(昨日に続く 長文です お暇なときゆっくりどうぞ )
さらに社内の国内留学制度にも抜擢され、東京都立大学の工学部に派遣されることになりました。
此が悲劇のはじまりでした。
このころから、だんだん体の調子がおかしくなってしまいました。
大学に行きながら、仲間に指示をするのが、後ろめたく引け目を感じてしまい、チームをうまく運営できなくなってしまったのです。
学校に行っている間の事情もわからず、成果が出せない焦りと、上司からの責めもあり、葛藤で心が病んでいったものと思われます。
会社の門を入ると、気分が落ち着かず、冷や汗が出て、頭が重くなり、出社するのが嫌になってしまうのです。
そんな事が数ヶ月続いたある日、突然腰から下に力が入らなくなり、実験室で倒れてしまいました。救急車は外聞が悪いと言うことでバンに乗せられ、近くの病院に入院いたしました。いくら検査しても原因は分からず、結局、自律神経失調症と診断されました。今でいう心身症陸奥病の一種かもしれません。
退院しても、怖くて会社にはいかれず、出勤しては、すぐ休むという状態が続き、小さい子供2人と踊りながら家で笑う練習をしたり、車の中で一人大きな声で笑って見たり、何とか明るい自分を取り戻そうと懸命に努力をしました。
教会にもお参りし、小さい時から、おかげは和賀心にありという天地書付を信じていたこともあり、ありがとうとか、何事にも感謝する心とか、心の持ち方でおかげが頂けるものと思い一生懸命、努力しましたが、一向によくなリません。小さな子供と女房を抱えこの先暮らしてゆけるのだろうかという不安が募り、深刻に自殺まで考えるほど落ち込んでゆきました。
さらに突き放すように教祖様のご理解が目に入ってきてました。
“どんなにいい人だからと言っても、本人に真の信心が無ければおかげはないぞ“
”何をせよとも、拝めとも言わん、たった一つ真の信心をせよと言うのがわからんのか”
“なんぼう,金光が頼んで拝んでやっても、本人に真の信心がなければおかげはないぞ”というようなものでした・
どうも和賀心とは、ありがとうや感謝の心だけではなさそうだな。そんな生やさしい信心でこの病気が直るはずはない、という気になってしまい、本当の和賀心ってなんだろう、真の信心ってなんだろうと考え込んでしまったのです。
そんなある日、そうだ、こういう時こそKJ法を使えばいいんだ、KJ法なら、教祖様から直接お言葉を聴くように和賀心の意味がわかるかもしれない。
そう思ったら藁にもすがりたい気持ちでしたから,すぐKJ法のカードを用意し開始しました。ご理解のすべてをカードに書きだし、じっくり眺めながら、似たようなご理解を3、4枚ずつ集め80くらいの小グループにまとめました。3、4枚の小グループのカードを読んで、全体の意味からはみ出さず、かつ寸足らずにならないよう、まとめの言葉を考えるのです。
それを小グループの表札としてつけます。ご理解の意味を勝手に解釈するのではなく、深い意味や心を読み表札としてぴったりの言葉を書き出して行くのです。1人ですから時間が掛かりました、2週間くらいかけたでしょうか、小分類から、中分類へ、そして大分類へと進めます。そして最後は、大分類を一つの言葉にまとめるのですが、これがご理解すべてを代表する、神様が本当に言いたかった一言、和賀心の意味になるはずなのです。
み教えをKJ法で解読したら
結果は以下のようなものでした。
“天地のおかげを知ったら、神様と一つ心になって、おかげのお礼に人を助けよ、お前のことは神が良いようにしてやる”というものでした。
知りませんでした、真の信心とは、和賀心とは人を助ける事だったのです。
人を助ければ、お前のことは神様が必ず良いように計らってやるから任せ切って人を助けろと言う意味でした。
びっくりしました。
今まで人を助けるのは神様と教会の先生の仕事、信者は自分の都合の良い事を神様にお願いしおかげを戴くのが信心と思っておりました。
そういえば、教祖様は、神様はすべての人に平等におかげを授けてある、生きていること、生かされている事そのものがおかげである、まず生かされていることにお礼を申し、お礼には自分のことより人をたすけなさいという事であったのです。
神様は、人に天地の道理、人の道を教えることはできるが、人を直接助けることはできない。
人を助ける事ができるのは人であり、神の願いをかなえるのが人である。 人を助けて一人の神になれ、ひとを一人助ければ一人の神が心に生まれる、
そういう人の道を説いていたのです。
今までの自分の信心は何だったのでしょうか、
“神も助かり”人も助かる、どころか、自分の都合良いことだけ神様に願い、御利益を得る、ことしか考えていない、それがおかげだと思っていました。
自分の都合良いことに神様を使うだけで、生かされているお礼どころか、自分勝手の苦しさだけを嘆き、上司を恨み、自分がすべて犠牲者のように、人のせいにして、勝手に悩んでいただけではないか?ということに気がつかされたのです。
そして、神様に何を願っていたのでしょうか?邪魔物をすべて排除して、自分の都合の良い様にしてほしかったのか?
