り抜くだけ、気持ちよく一気に振り切る

クラブが深く首に巻き付くよう、これがチェックポイント。なかなか難しいが、結果を恐れず、形を創る、

ダブろうが、トップしようが、体の芯で回転するだけ、

余計な動きをすべて封印、スイングだけをひたすら創った。

いずれ結果はついてくる。

どんな結果にも,ココロ乱されず、小細工せず、綺麗なスイングだけを求めて振る事にした。

昨年暮れから,これだけに徹した。

三略会のコンペしか出られないが、

なぜかここ2回、

スイングがとても綺麗だ、素晴^^らしいと褒められ始めた。

今まで,そんな褒め言葉聴いた事が無かった。

先日、橘三朗師とも、初めてラウンドした、先生から切り返しがちょっと早い,もう少しゆっくりと,しつこく言われ、それは基本だから素直にやって見た。

またまた結果がついてきた。

あきらめていた,飛距離もびっくりするくらい、戻ってきた。

綺麗なスイングだと橘先生にも褒められた、本当に綺麗だと何度も言ってくれた。

我慢の7ヶ月、楽しくなって来た。基本は裏切らないと信じた甲斐があった。

何事にも通じるみちなのだと改めて知らされた。

そういえば、弓道もそうであった。

的を狙わず、その場での形がしっかりできれば、的は見なくても、結果はあたる。

真、善、美 とはそういうものらしい。

仕事も、お客様への対応が基本、誠、実意丁寧につきると思う。

神様への心、がお客様への心でもある。

当てようと思えば当たらない、まっすぐ打とうと思えば曲がる、

欲を離れて基本に徹する

間違いない、なるほど、という実感を味わしていただいた。

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2009年7月17日 (金)

ユーザーの気持ち

佐藤先生のコメントで少し気が楽になりブログを書く気になった。

川喜田先生の訃報以来、いろいろあり、落ち込んでいたのと、毎日3社くらいを飛び歩き、忙しすぎたのもある。

ホットアルバムの成功に向け、いろいろな方が応援してくれ、誠にありがたい限り、出あう人、出あう人が好意で動いてくれる。

我が社のホームページを見てもホットアルバムを使おうという気にはなれないという意見をいただいた。

その改良についても、いろいろな方にお願いし、考えていただいている。

弊社のホームページは、写真を守る、写真が100年守れるという、私の理念で埋め尽くされているが、一般ユーザーは、おそらく見る気もしないだろうという

海外のホームページは、理念がきちんと書いてあり、文字で表現しているのも多い

日本人は字が多いとみる気がしないのだという

一億総バラエテイ化してしまっているようなのだ。

エコと同じで、

皆、地球が大変だという気持ちはあるが、省燃費で経済的に安ければ、得になれば、エコに越したことはない、という程度で使ッテいるのだという

それと同じで、

写真が危ないと言われればそうは思うが、別に使わなくてもいい。

困るわけではないから、無理してまで使わない。

HOTALBUMの価値は、無意識に写真を楽しんで、結果的に30年後、100年後に写真が残っていた。無意識に遺せたというところにあるのであって、本当は何がしたいのかが大事なのだと注意された。

ことばは悪いが、アホでもわかる様にしないといけない。。。という。

そういう目で見ると、言われてみるとそのとおり、写真を使ってやりたいことがなにもない、

写真が守れるということ以外には、何ができるのと言うことは何も書いていない。

写真が守れる、ことは分かっているが 

その価値は 写真を残してみて、30年後に分かるものだから、だめですよ。。。と言われる。

そうか、開発者は律儀に理念をかいてしまう。。。

何ができるの?にこたえていない、HPを見に来るのは何かをやりたいときなのだという。

何がしたいのか?を満足させる、

わかりやすいサイトにしなければ、認知は上がりませんよ、

いくらgoogleの検索で上位に表示される工夫をしても、、見て分からなければ、すぐ去ってしまいますといわれる。

その通りだとおもう。

ホットアルバムは写真が守れるという大きな目的のほかに写真を楽しめる沢山の機能があるのに何も言っていなかった。反省する。

例えば、パソコンスキルがいらず、写真を簡単に整理し、家族みんなで楽しめるのである。

ホームプリントも、ワンボタンで簡単にできるのだ

こんなソフトは世の中にない、そして使って楽しいのに、なにも訴求していなかった

こんなことができるというメッセージを伝えなければならない。

① 思い出の写真を大好きな音楽と一緒に大画面液晶TVで簡単に見られる。

② 野鳥も、鉄道写真も、大好きな作品を音楽つきでTVで繰り返し楽しめる

③ 旅行やハイキングの写真を 簡単にビデオアルバムにして仲間に差し上げられる

④ 古い写真をアルバム毎、デジカメで接写しデジタルアルバムに整理し、編集できる

⑤ 人生史を思い出の音楽つきで、コメントつけて簡単に作成できる

⑤ かわいい孫の写真を スライドショーで 音楽つきで大画面TVで楽しめる

⑥ パソコンと連携してCD-RやDVD-Rに保管しパソコンのメモリー負荷を少なくできる

⑧ 遠くに住む両親に子供の写真をTVで見られる形で、送れます

 などなど数え上げれば、いっぱいある。それでも、これでは表現が固すぎるかも。

まだまだやわらかく、

難しいことを誰にもわかるように、

それがお客様最優先の考え方なのだと思う。

もっと楽しいものだということを伝えなければ、いけない。

伝えるということはいかに難しいかがよくわかった。

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2009年7月16日 (木)

どうしても助けたい

どうしても助けたい人がいる。 

2年、再発しなかった、

とても元気だからもう大丈夫と安心していたら、再発してしまい、先月再々手術をした。

経過は良好だが、なぜ毎月検査していても、発癌してしまったか。

毎朝、毎晩、あの方の、病気快癒のお礼をして、感謝していたが、また振り出しとなってしまった。

一心さが。。。足らなかったのか、

必ず神様は助けてくれるから、と信じて一心にお願いし、絶対に元気にしていただきたいと思いながら。

親教会ノ大祭にもお連れし、芝教会の宇津木先生のおばあちゃんが助かった、奇跡的なお話を訊き、

私のためにお話くださったようにおもい、感激したと、おかげで元気になりましたと喜んでおられたのに、

その話し、

宇津木先生のおばあちゃんが18歳でお嫁に教会に来られ、身ごもって直ぐ、

当時日本で40万人が亡くなったスペイン風邪に掛かり、一端息も絶えて、死んだかと思ったが、

絶対に助けると4時間もの一心のお祈りをされて、気がついたら、息を吹き返していたという奇蹟的なお話だったのだ。

私の一心で何とか今度は再発しないよう、絶対に助けたい。

一心に祈り続けてあげたい。

なぜ、再発を防げなっかったか?

