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2009年6月

2009年6月30日 (火)

随踵塾 経営者の教養

随踵塾では歴史と中国故事など経営者の教養を学ぶ。

歴史や故事が経営にどう生かされるのだろう。

先月日露戦争と東郷平八郎を学んだ。

欧米戦略家から当時ナポレオン以上の将軍と絶賛された日本海でバルチック艦隊を破った日本海軍の司令官だが、彼はナポレオンならわかるが、李 舜臣には自分はとても及ばないだろうといったという。

この李 舜臣将軍を 日本人の何人が今知っているだろうか?

秀吉が朝鮮出兵をおこない、2ヶ月で破竹の進軍、平壌まで一気に攻め上るが、その後この李 舜臣 将軍の水軍に押し戻され、結局撤退せざるを得なくなり敗戦となるのだ。

東郷元帥をして、彼には勝てないと言わしめる。そんな韓国の将軍を誰も知らない。

日清、日露戦争はもちろん、お隣り、韓国や中国の歴史、を知っているようでしらない。

徳川幕府のころ、ヨーロッパ列強がどういう戦略で世界を分割植民地化していったか?

すごい戦略思考なのだ、スエズ運河→パナマ運河だけとってもヨーロッパやアメリカの戦略的な動きはものすごいものがあり勉強になる。

国をどう優位に持って行くか、志がある。

政治でも、ビジネスでも戦略眼ほど大事なものはないが、日本人は歴史上も戦略を持たない国民だから、特別歴史を学ぶ必要性を感じる。

外交でも、おなじだ、歴史を知らずしては、本当には、外交はできない。

明治維新では、下級武士でさえその歴史、故事の知識は、膨大で今の人の遠く及ばないものだそうだ。

「言必信 行必果」という言葉がある。1972年、田中角栄が周恩来から頂き喜んで帰ってきた言葉だそうだが、最近では安部首相も2006年に訪中時、温家宝首相からこの言葉を色紙で賜ってきたそうである。

「言葉は誠実なもの、真実でなければならないし、行動は断固としたものでなければならない」という意味で、論語の子路の言葉。


なぜこの二人が同じこの言葉をいただいてきたかはわからぬが、安岡正篤は、田中に対し、これは最大の侮辱である、一国の宰相に差し上げる言葉ではないとしている。

教養があれば、これを受け取らず固辞するはずだが、教養がなければ断れない、もらってしまえば馬鹿にされるほどのことばだそうだ。

この言葉は「こうこう然たる小人かな」に続いているもので、『論語』十三、子路の『子貢に問いて曰く』は、孔子に、士たる者はどういう人物でなければなりませんかと問うたところ、孔子は、言うことは必ず偽りがなく、行うことは潔いが、こちこちの小人(しょうじん)で、まあ士のうちに入れてもいい者」、要は 第三等の人物のことだといっているらしい。

伊藤博文など、明治の若者はみなこの程度の教養はもっており、朝鮮の歴史も、中国の歴史も人物、故事も、皆知っていたということである。

本当は歴史をよく知れば、大きな国家戦略もビジネスも、その戦略眼がまなべるはずなのだ

そうだ。そして日本を正しく理解をもさせてくれるはずだ。

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仲直り

とっても仲がよく,、長い間協力して事業を進めてきた4人の仲間がいる会社と3年ぽど前に知り合った。

ところがこの4人、あることから,仲違いし、2つの会社に別れ、事業上も競合し、いろいろトラブって、喧嘩となっていた。

何とか再び仲直りしてほしいと願い、間に入って、腐心してきたのだが、万策尽き、これをやったら2度と仲直りは難しいという、,決定的なところまで互いにきていた。

最後の頼みの綱として、このことをある会社の社長にお願いして事情を聞いていただいた。

お忙しいのに有り難いことに,すぐ動いてくれた。

互いにいろいろ憶測し、不信感を募らせ,多くの方に迷惑かけルことはやめ、納得ゆくまで直接話し合い責任持って自分たちで解決しなさいと一喝。

それが大人の責任であり、経済人として最低の責任だと。

小さいけんかは周りが迷惑するだけ、,何の生産性もないと一刀両断。

私は昔の仲間として、互いを傷つけあわず、またいつか協力し合える日を迎えるためにも、仲直りをと、情で攻め、互いの仲直りを腐心してきたが結局 聞き入れてもらえていなかった。