考えてみれば、神様を自分の都合良い事だけに使う道具か奴隷のようにしか考えていなかったようなものです。なんというご無礼な信心だったのでしょう。
そして、KJ法でご理解を読み解いたおかげで、この先自分は何を、どうすればよいかは、もう十分わかっておりました。
ご理解を毎日毎日じっと眺めているだけでも、結論が出る前に心が拓かれ、改まってしまうのがKJ法の良いところなのです。
自分だけが助かる道を願っても、神様はけして喜ばない、意味がない、此れから入社してくる新人や同僚が、みんなが助からなくては、神様が喜ぶはずがないのです。
この古い徒弟制度の研究室を、神様の力を借りて、みんなが生き生きと夢を持って働ける研究室に作り替える事が、私が助かる道だ、それがおかげになると気がつかされたのでした。
人が助かる信心、神様の手助けになり、神様が喜ぶ、これが信心、心の改まりなのだと理解出来たのです。
何年かかっても、一生かかってもこの研究室に陽を当てようと思いました。そしてその瞬間、病気の事はすっかり忘れておりました。
治ってしまったというか、人を助ける方法を考えるのに忙しくなってしまったのです。
そして何事も時節を待てと言う教祖様のお言葉が、ここはじっくり時間をかけ、上司の理解を得ながら、上司の力を借りてやリ遂げるぞと思わせてくれたのです。そして、その前に、まずは自分たちの力をつけよう、焦っては、単なる若者のわがままとなってしまう、それでは神様も喜ばれないだろうと思ったのです。
職場で実践したこと
まず、若い人と同僚に呼びかけ、早朝6時30分に出勤し、英語の原書での写真化学や色再現の勉強会を始めることにしました。毎朝早朝は大変きつい勉強会でしたが、専門知識と英語はいつか必ず役に立つ、将来必ず喜んでもらえるはず、ここは嫌われてもやろうと強制して始めてしまいました。
これはすぐに周りの評判になり、他の研究室からも参加者が出てきました。それではと今度は、私が周りの研究室の月報会に参加することにしたのです。
そしてそこで、報告者全員に意地悪質問を必ず一つすると、誓いを立てました。月報会での意地悪質問は相手が最も嫌がりますが、愛情さえあれば、結果的には相手のためになり、自分も鍛えられると思ったのです。
今度は神様のお手伝いだから、どんなに嫌われてもいいが、愛情持って厳しく当たり、人を助ける修行をしようと思ったのです。研究テーマの目標もうんと高くしました。実現する方法は仲間で考え、KJ法でまとめ、やり遂げる癖をつけよう、そして、できるだけアカデミックな進め方を心がけ、学会で発表できるような内容に整えていったのです。
自主的な勉強会やアイデア会のおかげで、互いに助けあい、アイデアを出し合う風土が定着し始めておりました。まだ自主的な活動ではありましたが、管理されない活動がいかに良いアイデアを生みだすか、だんだん皆に理解されて行きました。
そして4年くらいたったでしょうか、突然、不思議なことが起こったのです。ある朝、大きな組織変更が発表され、上司が一辺にいなくなると言うのです。びっくりしました。研究室の室長が側近を全員連れて、カラー写真の技術サービスという新しい部門を日本橋室町の旧本社ビルに作ると言うのです。
おまえ達は戦力外と言わんばかりに、残ってがんばれ、力をつけたらまた呼んでやるというような挨拶でした。何ということでしょう、神様はものすごい事をやるなと思いました。私の願いは思いがけなく早く実現するかもと、大喜びしたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。転出した上司の代わりに新たな管理者が人事から補充されてきました。それでもみんなに思い切った商品企画を提案させ、挑戦し続けました。若い力だけで、少ない戦力で、どれだけやれるか、毎週のように休日出勤し、徹夜でアイデアをだし、技術突破をしてゆきました。
6年目くらいでしょうか、新しい上司も異動する事になり、とうとう私がトップになってしまい、初めて、人が助かる完全なフラット組織、管理をしない自律的な自分たちの開発チームを作らせて戴くことができるようになったのです。