最高に落ち込んでいたが、そうではない

元気に病院に行ける体を神様に感謝してあげなければいけないのだと思いなおした。

申し訳ないことだった、

一番心配されているのは、神様であり、教会の先生であり、お医者さんなのだ、

正しい心で祈らなければ治るものも治らない。

大切な方だから何としても助けたい。

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2009年7月14日 (火)

師の誕生祝い (数え年の還暦祝い)

恩師川喜田二郎師はなくなったが、新しい師の還暦祝いに参加してきた。、

本来こういう、お祝いは昔は数え年でやったものだが、最近は満年齢での祝いが多くなった。本人はまだ還暦ではないと怒っていうが、大勢の企業の社長が集まっての前祝い、盛大だった。

本当におめでとうございます。

橘三朗 私の最近の師である。7/11生まれ 59歳 、 すべての12支(干支)が12回まわったことになるめでたい年が還暦である。

来年から、また新しい干支が始まり、第二の誕生年となる。

私の生活姿勢や人格 は親譲りの金光教の教えが、もちろん基本だが、心の持ち方以外には

仕事に関する、ビジネス感、や経営姿勢、洞察力、戦略眼など、大きな影響を与えたのは

先週亡くなった川喜田二郎博士、

中山正和博士からも 工学禅、釈迦のお教えなどを学び、ひらめきの構造や、KJ法につながる、正しい発想法のあり方を科学的に教えていただいた。

この方の影響も大きかった。

定年後に創業し、

知り合ったのが橘三朗氏、この方が主宰する、三略会に入会させていただき、100人近い企業の社長さんとお知り合いになることができ、またまた多くの影響を受けている。

しかも、有数の企業のtopばかり

師からは中国歴史や 故事、戦略を学びながら、、その新しい友と語り合える日を与えてくれる。

日ましにこの方たちと親しさせていただける楽しみな会となっている。

いい老後を迎えられそうな気がしている。

こんな定年後はありえない、有難いことである。

しかも、付き合い方が、違うのである。会社のOBや仲間とはまったく違う仲間つくりがされている。

大人になってカラの幼馴染的な付き合いを橘氏が求め実践させているのだ。

各層の代表の橘先生へのお祝いの言葉、挨拶がすごい、みな親 以上に感謝し、影響を受けたことをにじませる。

聴いていて、何度も何度も目がうるんでしまった。

大企業の社長さん達が、皆、口をそろえていうのである、

相談に行ける第二の親父だ、あの時、こんな言葉をいただいた、あの時こんな出あいを作っていただいたと、

たしかに、社長になったら孤独である、実際には感激する機会など誰からも与えていただく事はないのが普通。

実際の父はいないし、いたとしても、相談できるとは限らない。

先生からいろんな場面で助けられた方が多いのだなと実感した。

私は、この会に入ってまだ1年たらず、それでも10年、20年の方たちとなんら変わらず扱っていただける。

この年になって、これだけ多くの友人を紹介いただき、幼馴染にさせていただく段階にある。

そして1生一回の還暦[数え]の祝いに参加させていただけ、あり得ないことと感謝したい。

老後の私の人格形成にまたまた大きな影響を与えようとしているのがこの御仁であろうか。

皆神様のお差し向け戴いた師である、大切な友である、一期一会を大切にしよう。

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2009年7月12日 (日)

川喜田二郎先生ありがとう、半生記2/2 「KJ法で生かされる]

(昨日に続く  長文です お暇なときゆっくりどうぞ )

さらに社内の国内留学制度にも抜擢され、東京都立大学の工学部に派遣されることになりました。

  

此が悲劇のはじまりでした。

このころから、だんだん体の調子がおかしくなってしまいました。

大学に行きながら、仲間に指示をするのが、後ろめたく引け目を感じてしまい、チームをうまく運営できなくなってしまったのです。

学校に行っている間の事情もわからず、成果が出せない焦りと、上司からの責めもあり、葛藤で心が病んでいったものと思われます。

会社の門を入ると、気分が落ち着かず、冷や汗が出て、頭が重くなり、出社するのが嫌になってしまうのです。

そんな事が数ヶ月続いたある日、突然腰から下に力が入らなくなり、実験室で倒れてしまいました。救急車は外聞が悪いと言うことでバンに乗せられ、近くの病院に入院いたしました。いくら検査しても原因は分からず、結局、自律神経失調症と診断されました。今でいう心身症陸奥病の一種かもしれません。

 

退院しても、怖くて会社にはいかれず、出勤しては、すぐ休むという状態が続き、小さい子供2人と踊りながら家で笑う練習をしたり、車の中で一人大きな声で笑って見たり、何とか明るい自分を取り戻そうと懸命に努力をしました。

教会にもお参りし、小さい時から、おかげは和賀心にありという天地書付を信じていたこともあり、ありがとうとか、何事にも感謝する心とか、心の持ち方でおかげが頂けるものと思い一生懸命、努力しましたが、一向によくなリません。小さな子供と女房を抱えこの先暮らしてゆけるのだろうかという不安が募り、深刻に自殺まで考えるほど落ち込んでゆきました。

さらに突き放すように教祖様のご理解が目に入ってきてました。

“どんなにいい人だからと言っても、本人に真の信心が無ければおかげはないぞ“

”何をせよとも、拝めとも言わん、たった一つ真の信心をせよと言うのがわからんのか”

“なんぼう,金光が頼んで拝んでやっても、本人に真の信心がなければおかげはないぞ”というようなものでした・

どうも和賀心とは、ありがとうや感謝の心だけではなさそうだな。そんな生やさしい信心でこの病気が直るはずはない、という気になってしまい、本当の和賀心ってなんだろう、真の信心ってなんだろうと考え込んでしまったのです。

そんなある日、そうだ、こういう時こそKJ法を使えばいいんだ、KJ法なら、教祖様から直接お言葉を聴くように和賀心の意味がわかるかもしれない。

そう思ったら藁にもすがりたい気持ちでしたから,すぐKJ法のカードを用意し開始しました。ご理解のすべてをカードに書きだし、じっくり眺めながら、似たようなご理解を34枚ずつ集め80くらいの小グループにまとめました。34枚の小グループのカードを読んで、全体の意味からはみ出さず、かつ寸足らずにならないよう、まとめの言葉を考えるのです。

 

それを小グループの表札としてつけます。ご理解の意味を勝手に解釈するのではなく、深い意味や心を読み表札としてぴったりの言葉を書き出して行くのです。1人ですから時間が掛かりました、2週間くらいかけたでしょうか、小分類から、中分類へ、そして大分類へと進めます。そして最後は、大分類を一つの言葉にまとめるのですが、これがご理解すべてを代表する、神様が本当に言いたかった一言、和賀心の意味になるはずなのです。

    み教えをKJ法で解読したら

結果は以下のようなものでした。

“天地のおかげを知ったら、神様と一つ心になって、おかげのお礼に人を助けよ、お前のことは神が良いようにしてやる”というものでした。

知りませんでした、真の信心とは、和賀心とは人を助ける事だったのです。

人を助ければ、お前のことは神様が必ず良いように計らってやるから任せ切って人を助けろと言う意味でした。

びっくりしました。

今まで人を助けるのは神様と教会の先生の仕事、信者は自分の都合の良い事を神様にお願いしおかげを戴くのが信心と思っておりました。

そういえば、教祖様は、神様はすべての人に平等におかげを授けてある、生きていること、生かされている事そのものがおかげである、まず生かされていることにお礼を申し、お礼には自分のことより人をたすけなさいという事であったのです。

神様は、人に天地の道理、人の道を教えることはできるが、人を直接助けることはできない。

人を助ける事ができるのは人であり、神の願いをかなえるのが人である。 人を助けて一人の神になれ、ひとを一人助ければ一人の神が心に生まれる、

そういう人の道を説いていたのです。

  

今までの自分の信心は何だったのでしょうか、

“神も助かり”人も助かる、どころか、自分の都合良いことだけ神様に願い、御利益を得る、ことしか考えていない、それがおかげだと思っていました。

自分の都合良いことに神様を使うだけで、生かされているお礼どころか、自分勝手の苦しさだけを嘆き、上司を恨み、自分がすべて犠牲者のように、人のせいにして、勝手に悩んでいただけではないか?ということに気がつかされたのです。

そして、神様に何を願っていたのでしょうか?邪魔物をすべて排除して、自分の都合の良い様にしてほしかったのか?