この社長、の言う大義が効いた。情では動かなかったかれらがである。

大人としての責任は互いに直接話し合って解決してしまうこと、公にして、社会にちょっとでもいやな思い、迷惑かけることは、経済人としての資格がない、自分たちで蒔いた喧嘩のたねは、自分たちで話し合って解決し外に出さないことと、双方をしかってくれた。

どちらも傷つけず、おとなの裁定はさすがである。

皆相手がどうとか?どちらの言い分が正しいとか,喧嘩は常にそういうものだが、

言い分は、常に両方正しい、そして常に両方間違ってもいる。

あっているとか違っているとかの問題ではない。

けんかは双方自滅の道でしかない。

なるほどこれなら,納得できる、双方へのこの社長の意見をお聞きした後、

やくざではないが、すぐ双方をあわせ、手打ち式を行った。双方嫌々かもしれないが,納得した様子、少し緊張気味だが謝罪をしあい、反省しあい、,握手してくれた。

まずは形だけでもいい。よかった皆社長の大義がわかったようだ,。そして4人そろって次の日、この社長のところにお礼と挨拶に伺った由。

ここがスタートだが、またいつの日かみんなで一緒に仕事ができたらいい。みんないいやつだから、力をあわせ、この社長への恩返しをしてほしい。

人間として直接話し合えば、皆仲直りできるとは限らないが適切な説得の仕方というものがあるものだなと、感心し、感謝をさせていただいた。

この社長からもよかったねとメールがあり、両社に1年ぶりに明るい朝がきた。

やれやれ、これで双方の社員も気持ちよく仕事ができる、家族も社内も不和(争い)がなければ繁栄できる。

気持ちよく生活できるのが何よりだ、大勢が助かった。

和賀心にかなっただろうか・

人は人を助けることができる唯一の動物という。

けして神様が人を助けるのではない。人が助け合うのだ、神様はその道を教えるだけだ、が、しかしそれが尊い。

これは、この社長に神様が働いてくれた結果と感謝している。

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2009年6月28日 (日)

お茶を楽しむ

本来は女のたしなみではなく、武士のたしなみと言われたお茶に一度親しんでみようと友人の奥さまに入門師事した。

週一回、3回済んだがほとんど進まない。妻と一緒のお稽古だが、彼女は若い時やっていただけあって、思い出すだけでいい、大きなハンデがあるがこのハンデを乗り越えての挑戦だ。

それはそれは難しい、と感じた。

先生の一つ一つの所作には全く無駄がなく、しかも意味を説明してくれながらである。

しかももきれいに見える。 これが武人の洗練された動きなのだろう。

せいぜい手を広げたた広さの中での極めて合理的な動き、どれをとっても流れるようだ。必要な道具を運び、そろえ、準備してから、お茶を建て、静かに差し出し、礼を尽くして終わる、そしてかたつける。

畳の歩き方、道具を置く位置、道具の持ち方、おき方、拝見の仕方など、、細かく、すべてに無駄がない。

決まった所作を覚えて繰り返して身につけて行くしかないだろう。

400年語り継がれ、継承されてきた所作だ。厳しい修行がなければ身につかないし、身につかなければ、自分の所作にはならない。

いい加減なことでは形が崩れて400年も伝わらなかったろう。

動きが人格になるまで、繰り返し、達人になって行くのかもしれない。

昔スキーを始めたとき、上越の浦佐スキー場で初めて上級者をみた野を思いました。

山の上から、普通なら転げ落ちてしまいそうな、急斜面を止まったように足を振りながら、横一線に5,6人がそろって降りてくる。ベーデルンだった、見事にきれいに並んで降りてくるインストラクターの一団だった。