仕事を通じて人が育つ
人が助かる組織でもっとも大事にしたのは、仕事を通じて人が成長する喜びを感じられる事でした。仕事の成果は二の次、人が成長しさえすれば結果はついてくる、会社の利益より,お客様のためになるテーマを選ぶ事としました。
仕事はお客様のため、社員が成長するためのものと決め、徹底して高い目標を掲げ、挑戦したのです。きっと神様が後押ししてくれると、ドンドン挑戦させ、どんなに若くても、新しい大きな仕事をやらせました。
やり方は教えず自分で考えさせ、やらせてみたのです。成長するためにはこれが一番良い方法でしたし、何よりやり甲斐が出ると考えたのです。若い人を交代で数ヶ月間、海外に武者修行に出し、語学と度胸をつけさせようと人事に提案し、実行しました。
この間の事故は、ある若者がドイツの陸軍基地のフェンスに車をぶつけて施設を壊し、問題となった1件だけというおかげも戴きました。もし旅行中に大きな事故があったら私は確実に首になっていたでしょうから、大きな賭けでもありました。
もう一つの大きな改革は残業問題でした。下手な仕事を夜遅くまでだらだらやった方が給料が沢山もらえるという、悪循環を断ち切りたかったのです。人間は仕事8時間、遊び8時間、睡眠8時間が基本だと宣言し、毎日定時で帰っても成果さえだせば、十分給料がもらえると言う、残業改革を行ったのです。
残業予算をたっぷり取り、そのすべてを私が預かりプールしたのです。アイデアを出して人を助け、助けた人の給料があがるようにしたかったのです。さっさと仕事を片付け、要領よく、高い目標をクリアしても、毎日早く帰ってしまったら、残業代はつかず給料は低かったのです。
研究のアウトプットは時間の関数ではない、たった一つのひらめきやアイデアで1年や2年分の給料に匹敵するような成果が得られるのだから、アイデアをだし、人を助けたら、その人が定時で帰っても、給料はどんどん上がるようにしなければ、おかげにならない、と思ったのです。
みんなにアンケートをだして訊きました、残業代を私がプールし、毎月お互いの公平な相互評価で、残業代を配分する方法を提案したのです。100%の支持が得られましたが、難題は人事の抵抗でした。ほとんど不可能でしたが、粘り強く交渉し、最後は見ないふりをするという味な采配で決着させたのです。
家族のようなチームとリーダー像
人を助けたらそれなりの評価と報酬がなければ、誰もついてきませんし、長続きしません。なんと言っても“おかげは人を助ける事にあり”を仕事でも実現したかったのです。そして各チームには管理者をおかず、仕事に応じてメンバーが自由に移動し、助け合うアメ-バー型の集団天才組織を作り上げたのです。
家族のようなチームを作るために、リーダー像をみんなに考えてもらいました。みんなが考える理想のリーダー像をKJ法でまとめ貼り出しました。“常に夢を語り、高い目標を掲げ、メンバーに成功させるよう工夫させ、これを支援し続ける人”と言うものでした。そして教祖様の教え通り、チームは飲み会でも職場でも、陰で人の悪口を言わない事を徹底させました。家族のように助け合い、信頼感のあるチームを作りあげるためには、陰口をなくすことが絶対必要だったのです。
その2年後、ある商品開発会議が小田原工場で行われ、その帰り道、機器開発部門の部長さんから飲んで帰るかと誘われ、2人で新松田駅前の居酒屋に入りました。かなり飲んだあと、その部長が突然身を乗り出し、「だいたいお前のところの処理剤研究室のようなものがあるから、写真が進歩しないんだ、写真だからといって何百年水洗していれば気が済むのだ。
いつまでも工場でボイラー炊いて写真を処理していたのでは、機械が小さくできないじゃないか」と言い出したのです。普通だったら、なぜ水洗が必要か、延々と原理的科学的に説明してあげるのですが、正直、此はすごいテーマだ、そんな発想、神様しかできないと思いながら、いただきという感じで、うれしく有り難く聴いておりました。それこそお客様のためになるテーマで、膨大な水資源とエネルギーを削減でき、世界をひっくり返せそうな、テーマだったのです。次の日から全員集め、アイデアを出し実験を始めておりました。そして悪戦苦闘3年、1984年、世界で初めてカラー写真の処理から水洗処理をなくした無水洗定化処理の開発に成功したのでした。