考えてみれば、神様を自分の都合良い事だけに使う道具か奴隷のようにしか考えていなかったようなものです。なんというご無礼な信心だったのでしょう。

そして、KJ法でご理解を読み解いたおかげで、この先自分は何を、どうすればよいかは、もう十分わかっておりました。

ご理解を毎日毎日じっと眺めているだけでも、結論が出る前に心が拓かれ、改まってしまうのがKJ法の良いところなのです。

自分だけが助かる道を願っても、神様はけして喜ばない、意味がない、此れから入社してくる新人や同僚が、みんなが助からなくては、神様が喜ぶはずがないのです。

この古い徒弟制度の研究室を、神様の力を借りて、みんなが生き生きと夢を持って働ける研究室に作り替える事が、私が助かる道だ、それがおかげになると気がつかされたのでした。

人が助かる信心、神様の手助けになり、神様が喜ぶ、これが信心、心の改まりなのだと理解出来たのです。

何年かかっても、一生かかってもこの研究室に陽を当てようと思いました。そしてその瞬間、病気の事はすっかり忘れておりました。

治ってしまったというか、人を助ける方法を考えるのに忙しくなってしまったのです。

そして何事も時節を待てと言う教祖様のお言葉が、ここはじっくり時間をかけ、上司の理解を得ながら、上司の力を借りてやリ遂げるぞと思わせてくれたのです。そして、その前に、まずは自分たちの力をつけよう、焦っては、単なる若者のわがままとなってしまう、それでは神様も喜ばれないだろうと思ったのです。

   職場で実践したこと

まず、若い人と同僚に呼びかけ、早朝630分に出勤し、英語の原書での写真化学や色再現の勉強会を始めることにしました。毎朝早朝は大変きつい勉強会でしたが、専門知識と英語はいつか必ず役に立つ、将来必ず喜んでもらえるはず、ここは嫌われてもやろうと強制して始めてしまいました。

これはすぐに周りの評判になり、他の研究室からも参加者が出てきました。それではと今度は、私が周りの研究室の月報会に参加することにしたのです。

そしてそこで、報告者全員に意地悪質問を必ず一つすると、誓いを立てました。月報会での意地悪質問は相手が最も嫌がりますが、愛情さえあれば、結果的には相手のためになり、自分も鍛えられると思ったのです。

今度は神様のお手伝いだから、どんなに嫌われてもいいが、愛情持って厳しく当たり、人を助ける修行をしようと思ったのです。研究テーマの目標もうんと高くしました。実現する方法は仲間で考え、KJ法でまとめ、やり遂げる癖をつけよう、そして、できるだけアカデミックな進め方を心がけ、学会で発表できるような内容に整えていったのです。

自主的な勉強会やアイデア会のおかげで、互いに助けあい、アイデアを出し合う風土が定着し始めておりました。まだ自主的な活動ではありましたが、管理されない活動がいかに良いアイデアを生みだすか、だんだん皆に理解されて行きました。

そして4年くらいたったでしょうか、突然、不思議なことが起こったのです。ある朝、大きな組織変更が発表され、上司が一辺にいなくなると言うのです。びっくりしました。研究室の室長が側近を全員連れて、カラー写真の技術サービスという新しい部門を日本橋室町の旧本社ビルに作ると言うのです。

   

おまえ達は戦力外と言わんばかりに、残ってがんばれ、力をつけたらまた呼んでやるというような挨拶でした。何ということでしょう、神様はものすごい事をやるなと思いました。私の願いは思いがけなく早く実現するかもと、大喜びしたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。転出した上司の代わりに新たな管理者が人事から補充されてきました。それでもみんなに思い切った商品企画を提案させ、挑戦し続けました。若い力だけで、少ない戦力で、どれだけやれるか、毎週のように休日出勤し、徹夜でアイデアをだし、技術突破をしてゆきました。

  

6年目くらいでしょうか、新しい上司も異動する事になり、とうとう私がトップになってしまい、初めて、人が助かる完全なフラット組織、管理をしない自律的な自分たちの開発チームを作らせて戴くことができるようになったのです。

   仕事を通じて人が育つ

人が助かる組織でもっとも大事にしたのは、仕事を通じて人が成長する喜びを感じられる事でした。仕事の成果は二の次、人が成長しさえすれば結果はついてくる、会社の利益より,お客様のためになるテーマを選ぶ事としました。

仕事はお客様のため、社員が成長するためのものと決め、徹底して高い目標を掲げ、挑戦したのです。きっと神様が後押ししてくれると、ドンドン挑戦させ、どんなに若くても、新しい大きな仕事をやらせました。

   

やり方は教えず自分で考えさせ、やらせてみたのです。成長するためにはこれが一番良い方法でしたし、何よりやり甲斐が出ると考えたのです。若い人を交代で数ヶ月間、海外に武者修行に出し、語学と度胸をつけさせようと人事に提案し、実行しました。

この間の事故は、ある若者がドイツの陸軍基地のフェンスに車をぶつけて施設を壊し、問題となった1件だけというおかげも戴きました。もし旅行中に大きな事故があったら私は確実に首になっていたでしょうから、大きな賭けでもありました。

もう一つの大きな改革は残業問題でした。下手な仕事を夜遅くまでだらだらやった方が給料が沢山もらえるという、悪循環を断ち切りたかったのです。人間は仕事8時間、遊び8時間、睡眠8時間が基本だと宣言し、毎日定時で帰っても成果さえだせば、十分給料がもらえると言う、残業改革を行ったのです。

残業予算をたっぷり取り、そのすべてを私が預かりプールしたのです。アイデアを出して人を助け、助けた人の給料があがるようにしたかったのです。さっさと仕事を片付け、要領よく、高い目標をクリアしても、毎日早く帰ってしまったら、残業代はつかず給料は低かったのです。

   

研究のアウトプットは時間の関数ではない、たった一つのひらめきやアイデアで1年や2年分の給料に匹敵するような成果が得られるのだから、アイデアをだし、人を助けたら、その人が定時で帰っても、給料はどんどん上がるようにしなければ、おかげにならない、と思ったのです。

  

みんなにアンケートをだして訊きました、残業代を私がプールし、毎月お互いの公平な相互評価で、残業代を配分する方法を提案したのです。100%の支持が得られましたが、難題は人事の抵抗でした。ほとんど不可能でしたが、粘り強く交渉し、最後は見ないふりをするという味な采配で決着させたのです。