それはそれはきれいだった、

はじめてみた私は、すっかりとりこになった、それでもその時は、これは一生無理だと思った。

今先生のお茶の所作がちょうどそう見える、一生無理そうだが、きっとやって見せたい。

スキーでも、何とかして先生に近づきたいと、雪さえあれば通って打ち込んだ。、

行けば、必ず、真っ暗になるまでゲレンデを去らずに練習した。

そして、数年で同じようなレベルにまで到達した。

そうなってみると意識しなくても普通にやっているのがふしぎな気がしたものだ。

お茶でも早くそうなりたい、しかもこのお稽古が結構楽しい、苦しいのに楽しいのは向いているのだと思う

新しい挑戦はいつも楽しく生き生きできる。

しかしお茶はまだ一つとして身につかない,

まだまだ頭で考えながらの所作でしかない。

幸い昨日から3人の孫がきた。

練習に孫を畳に座らせ、お茶をふるまった、きちんと座らせ、順に点ててあげた。

やりたいというから、それぞれに教えながらやらせてみた。

一生懸命茶筅で点てる、なかなか泡が立たない、細かい泡を立てるのは結構難しい。

とても喜んだ、私も4歳6歳のレベル,一緒に楽しめた。

何でも興味を持たせ、小さい内から、なじませることが大事かも。

お風呂に一緒に入り、お茶は楽しいか?聴いてみた。

うん,とっても楽しい、作るのが楽しい、おいしい、とはしゃいでくれた。

お茶ってこんな子供でも楽しいのだ。

日本の文化を凝縮した茶道を小学校の正課にすべきであると思った。

3歳や6歳でも十分教えられる、けして早くない。

今日、石川遼がミズノオープンで優勝した、彼がゴルフやったのは3歳からだ。

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2009年6月27日 (土)

KJ法、使い方

創造的な問題解決とは、考えても、考えても、解けない問題について解いた場合をいうのであって、

知識で考えて考えて考え抜いて解けたという様なものは、問題とも言わないと、川喜田さんは言っている。

そういう問題解決は実は創造的な解ではないから、誰も助からないのだとも。

左脳や、机上の知識で考えても、解決しない問題を解くことが大事なのだと

それには事実を肌で感じ、正しく把握できれば、必要性が心に響き、考えに考え抜いたら、答えは期待せず、あとはほっておけば、いったん忘れた時に、右脳の無意識にあったアイデアがひらめくのだという。

自分の目で、耳で、体で感じた、必死の叫びを、土の香りがする言葉でカードに書きとめ

このカードをじっと眺めて、カードが自然に語りかけるのをまつのです

お客様の気持ちを、みたまま、聴いたまま、素直に書けとめれば、

『先入観を入れず、できるできないを考えず、右脳で、書ければ』誰にもできる方法なのです。

1991年暮れ、開発部門のリーダだった私は、本社に呼ばれ、マーケッテイング部を兼任、ミニラボの建て直しを命じられた。

KJ法をあらゆる場合に使って開発では成功してきた私が商品企画を命じられた。

まずはお客様の正確な願いを聞きたいとおもった。社内で考えてもろくな答えは出ないだろう、営業は分かったような顔をするが、実は真実は伝えない、

とんでもない出張を考えだした。

目的もなく、2週間海外に遊びに行きたいと願い出た。

2週間で主要な市場をKJ法カードを持って歩くことにして現地に連絡し計画した。

英国ロンドンから入り、ドイツ、ギリシャ、サウジ、インド、パキスタン、マレーシア、シンガポール、香港、台湾、韓国11カ国だったか、それぞれの現地代理店、現地法人に連絡し、一人旅で出かけルと連絡した。

何の目的もなく、市場を歩いてみたいという要望はそんな出張見たこともないと反対され現地の抵抗もあったようだが、わがままな小星さん、しょうがないなという感じで、最後は認めてくれた。

各国では日本人と代理店の人間(担当現地人)が、私を何軒ものお店に案内してくれるのだが、皆コニカびいきのうまくいっているお店ばかり、お店の主人や責任者が説明する前に、自分たちが感じている市場をいかにもお店の代弁をしてやるという感じで一生懸命説明してくれる。

私は現地スタッフを叱った、あなたの営業^としての意見で商品作って失敗してきたのだ、そんな意見を聴きに来たのではない、できるだけ、うまくいってないお店、苦情だらけのお店、敵方のお店やトラブルを沢山起こしているお店に連れて行けと、

調査では心地よい話は要らない。

英語なら大体の苦情の内容はわかるし、現地語の場合でも、そのまま生で聞いたほうがカードは書きやすい。

日本人駐在員の話はうそはないが、本社によくみてほしい、自分の市場はこう、うまくやっています。。。という理屈が入るから聞いても意味がない、

この調査で、創ったカードはすぐに真実を語ってくれた。

アジアはコニカが圧倒的に強かった、各国みなディラーが強いのだ、

しかしお店の実態は、インドを除けば、各国土地やオフィス代がびっくりするほど高く、どの店も非常に小さく、狭い。そして、人件費がやすいため、フィルム現像する人、フィルムを整理する人、カットする人、プリントする人など働く人が多く、やたら狭い、そして汚い。