町の写真屋さんで処理できる技術
私はカナダのオタワに飛び、国際写真学会の画像保存分科会にこの技術を発表したのです。 業界は騒然となりました。何せ、写真史上始まって以来の快挙でした、日本の企業の若い開発チームによってカラー写真の歴史が塗り替えられたのです。この日以来、この技術は世界に広がり、写真は町の写真屋さんで1時間で処理できるようになりました。
そして今まで、1本のフィルムと24枚の写真をプリントするのに、95リッターもの大量の温水が必要でしたが、無水洗、安定化処理では、たった200cc(およそ牛乳瓶1本)の処理液で処理できるようになったのです。この発明のおかげで、膨大な水資源と、ボイラエネルギが節約でき、機械も1/5くらいのコンパクトなものとなり、絨毯の上で写真が処理できるようになったのです。社内ではこの研究室は大変な評価を受け、研究室は開発センタ-に昇格し、私はセンター長となってしまい、広い範囲の研究をになうことになりました。
この組織は、どんどん大きくなり、その後も世界初のカラーコピー機や、錠剤ケミカルの開発,世界初のデジタルミニラボまで開発し、写真の歴史を塗り替えていったのです。
組織が大きくなり、私が出世しただけでは、人が助かったことになりません、それでは神様に叱られます。しかしこの組織は、いくら大きくなっても、家族のように、仲良しの、やりがいを持って助け合える仲間で作る組織のままでした。毎年行われる人事の意識調査、自己申告職務分類というのがあったのですが、此によりますと、すごくやりがいを感じる、と、どちらかと言えばやりがいを感じる、の、2つの合計が75%、どちらともいえないが、15%。一般の職場では、どちらかと言えばやりがいを感じないが75%もあるのが普通でしたから、社内ではダントツの生き甲斐、やり甲斐集団が出来上がっていたのでした。
よその職場のどんなに落ちこぼれた社員をもらっても仲間が家族のように育ててくれ、皆一流の研究者になって行きました。無水洗処理の主要技術の発明者の私は、こののち1996年に、特許庁関係の全国発明賞をいただき、1998年科学技術庁長官賞、翌年1999年には紫綬褒章をいただくことになったのです。
この技術が世界に広まり、膨大な水資源と石油資源を大きく節約したという環境保護が評価されたのでした。
人を助けるという神様へのお手伝いは、人が生き生きと働き、人が助かる職場を作るだけでなく、自分たちのひらめきや多くの発明をも生み出してくれました。
人を助けることは間違いなく自分を助け、大きなおかげが頂けるのです。
此がわかってからは、“人を立てれば蔵が建つ”を口癖にして、若者に人を助ける利他的な精神の効用を説きました。。
遺伝子工学の筑波大名誉教授の村上和雄博士も 細胞や遺伝子の働きから見て、人を助ける利他的行為が遺伝子のスイッチをオンにし、ツキを呼び、癌や病気を治したりするのだとも言っております。
神様はアホが好き、とかとも言っておられ、アホになって人を立てていると、自分がもっとも生かされるのです。
ひらめきやツキを呼ぶのも、利他的な人を助ける行為から、遺伝子が不思議な働きでスイッチオンをするのだそうです。
おかげは“人を助ける心”にあり
31歳の時心の病気で悩み苦しみ、
教祖様の教えの、おかげは和賀心にあり。。。という本当の意味を知りたくて
おかげが欲しくて、病気からのがれたくて、KJ法を使って 、
おかげは人を助ける心にあり“と知ることができました。
川喜田二郎氏のKJ法で教祖様の教えを正しく理解でき、病気が治るどころか、膨大なおかげおいただきました。
おかげを戴ける道は、正しい人の道であり、自然の理にかなった生活をすること、そして、それは利他的な道であることをKJ法で知りました。
川喜田先生の御冥福をお祈りいたします。