   家族のようなチームとリーダー像

人を助けたらそれなりの評価と報酬がなければ、誰もついてきませんし、長続きしません。なんと言っても“おかげは人を助ける事にあり”を仕事でも実現したかったのです。そして各チームには管理者をおかず、仕事に応じてメンバーが自由に移動し、助け合うアメ-バー型の集団天才組織を作り上げたのです。

   

家族のようなチームを作るために、リーダー像をみんなに考えてもらいました。みんなが考える理想のリーダー像をKJ法でまとめ貼り出しました。“常に夢を語り、高い目標を掲げ、メンバーに成功させるよう工夫させ、これを支援し続ける人”と言うものでした。そして教祖様の教え通り、チームは飲み会でも職場でも、陰で人の悪口を言わない事を徹底させました。家族のように助け合い、信頼感のあるチームを作りあげるためには、陰口をなくすことが絶対必要だったのです。 

その2年後、ある商品開発会議が小田原工場で行われ、その帰り道、機器開発部門の部長さんから飲んで帰るかと誘われ、2人で新松田駅前の居酒屋に入りました。かなり飲んだあと、その部長が突然身を乗り出し、「だいたいお前のところの処理剤研究室のようなものがあるから、写真が進歩しないんだ、写真だからといって何百年水洗していれば気が済むのだ。

    

いつまでも工場でボイラー炊いて写真を処理していたのでは、機械が小さくできないじゃないか」と言い出したのです。普通だったら、なぜ水洗が必要か、延々と原理的科学的に説明してあげるのですが、正直、此はすごいテーマだ、そんな発想、神様しかできないと思いながら、いただきという感じで、うれしく有り難く聴いておりました。それこそお客様のためになるテーマで、膨大な水資源とエネルギーを削減でき、世界をひっくり返せそうな、テーマだったのです。次の日から全員集め、アイデアを出し実験を始めておりました。そして悪戦苦闘3年、1984年、世界で初めてカラー写真の処理から水洗処理をなくした無水洗定化処理の開発に成功したのでした。

   町の写真屋さんで処理できる技術

私はカナダのオタワに飛び、国際写真学会の画像保存分科会にこの技術を発表したのです。 業界は騒然となりました。何せ、写真史上始まって以来の快挙でした、日本の企業の若い開発チームによってカラー写真の歴史が塗り替えられたのです。この日以来、この技術は世界に広がり、写真は町の写真屋さんで1時間で処理できるようになりました。

  

  

そして今まで、1本のフィルムと24枚の写真をプリントするのに、95リッターもの大量の温水が必要でしたが、無水洗、安定化処理では、たった200cc(およそ牛乳瓶1本)の処理液で処理できるようになったのです。この発明のおかげで、膨大な水資源と、ボイラエネルギが節約でき、機械も1/5くらいのコンパクトなものとなり、絨毯の上で写真が処理できるようになったのです。社内ではこの研究室は大変な評価を受け、研究室は開発センタ-に昇格し、私はセンター長となってしまい、広い範囲の研究をになうことになりました。

この組織は、どんどん大きくなり、その後も世界初のカラーコピー機や、錠剤ケミカルの開発,世界初のデジタルミニラボまで開発し、写真の歴史を塗り替えていったのです。

組織が大きくなり、私が出世しただけでは、人が助かったことになりません、それでは神様に叱られます。しかしこの組織は、いくら大きくなっても、家族のように、仲良しの、やりがいを持って助け合える仲間で作る組織のままでした。毎年行われる人事の意識調査、自己申告職務分類というのがあったのですが、此によりますと、すごくやりがいを感じる、と、どちらかと言えばやりがいを感じる、の、2つの合計が75%、どちらともいえないが、15%。一般の職場では、どちらかと言えばやりがいを感じないが75%もあるのが普通でしたから、社内ではダントツの生き甲斐、やり甲斐集団が出来上がっていたのでした。

    

よその職場のどんなに落ちこぼれた社員をもらっても仲間が家族のように育ててくれ、皆一流の研究者になって行きました。無水洗処理の主要技術の発明者の私は、こののち1996年に、特許庁関係の全国発明賞をいただき、1998年科学技術庁長官賞、翌年1999年には紫綬褒章をいただくことになったのです。

この技術が世界に広まり、膨大な水資源と石油資源を大きく節約したという環境保護が評価されたのでした。

   人を助けるという神様へのお手伝いは、人が生き生きと働き、人が助かる職場を作るだけでなく、自分たちのひらめきや多くの発明をも生み出してくれました。

人を助けることは間違いなく自分を助け、大きなおかげが頂けるのです。

此がわかってからは、“人を立てれば蔵が建つ”を口癖にして、若者に人を助ける利他的な精神の効用を説きました。。

遺伝子工学の筑波大名誉教授の村上和雄博士も 細胞や遺伝子の働きから見て、人を助ける利他的行為が遺伝子のスイッチをオンにし、ツキを呼び、癌や病気を治したりするのだとも言っております。

神様はアホが好き、とかとも言っておられ、アホになって人を立てていると、自分がもっとも生かされるのです。

ひらめきやツキを呼ぶのも、利他的な人を助ける行為から、遺伝子が不思議な働きでスイッチオンをするのだそうです。

おかげは“人を助ける心”にあり

31歳の時心の病気で悩み苦しみ、

教祖様の教えの、おかげは和賀心にあり。。。という本当の意味を知りたくて

おかげが欲しくて、病気からのがれたくて、KJ法を使って 、

おかげは人を助ける心にあり“と知ることができました。

川喜田二郎氏のKJ法で教祖様の教えを正しく理解でき、病気が治るどころか、膨大なおかげおいただきました。

おかげを戴ける道は、正しい人の道であり、自然の理にかなった生活をすること、そして、それは利他的な道であることをKJ法で知りました。

川喜田先生の御冥福をお祈りいたします。

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2009年7月11日 (土)

川喜田二郎先生ありがとう、腕白小僧の半生記 1/2

最近IT関係企業の経営者とお話しすると、ソフト開発者のうつ病 が多いと聞く、

私も若い時に、同じ様な病に陥ったことがある。

どんなにわんぱくでも、むしろわんぱくだからかえって、心は病みやすいと言えるかもしれない。

ガソリン殺人など、最近、多くの、若者が病んでいそうな気もする 

川喜田先生に捧げるつもりで、恥を忍んで、参考になるかどうか分からないが、ある教会で、お話しさせていただいた、私が若い時の心の病とその解決の経緯について、その原稿を転記して、掲載しようと思っている。

  

若い人の参考になれば幸いとおもう。

私は、金光教の津久井教会[神奈川の北部の山間の町] にお参りする両親の家に3代目の信者として、生まれました。

津久井教会は、初代の田谷八重先生が昭和2年に拓かれたものですが、八重先生は旦那さんの赴任先神戸に住んでいたのですが、そのおり,縁があってお参りした御影教会で大変大きなおかげを戴いた熱心な信者だったそうです。

  

ところが突然旦那さんが不慮の事故で亡くなってしまい,傷心の思いで故郷に帰って来たそうです、御影教会での金光教の清心な教えと、戴いた数々のおかげが忘れられず、津久井の人にもこの素晴らしいおかげを授けてあげたいと、自宅を改造し教会を始められたそうです。