能力を目いっぱいに出そうとして開発された機能ばっかりの機械は背が高くお店を暗くし、お客に背を向けて作業するから、汚らしく見え、とてもお客を迎える姿ではなかった。

大きな受付テーブルが狭い場所にデンと置かれ、フィルムやプリントをカットしたりしながら、接客する。

敵のお店も含め、汚い店ばかり、大きな機械はもう置けない。

そしてもうひとつ華僑の方は数字の8が大好き、機械のシリーズNOを8にしてくれという、。ものすごく強いラッキーナンバーなのだ、商売人の命であり、神様が8なのだ。アジアのほとんどの国の経済は華僑が握っている。

これら地域で、商売に成功するには8のラッキーナンバーが金で買ってもほしい番号なのだとカードに書いた。

シンガポールくらいまできたとき、KJ法のカードが語りはじめ、新しいミニラボ機のイメージが明確に右脳に浮かんできた。

ラッキーナンバーを冠した、新しいNPSの 8型シリーズのイメージが浮かんできた。

機能よりデザインだ、

機能より、型番だ。

機能より価格を安くできる、小型化だ

受付テーブルを兼ねるぞ、

スタートはNPS808 

数年後の完成系はNPS888を発表する。

どんどんアイデアは膨らむ。

そして機械はお店の前面を飾る、新幹線や踊り子号のようなスマートな機会を感じさせない高級家具、お客様を迎える受付テーブルを兼ねたものがうかんできた。

機械を感じさせないミニラボはお客様の方を向いて作業できる、世界でも業界でも初となる。

今までの受付テーブルは不要になり、アジア全体のお店を圧倒的にお金をかけてデザインする、きれいで広く明るくするぞと心は躍った。

そのためには現像処理時間を半分にする、これは私の研究チームの最も得意とするところ。任せておけ、機械の背丈を半分にできる、ちょうどテーブルの高さにで、能力は落とさなくて達成する。

”できた”という感じであった。

この発想が間違いないか、その後の香港、台湾、などで確認をしながら確信を持って帰国し、すぐにアジア部の営業を巻き込んだ大プロジェクトが発足した。

これが見事にアジアだけでなく、世界で大当たり、大成功、市場からも営業からも絶賛され、

社長賞を戴いたのが確か1993年、開発関係者で受賞記念パーテイをするに十分な賞金100万円を副賞としていただいた。

表彰の次の日、だったか、7月12日、北海道南西沖地震の大津波の大被害。

壊滅的な奥尻島の写真店、北のミニラボ店はどうしたろうか。

ハマナス会の会長さんはたしか奥尻島であった、すぐに札幌支店へこの賞金をおくり

被災者救援に寄付することにしてしまった。開発関係者にはパーテイを我慢していただいた。

台湾や香港、マレーシアなど華僑圏の新製品発表会では、このラッキーナンバーNPS 808『パーリンパー』がうるさいほどの中国語の破裂音で飛び交った、そして飛ぶように売れた。

この記事は前にも書いたが改めて書き直した。

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2009年6月26日 (金)

kj法 続き

研究という仕事を通じ、創造性とは、なんだろうと考え 行き着いた先がKJ法でした。

創造性とは相矛盾する課題を解決する方法なのです。

創造性とは自主的な作業でしか出ません。

私の生涯出願特許が680件 部下との共同名義を入れたら1000件は超えていますが、

けして不思議な力ではなく、素直に真実を見られる、KJ法的な発想があれば誰でも出来るふつうのことでした。

皆びっくりしますが、素直に人のこと、相手のことを、お客様のことを真っ先に考えた普通の結果なのです。

創造性とは、

性能をあげてコストを下げる。

税金を下げて福祉を高める。

速度を上げて安全をたかめる。

不治の病の患者を幸せにする。

お金に困った方をお金がなくても幸せにする。

相反する矛盾を解決するから創造性があるというのです。

右脳で考えると、トンチが出ます。

なぞなぞと同じです。

左脳で考えても直接解しか得られません、大きな解決にはならないのです。

創造解は事実や真実を相手の立場で理解出来たとき、はっとひらめきます。

”毎日、忙しい会社の社長がいたとします。

毎日夕方にならないとその日帰れるかどうか分からない、今日は食事が要るか、いらないかなど朝はわからないカラ言わない、言ってもどうせ夕方には変わってしまうから言わないとします