ものすごく、熱心に強烈な祈りをする先生でしたから、医者が見放した信者が御神酒で直ってしまったとか、何回も検査し確かにあった癌が手術の前日にはすっかりなくなってしまったとか、お母さんが危なそうな難産の赤ちゃんが、ご神米を握って生まれて出てきてお母さんを救ったとか、沢山の奇蹟を起こし、ものすごい勢いで広い地域に信者さんが広がっていったそうです。

  

私の両親が結婚したのが昭和4年、母親の家は、津久井から相当離れた、相模原市ですが、すでに津久井教会の熱心な信者になっており、その家から嫁に来た母親がお舅さんの重い病をご神米で直して差し上げたことから、父もすぐ熱心な信者となったようです。

子供の頃の教会ではお説教のあと、必ずおかげ話が行われ、それも皆、奇跡的なものばかりでしたから、子供心に、そんな事がいっぱい起こるわけがないだろう、金光教は心を正しく生きるための教えを説く宗教やと思っておかげ話には、多少うんざりしておりました。

生家は、そこそこに、裕福な農家でしたが、村の良家の息子達が、東京の大学を出ても仕事にも就かず、家でぶらぶらしていたこともあり、農村の子供が高等教育を受けるとろくな事にはならないと言う偏見が父にはあり、仕方なく、私は工業高校の工業化学科を卒業と同時に、農業を勧める父の反対を押し切って、東京日野市の小西六写真工業に入社しました。配属されたカラー写真の現像処理の研究室は、古い徒弟制度がまだ遺っており、毎朝上司から実験計画を聞かされて実験をするだけで、結果は見せてもらえませんでした。

   

明日の朝までに次の実験を考えておくから、お前等は帰れという感じで、実験助手は単なる道具あつかいでした。負けず嫌いでしたから、なにくそと、自分で結果を見てから上司に渡す事にし、隠れて次の実験を考え、上司の実験と一緒に実験してしまい、結果を競って力をつけようとしておりました。

誰も処方を教えてくれなくても、自分ですべての成分を分析し、処方を解析してしまう力を持っておりましたし、経験を補うために、川喜田二郎という文化人類学者が発明したKJ法という彼のイニシャルをとった名前のデーター解析と発想法を身につけて使いこなしたりしておりましたので、10年くらいでかなり力をつけておりました。

そんなおり、大阪万博に参加するための開発チームが八王子工場カメラの特需課と言う部署と結成され、処理の研究室からは、私が派遣されました。

そこは知らない方ばかりでしたから思う存分力を出すことができ、KJ法を使ってみんなのアイデアを纏め、大型のカメラでカラーペーパーのロールに直接撮影する入場用のID証を作る事に成功してしまったのです。これが万博関係者の入場登録証として採用されただけでなく、

その後警察庁にも認められ日本の運転免許証としても採用されてしまいました。社内ではこれが評価され、高卒でありながら,小さな研究グループを任されることになったのです。

(明日に続く》

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2009年7月10日 (金)

我が師 川喜田二郎 逝く

KJ法の発明者 文化人類学者の 川喜田二郎博士が東京の病院で、お亡くなりになった、89歳だったとの事、

私の一生の師でもあり、あまり話したことはなかったが、命の恩人でもあった。

日本に東洋的な禅の思想を基にする発想法の先生が2人いた。

NM法の中山正和氏とKJ法の川喜田二郎の両博士だ、

  

私が、若い時このお二方の理論を徹底して学び、実戦でも使わしていただいた。

おかげで仕事でも、大いに助かったし、実は31歳で、心の病になり、会社に出られなくなった時、自殺まで考えていたのだが、ふとKJ法を思い出し、教祖の教えを読み解いて、世が開けたたという、私の隠れた過去の歴史があるのだ。

 

のおかげで、今があると言っても過言ではない。 

そういう意味で川喜田さんは命の恩人と思ってる。

南極で基地に船から石油を運ぶのに、氷でパイプを作った、今西錦司博士の弟子で、探検家でもあった彼が、一枚一枚の探検データーをまとめる方法として、発明したのがKJ法だった。

  

事実だけを書いた調査データーをカードに書き、カードが語るにまかせて発想するという、素晴らしい方法だが

物事を主観的にみるから、正しい発想ができないのだとして、客観的な事実を積み重ね、正しく深層をえぐりだし、

正しい答えを導く手法でもある。そういう発想法を確立したものだが、これに匹敵する方法を、未だ私は知らない・

彼の功績ははかり知れないと、感謝もしている。

ご冥福をお祈りする。

お恥ずかしいが、私の過去の心の病を治してくれたKJ法の話をある教会でお話した原稿がある、

これを、6回くらいに分けて,記載したいと思う

川喜田二郎博士への追悼の意味も含めて恥を忍んで公開しようと思う。

先生ありがとうございました。

お疲れ様でした。KJ法はまだまだ引き継いで広げてまいります。

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2009年7月 9日 (木)

腕白小僧 の お参り

小さいとき、6人兄弟の一番下で、いたずらっ子で手がつけられないような村一番の腕白小僧だった。

両親は何とかおとなしく、育てようと、よく山里の町の津久井教会に私の手を引っぱってバスに乗せ、連れて行った。

教会の外で遊ばせてくれず、神前にづっと座らせられ、お取り次ぎとお説教を聞かされた。

神様なんかどこにいるんだよ、と子供ながらに親父に反抗するのだが、

親父は口癖のように、信仰は自分の心の修養だ、天地に感謝、人に感謝しろと説いた。

おまえにも見えないだろうが立派な心があろうが、

心が見えるか?

確かにあるはずの心だが、どこのあるかは見えないんだよ、

それが神様だと、

体は骨や肉や血でできているが、心がそれを動かしている。

心はもっとも大事なものなんだ。

お前の心と同じく、この宇宙にも、地球にも、天地の心があるんだよ、

見えないが、確かにあるのが、天地の心、神様だ、

よく見てみろ、

何で朝、陽が出て、夜沈み、雨が降って、川が流れ、植物が酸素を出して、すべてが アンバイよく生きられるか?

天地の心が一生懸命働いてくているからだ。

おまえもいたずらばかり考えてないで、少しはそういうものに感謝し、心をただせ。。。何が悲しくて、そんなに夢中になって毎日いたずらばかりするんだと、しかられた。

それでも、毎晩、夕方になると、家の前には苦情の列、

近所の子供のお母さんが何人か毎晩苦情を言いにきていた。本人はいじめたわけではないとおもっていたが、相手にとってはいじめられたのであろう毎日苦情がきた。

教会でも、なんともならんときは、近所の旧家、河津(後の相模原市長)ノおばあちゃんに、お灸をすえられに連れて行かれたものだ。今なら一見虐待ととられようが、けして虐待ではなかった。、

親も相当手を焼いていたのだ。

4歳くらいですでに、親父に追い出され、納屋に隠れて寝たこともある、

戦後初めてできた、幼稚園を夏休み前に先生が家にきて、何か話をしていたようだが、9月からはもう行かなくてよいと、結局退園であった。

そういう親に育てられても、いたずら小僧のDNAは生まれつきのもので、小さいながらに確立した心があったようだ。

そんな子供ではあったが、反発しながらも、見えない天地の心、神様を実感し、心にだんだん効いてきたようで、

中学で番長グループを抜け、まじめに勉強しはじめ、

ろ周りには、人一倍気を使う、素直な高校生になり、成人していった。

その後、神様をまじめに意識し始め、他人に感謝、気を遣う性格に替わってしまったことで、いろいろ葛藤があり、31歳で大きな心の病になるのだが、

現代病の代表的な心の病の治し方の参考にもなるから、

その後の神様に守られた私の一生の心のよりどころと大きなおかげをいただいた、お話を続けてみたいと思っている。

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2009年7月 8日 (水)

KJ法

昨日、ある方の紹介で、若いマーケッテイングコンサルタントの方とお会いした。

ホットアルバムの普及促進 デファクト化について意見をいただいたのだが、

私からはあまり説明しないうちに、彼の方から、それなりの現状認識や攻め方、売り方について話し出したのでびっくりした。。

直感ですがといって、

実は私も今回、ご紹介され、御社のHOTALBUMを初めて知ったのですが、実は最近家のパソコンがクラッシュしてしまい、写真を取り戻すには40万円もかかると言われ、妻からしかられていたんです。

そこで早速使ってみて、これはよいと思いました。

パソコンと連携してダブルで保管できるし、ファイルネームを16桁のユニークなものにするので上書き誤消去されない。

でも、こういうのは宣伝しても、なかなか使わないでしょうね?

だから、実際に使ってもらえる既存のビジネスに乗せる、必ず試用体験させることを通じ、拡販する。。。

という線で1極集中したほうがいいノでは、それしかないですね。

ということを話された。

よくそんな短時間で弊社の実情も、戦略もわかるな、しかも自信満々に、実によく把握し、明快な答えを出してきたのにはびっくりした。

大阪出身ののりのよい、若手マーケットクリエイターだがしっかりしている。

理由をお聞きすると、

驚いたことに弊社のHPや事前の資料を元に、現状認識をKJ法で解析したという。

今の現状は発散し過ぎていませんか?

KJ法でぐっと絞った方がいいですよといわれてしまった。

KJ法がここまで、若い先生に使われているとは思わなかった。

川喜田教授は、体に栄養が必要なように、頭にもKJ法で整理されたような情報が必要だ、そして問題を常に創造的に解くことが頭の栄養になるのだと。

解決もできない問題を頭の中にごちゃごちゃさせているから病気になると、

そして創造的な仕事ノ条件とは、を KJ法で読み解き、

①切実であること

②自発的であること

③お手本がないこと、としてよく説明していた。

ところが、ある意地悪な生徒が質問した。

切実であれば、失敗できない、お手本がなければ失敗する、切実であれば、自発的でなくなる

これは矛盾ではないか?と質問した。

相当考えたあげく、さすがはKJ法の創始者、

創造性とはあい矛盾する事柄を一刀両断で解決する、一挙両得のような解決策を持ってくることなのだと答えている。

そうなんです、なぞなぞの心のようなものなのです。

HOTALBUMは使わなければ良さはわからない、良さをしらなければ、なくてもすむ。

パソコンがクラッシュして、写真を失っても、別にHOTALBUMを知らないから困らないのだ。

使わなくても、良さがわかり、使いたくなってしまう

そんな矛盾を解決したいと思っている

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2009年7月 7日 (火)

六根清浄

 昔、山登りの時、六根清浄と書いた杖を持って、”六根清浄お山は晴天”とか言いながら登ってきた人たちがたくさんいた。我々は山岳部であったからそんなことはまったくしなかったが、富士山などでは今も沢山いると思う

当時から最近まで、この「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)の意味さえ知らず、考えたこともなかった。

最近、ある教会で、立教の基としてあげていたものを読んでみてびっくりした。

天照皇大神宣わくという出だしの言葉で始まるが、

これは日本の素朴な信仰の根本なのかもしれないなと思わされた。

以下に概要を記す。

”人はすなわち天下の神物なり、心はすべてのもとなり

それゆえに、我が心を傷ましむる事なかれ,

”眼に諸々の不浄をみても、心に不浄を見ず、

”耳に諸々の不浄を聴いても、心に不浄を聴かず、

”鼻に諸々の不浄を嗅いでも、心に諸々の不浄を嗅がず、

”口に諸々の不浄を言いても、心で諸々の不浄を言わず、

”身は諸々の不浄に触れても、心で諸々の不浄に触れず、

”意に諸々の不浄を想っても、心に諸々の不浄を想わず、

 ”この時、清く、潔き、良きことあり、

”諸々の法は影と像のごときなり、心清く、潔ぎよければ、穢れることなかれ、

”我が身は六根清浄なり、

”天地の神と同根なり、天地の神と同根なら、万物の霊と同体なり、

”万物の霊と同体なら、為す所の願い成就せずということなし

これは、こころ正しければ願いかなわずということはないと、

何かおかげは和賀心にありと言われているようでもある。

いや、誠にありがたい、日本の根本に触れた様な気がする。

どっこいしょのかけ声もここが基らしい、

どっこいしょはやさしいが、六根清浄はなかなか難しい事でもある。

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2009年7月 6日 (月)

3人娘

我が家は3人娘だが、最後に残った3女も長男の方とお付き合いしているらしい。

上の娘の2人も長男に嫁いだから、家を継ぐ、跡継ぎはいないことになる。

我家は、分家であり、実家の兄が嫡流だから、名前が絶えても大きな問題はない。

少しさみしいが。

孫が3人、まだ増えるかもしれないが、DNAは確実に継承され、このうちだれか必ず結婚し、子供をもうけるだろうから、絶えることなく引き継ぎできた、役割を果たした感がある。

思えば不思議な満足感がある

百五十八億年前に、宇宙が始まって、そして46億年前に地球ができ、生命が生まれ、その遺伝子がづっと継承されてきたことになる、どこにも切れ目がなく、引き継がれてきたということだから、誠に、ありがたい。

この何万年の間、結婚前の誰か一人でも、途中で死んでしまったら、私と言う存在は全くないことになる。そして私のあとの、子供も、孫もいないわけだから、今生きているということは限りなく奇跡に近いことなのだ。

よくぞ人類が生まれてから、何万年もの間、私の祖先はここまで続いて来てくれたと感謝してしまう。

私のところは新盆だから、来週はお盆で、両親も還ってくる。

そんなことを思いながら、両親のお墓のお掃除に行ったら、すでに兄がきれいにしてしまっていた。

まだどこのお墓もおそうじ前の時期なのに、兄は、私に掃除させるのは、恥ずかしいとでも思うのか、常に、早め、早めに掃除する。

分家の弟に先を越されては、先祖に申しわけないとおもうのだろう。

私の兄弟は6人いるが、その兄弟の子供は、姪が14人、甥はたった一人しかいない。

運よく嫡流ノ兄の家に男の子がたった一人生まれたからよかった、さらにこの男の子が結婚し、生まれた子供も男の子が出来たから実家は安泰だ、家というのはそれでよいのだ。

兄弟6人から、これだけ沢山の子どもがうまれ、家族が広がったが、まったくの女系でこんなに偏っているのに、全国的な男女のバランスは大きく崩れてはいない。これも不思議なものの一つだ。