奥様は毎日夕食の準備をして、食べてもらえるかどうかは、分からないが、もしかえって来たら困ると思って、一応準備します。

毎日カラ振りです、7割は接待で外食して帰ってきます。

社長は忙しいのだ、仕事だから我慢しろ、そんなのはあたりまえだとして終わっていました。

ある日、この社長、奥様の日記をたまたま見てしまいました。

奥さまは、

今日は蒸し暑いから、きっと主人は汗をかいて帰ってくる、それではこんな、献立がさっぱりしていいかしらと、メニューを工夫し、いろいろ書いていたのです。

寒い日はあったかいものを、そういう工夫がいっぱい書いてありました。

この社長、その日から、行動を変えました。

今日は帰る、今日は食べる、今日は帰れない、夕食はいらない。と約束し、そして毎日確実に100%実行しました。

お客様にも事前に約束をするようにし、接待の半分以上は部下にも任せ、1週間に3日は必ずきちんと帰ったそうです、そして奥様への恩返しとして、土日は外食したり自分でも料理を始め、これを毎月2回確実に実行したそうです。

真実を知って行動が変わる。

仕事も十分やり、且つ奥様も幸せにした、これが創造解です

業績もかえって大きく伸びたそうです。

事実や真実にもとづく解決方法は、

自主的で意欲的で、前向きな答えですから、何も犠牲にしません。

人を助けるアドバイスも、事実を元に右脳でひらめいた創造解なら、何も犠牲にせず一挙に解決するきっとお役にたつこたえとなるでしょう。

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2009年6月25日 (木)

KJ法について、再び

”天地の日記”というブログを書かれておられる、ある教会の偉い先生が、私の書いた半生記を使って学院でお話をしてくれているのだそうです、ありがたいことです。

その内容は私が若い時からこれ以上の人生の強力な武器はないというくらいほれ込んでいるKJ法を使ったお話なのですが

,KJ法というのは世界に誇れる発想法の一つなのですが、

どういうものかを、説明するのは、なかなか難しい。

発明者の川喜田二郎博士の本を読んでも難しい。

昨年このブログで、KJ法について書いたのですが、もう一度ここに書かしていただく。

問題解決とあわせて、人間が生きるための心の幸せや、活性化されたチームワークまで作り出せるという点でKJ法は技法以上のなにかとてつもなく大きなものを持っています。

なぜなら、真実にもとずく問題把握ができるからです。

カードを使い、いくつかのカードを一つの新しい表札にまとめるとき、創造性が必要になります

この作業が真実を発見する作業になります[やってみないと、また熟練しないと分からないのですが)

真実がわかれば、人は皆、納得し、自然と使命感がわき、主体性が出てきます。、

いかに複雑、混沌としていようが、混沌をして語らしめ、正しい問題把握をガラス張りでおこないます。そして新しい秩序を創造出来るというのがKJ法です。

まだまだ、高度成長期にあった昭和48年、

当時KJ法の発明者 川喜田教授が書いた、野外科学の方法という本に、今の世相を見通した彼ならでは文章があリます。

”大自然と無関係に文明が突っ走り、社会的責任とは無関係に企業が利潤を追い、民衆とは無関係に政治が空転し、大組織の中に人が埋没し、雑踏にいながら砂漠のように一人ひとりが淋しく、家庭も一人の心の中はばらばらで空しい。