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2009年7月 5日 (日)

和の心

昨日は、栃木県の小山グランドホテルまで、妻と車で出かけた。

金光教の関東教区信奉者研修会、結城教会の大木先生の素晴らしいお話をお聞きし、懇談ノあと、懇親会にも参加。

お酒を飲ンでしまったため妻の運転でゆっくりかえってきたカラ夜中になってしまった。

お話は、教祖様時代のような奇跡的なおかげを沢山戴いた時代と違い、3代目ノ信者や教師の時代となり。。。、ああこれが神様か。。。というような大きな奇跡的なおかげの体験もなく、神様を実感する事ができなくなっている中で、

どう信心すればよいかというお話であり、神様を信じ切り、神様のお心に叶った生活をという、ような内容であった。

私の父親は、口癖のように、信心とは神様に心が向い、気持ちを正すこと、自分自身の精神修養だ、しかも幸運の神様だからこれ以上ありがたいことはないと、

自分の願いばかりのご利益信心ではなく、人が助かりさえすればいいという神さまの願いにかなった人間になることというお話には、同感である。

父が言っていたように、世界でも珍しい宗教で、純粋に心を正しくすることを教え、人の助かりを一心に願う、およそ欲のない神様だと思うが、

最近茶道を始めてつくづく思う

利休は、荒くくれた殺傷ばかりの武人の心を相手への(相客)思いやり、おもてなしの心など和の心 を 茶を持って教えたのではないかと考えている

金光教ノ教える”和賀心” はまるで茶道にも通じる、いや逆だ、茶道も実は立派な宗教なのではないか、禅もそういう意味では同じかも、

自然を生かし、小さな日常の空間に壮大な宇宙を映し、天地の働きを冒しがたい荘厳なものと、おいて、侘び、質素に徹し、心は大きな真でもてなす。

むしろ茶道のようなものでない宗教は、本当の宗教とは言わないのかもしれない。

実家からこの道を我が家に嫁入り道具として、伝えてくれた、亡き母には感謝している。

   SF作家のかんべむさし氏も、

SF作家が出逢ったおもろい神様という副題の ”理屈は理屈、神は神”という著書で、

よくぞ俺にぴったりのこんな宗教があってくれたことよな、と

優しくて穏やかな宗教だなあ、間口が広く、寛容で義務や強制が一切なく、押し付けず、すべて自由意思、に任せる。

束縛を嫌い、受容されるのを好む、今時の若い人に好まれるだろうな。。。と言ってくれているそうだが、

実際は欲がないから、およそ伝わらない。

それはそれでよい、茶道と同じなら、自由なのだから。

教祖時代は、みな信者が ひとを助けるという 強い心で信心したから、広く一気に広まった、

今は自分の心の改まり、何事にもお礼を言う気持ち、感謝の気持ちなど、自分の心の改まり、やおかげが、中心となり、

人の助かりを願うという利他的な強い欲が信者になくなり、外、特に若い人には伝わらない。

日本が世界一の自殺者を抱える国、しかも飛びぬけて高い自殺率、これは宗教がない国の特長だとも言われている。

たぶんそうだろう、

キリスト教圏は日本の半分、中東地域は自殺者ゼロ圏だからたぶん宗教と関係あるかもしれない。

宗教と言えば皆オカルト的に毛嫌いし、子供には社会常識や、精神のあり方すら教えず、勉強だけを学校に押し付け、責任を果たせないい親が多い中で

それでは心は誰が育てるのか、今こそ子供たちに、宗教でなくても、何でもいい、

世界に通じ、世界に誇れる日本の精神文化、それは禅でもいい、茶道でも、弓道でも、剣道でも、良い、子供や若者達に伝え、心を正しく、強靱に育てる。

そんな何かを伝えてほしいと願う。

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2009年7月 3日 (金)

神の国発言

大衆が如何に根拠のない新聞社やTVの話に騙され誘導されるか 代表的な話がある。

森元首相は神の国発言で急激に人気を落とし、結局退陣に追い込まれた総理である。

この時の話を新聞記者さんから聞いたはなし。

神の国発言した会は、全員が、神主さんの集まりだったらしい。

森さん特有のリップサービスだッたのだろう。

神主に向かって、この国は神の国だと発言してしまった、

しかし何が、おかしいのだろうか?いけないのだろう?

私なら、この国だけでなく、全世界、全宇宙が神様に守られているのだと思っている。

空気も水も植物がCO2を吸収し、酸素を出す、水がなければ、昼間は何百度、天地の働きはみな神様のお働きだと思うから、神の国と言ってもそう大きな問題はない。

総理であっても、神主が集まる会であれば、神の国だと言っても国民は普通なら何も言わない。ニュースにもならない。

キリスト教やイスラム教なら誰でもそう思うのが当然だろう。

アッラーとはThe God という意味だし、主と言うのも、世界を作った創造主である神様のことだ。これらの国では当たり前のことだ。

最初、記者はこの発言を明日の新聞に書こうかどうか迷ったらしいが、本社に判断をゆだねた。

他社は書くだろうか?一社でも大きく書いたら、何も書かなかったら?と疑心暗鬼になる。

1つの会社の記者が他社の様子を聞いてきた、書くのか書かないのか?

そうすると各社聴きまわる記者がどんどん増え、出し抜かれるのではないか?という疑いが出てくる、結局全社が一面TOPとなってしまったのが真相だという。

すると朝からTVが取り上げ、一日中大騒ぎとなる。

そして国民は何か森首相がよほど悪いことをしたかのように、支持率を一挙に下げてしまう。

そうすると森首相の悪評が一気に噴き出し、ますます支持率が下がる。

当時、笑い話になった、話は嘘みたいな話、場所は沖縄サミット

森さん、事前に官邸秘書から挨拶のレクチャーを受けていた、

最初は

森さんから必ず、 How are you、と挨拶してください。

相手が、 Fine thank you and you と来るから 

そしたら me too と返しなさいと教えた。。。

ところが森さん当日、クリントン夫妻に最初にお会いし、 

Who are you?とやってしまった。

びっくりしたのは クリントンさん、森総理から、あなたは誰?と聞かれるとは思わなかったが

そこは歴戦の米国大統領、びっくりしたが、悪いジョークかとおもって、

 I'm hillarys husband とジョークで返してみた。[しかし相手が悪い森さんだ、英語でジョークは伝わらない?]

森さん真面目な顔して教えられた通り、 

 Me too と返してしまった。。。。

びっくりしたのはクリントンサン、うちの女房と夫婦?、浮気した?

ジョークでは済まされない、国際問題になりそうな 笑い話だが、英語がこんなレベルと巷で笑いのネタ。

ありそうでなさそうな、話が、新聞やTVで面白おかしく広まったらたまらない。

麻生さんの漢字のように笑い物となり支持率はヅタヅタ。

次いで練習船 愛媛丸と米国海軍潜水艦の衝突事故ノ日 ゴルフをもうひとホールと帰京しなかったことから、政権はThe Endとなってしまったわけである。

これがTVや新聞のガサネタに操作され、大衆は支持率を急降下させてしまう裏側だという。

それにしても笑い話まで新聞はつくって流してしまう。

これが大衆を動かす力になるのだから不思議だ。

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2009年7月 2日 (木)

大衆とは?

昨日、政治をだめにしているのは、われわれ国民と、マスコミだと書いた。

国民が変わらなければ、政治は変えられない。

政治が変わらなければ、40年後に来る人口3割減、国民の大半が老人と言う感じの国は経営できなリ、現在の借金からして国家破綻もありうる。

何とかしたい、この国の大衆次第だろう。

いつから変わったか分からないが、大衆が圧倒的な力を持つようになった。

時代は必ず、進化するというが これが進化なのだろうか?

大衆とはTVそのもの、芸能化したTVが大衆の意見となるのだけの様に見える。

政治家も知識人も大衆に迎合しない限り何の価値もなくなった。

政治家もコメンテーターもすべて芸能化し、大衆を味方にしなければ生きられなくなってしまった。

大衆の人気がすべてなのだ。

大衆がすべての基準になる。

しかし大衆とは?実際は新聞やTVに操作されている、実態のない力でもあるのだ。

しかしそれが基準になっている。

選挙で勝つために郵省を攻撃し正義を叫べば、ヒーローにも総理にもなれる。

政治家も、芸能人も、知識人も、企業もスポーツも大衆に見放されたら終わりなのだ。

東国原氏がなぜ毎朝、毎晩、TVに出るか?

野村監督がなぜ毎日TVに出るのでしょうか?

石川遼君が勝てば視聴率があがるのだ、

価値は視聴率、ただただ大衆の視聴率なのだ。

しかし、大衆は無責任、流行を追い、1000万単位であっちになびき、こっちになびき、ポイと捨てる。

政治も経済も大衆に媚を売らなければ何もできない。

しかしご主人と化した大衆は実は何も考えてはいない。

アル方が、今は大衆が国家だと言いました、政府ではない、そういう時代になってきた。

怖いのは、大衆を超えて国家は立派にはなれない。

ばかばかしいバラエテイ化したTVを超えて国家はあり得ない。

40年後の少子化国家の経営戦略をどうするか・?

国民が賢くなるしかない。

正しく実態を見る力を養い、TVに騙されない、報道の裏をしっかりみる。

KJ法のように事実を見通し、深読みできる力をつけるしかない。

氷山の一角から海の中の真実を見抜く力、芸能化したTVの中の映像から、裏にある真実を見抜く力を養うことだ。

TVや新聞を、そのまま、うのみにせず、疑ってみみられる、教養が必要だ。

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2009年7月 1日 (水)

国民が戦略的な政治を求めなければ

今日はある政治コラムニストのお話を聞いた。

2050年、今から40年後、日本の人口は8900万人 3割減となる。

65歳以下の若者が、現在の8500万から4500万人へ大幅減少し、

65歳以上は逆に2500万人から3500万人へと大幅に増える、

とんでもない老人大国となるとのこと。

こういう少子化、老人大国でも、国際的な競争力と活力ある国に作りかえないと、日本は確実に滅びることになると思うと ぞっとなった。

大幅な国家のシステム変更が必要となるはずだ。このままではいけない、そして必ず道はある、それにはすごい戦略が必要だ。

昨日、日本人は戦略眼が無いと書いたが、

良い政治家を求める国民と、マスコミが必要となる、しかし良い政治家を生む土壌は、今はない。

特に政治家に戦略がないのは、国民とマスコミの責任でもある。

あまり政治のことは書きたくないが、日本の未来を考えると書かざるを得ないので書くことにする。

随踵塾で歴史を学ぶと、歴史上すごい人もたくさんいたことがわかる。

西郷隆盛 南州遺訓 。

これは江戸で 庄内藩の方に語った西郷の言葉を庄内藩の者が遺訓としてまとめたものらしいが。

国家を経営する政治家とはこういう人だと。。いい遺している。

『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、国家の大業は成し得られぬものなり』

、その通りだが、今の政治家にこの南州遺訓には合うひとはいない。

選挙に勝つには、秘書10人程度が絶対に必要となる。、

地元での活動がなければ勝てないからだ、そのうち3人は国が面倒見るが、残り7人を雇うのに3500万円もいる、

年収2700万円では足らない、だから死人からでも献金させる、皆政治資金に汚くなる。

鳩山由紀夫氏、これも何か裏がありそう。

政治資金の入りは、他人からであろうと、自分の金を秘書が偽装して入れようと、理屈に合わなければ、悪の温床となるからきちんと納得できる説明がない以上追及されるだろう。

議員は、毎週せっせと国に帰り、盆踊りやバーベキュー大会、カラオケ大会に出なければ当選しない。

パーテイ開いて資金を集めなければ、秘書は地元で活動できない。

これでは、南州遺訓にいう、憂国の政治家は育たない。

西郷たちが求めた国を導く、政治家を国民が育てなければ、確実に滅びるぞ。

2050年の人口比率は並大抵のことでは生きられない。

TVで大きな声で 正義、正義とやっている変な政治家の人気が出てしまう、

国民のレベルが問われる、レベルが低いから、似非政治家が策謀をめぐらす。

KJ法で読み解かなくても、客観的な事実から、誰が見ても以下のようにしか見えない。

彼は本来 郵政も、かんぽの宿も全く興味はないはずだ。

大体、西川さんは、かんぽの宿売却を決めたときは、まだ民営化されておらず、就任していなかった。

じつは、

鳩山邦夫さんは、自民党に返り咲いたとき、公認される選挙区がなかった、大株主であるブリジストンのある福岡に選挙区をもらったが、もともと地盤ではないから勝つのは至難の業、

そして九州で麻生さんに立てついてはこれまたもっと勝てない。

だから麻生の応援団をづっと買ってきた、盟友でも何でもないとおもうのだが。

選挙に勝つには、マスコミに出ることだ、視聴率が上がる方法を一生懸命考えた末のこと。

どうでもいい中央郵便局に、とっくに壊された後にTVを引き連れて行き、誰だ。。こんなにこわしたのは。。?と わざとらしくTVで怒鳴った時に、袴の下がすべて見えてしまった。

本来なら、彼の選挙は今回危なかった、

しかし郵政を敵にして、TVで正義の味方を気取り一挙に挽回、総裁候補とまで言われる勝ち組にのし上がってしまった。

その証拠に、更迭後も、麻生さんを恨まず、総理は悪くない、誰かに騙されていると、顔が笑っている。

彼の言動の歴史のカードをつなぐとそうなる。本来は友達の友達はアルカイダとか言う、料理好きの単成るおじさんだ。

そこにはこの国の将来など毛頭ない、正義の味方であるかもしれないが、そうであったら申し訳ないが、まるでそうは見えない。

鳩山さんなどお金に困らないのだから本当の政治家、南州遺訓を目指してほしい。

TVで見えないところで、がんばる、下野して国民と向き合う、期待したい。

国民がボランテイアで、お金も含め、何一つ心配させず、政治にまい進できる環境を整え、憂国の志士に託して、国政をやってもらわない限り、真の戦略的な政治はできない、真の政治家は生まれない。

吉田松陰や西郷隆盛、坂本龍馬などは、本当の憂国の志士であったなと改めて尊敬できる。

この先40年後の、とんでもない日本を救う、政治家を国民が育てなければならない、間に合わなくなる

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