組織の経営者はいのちの無い部品として社員を使い、学校では学生をいのちのない可塑剤として教育していないだろうか。

そういった風潮が深く、広く流れつつあり、

今人々は深刻な不満、不安、動揺、混乱、衝突の渦の中ですべてが解体の時代に向っている。

正しい、問題把握をしないまま、大きな欠陥があるまま進んでいるからであり、ここを根本的に解決し無い限り、こういう問題は治らない。

天地の 声のまにまに、今ここに、われはなすなり 花と馨りて

という歌を詠み、

彼はある使命感を天からの声と感じてこのKJ法の発明にいたったのだそうです。

KJ法が単なるカードの整理分類法ではないことを、まず理解いただけたでしょうか。

たいていの方はKJ法=カードの分類法と勘違いします

KJ法をもしそう理解したのなら、その先はKJ法などやらずに寝ていたほうがいいとアドバイスします。

漠然と抽象的な問題把握をしてはなりません。

KJ法をつかえば、素直に世の中の真実が見えてきます。

違う意味のカードを一つにして新しい表札をつけるときに、深い読みが必要です、このとき真実が見えてきます。

カードの身になって考えるから、真実が出てくるのです。

同じ事象でも、自分と相手では受け取り方が180度違います。

事実や真実とは、相手が感じた通りなのです。

我欲が強いとカードが読めません、自分勝手な取り方では、ウン、ウンと悩み苦しみます

相手の立場で、カードをして語らせる、それが神様の見方なのです。

通常、ほとんど、誰もが、勝手な解釈で、相手の立場を無視し、勝手に理解します。

ひとつひとつを自分の尺度で解釈しがちです。

妻との相互理解にも、KJ法で互いの問題点を書き出し、2人で解析したこともあります。

相手の願いをカードが代わって訴えてくれます。

カードを読み込んだだけで、相手の願いが理解でき、自分の行動が変わってまいります。

妻にいくら言われても治らない、わがままな行動が、

カードで事実を理解することで、相手を思いやる行動に自然に代われるのです。

正しく真実を理解「妻だから当然という心を取り去り正しく理解)することが大事なのです。

真実に対しては人間素直です。本当の理解、信頼、愛情がうまれます。

あうん、こそ愛情がありそうで、実は我情の感情が主体の一番危ないものなのです。

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2009年6月24日 (水)

随踵塾 人材

随踵塾で 人材とは? 

材木のように、使う場所に応じ、切ったり削ったり、使いこなす、もので、適材適所に人を使う側の上司の能力が問われることから、材木の材が使われるようになった。

という語源を教わった。

語源はそうかもしれないと納得できるが、私の経験からの人材論は少し違う。

これは30年大企業の研究室で、仲間として一緒に苦労し、仕事とは人が育ッこと。。として付き合い、70%の部下はみな天才的に仕事をしてくれた経験からの実感だ。

他職場から多くの落ちこぼれと言われるはみ出し者を、小星道場とか言われながら、預かったが、みな落ちこぼれどころか優秀な人財であった。

ただただ、上司とのミスマッチだけだとおもえた。みんな役に立ちたい、いい仕事がしたいと必死にもがき、必死で訴え、反抗しているだけだとおもう。

多くの場合使う側に責任がある。

子供の良し悪しは親に責任がある。親の問題だと思っている。

上司や社長は心すべきだ。

人が育たないのは自分が、小さいからだ、自分を超えては大きくならない、自分が大きくなれば子は育つ。

どんな人材でも立派に育ち、どんな役割もこなす、人に限界はない、ましてや切ったり、詰めたりして使いこなすべきではない、古い,語源だけにしたいと思う。

もともと、人はいろいろ、

①居るだけで問題を起こすような”人罪” 

②居るだけの”人在” 

③どこかには使える”人材” 

④人の何倍も役に立つ”人財” 

これが一般には 2:3:3:2の比率で存在すると言われる。

ところが、みんな財になりたいと必死に思っている。

育て方で、みんな人財になるはずだ。

本気で育て、死ぬ気で付き合い、子供のつもりで、叱れば、必ず育つ。

本気で、真剣に、一緒に、悩んで苦労してやることだ。

それには、常に夢を語って、志を説き、大きな目標を与え、社会的な意義を説き 

その目標を達成するための仕組みを考えさせる事だ。

能力なければその能力をつける仕組みを考えさせて、実行させることだ。

成果を徹底的に追及してあげ、時には真剣に叱る。

定期的に成果をチェックし、足らない仕組みを追加させる。

成果は人が出すものではない、。。。しくみが作りだすものなのだ。

ここが重要で。。。

仕組みで、誰でも出来るようになると信じること、人のせいにしては、しくみが作れなくなる。

目標に対し、やり方は任せ、足らなければ仕組みを追加させる、考えさせる、これだけで人は育つ。

仕事を離れたら、会社を出たら、誰でも平等につきあう、

人間として対等に、一緒になって、馬鹿になって、遊んであげる。

それだけだ。。。徹底して信じる。

それでなければ、

人財であっても。人罪にしてしまう。

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2009年6月23日 (火)

新田次郎先生の弟、藤原さんから訂正を戴いた。

コニカ時代の大先輩、藤原光人さんからコメントを戴いた。

17日の私の記事、新田次郎の名前が二郎としてあり、間違っておりました。また長男だと思ったスキー学校の校長さんが4男であり、新田(しんでん)という屋号の旧家かと思ったら”羽場の家”と、私のブログに、たくさん間違いがあり、訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。間違って記憶していたようです。

それにしても藤原さん、懐かしい方です。有機合成ファインケミカルの大家でした。今でも特許の仕事されているようです、尊敬するすごい先輩のコメントをそのまま、記載させていただきます。

[久しぶり、会社の人から、君の記事を教えて貰った。なかなか面白かった。
・ケチを付ける訳ではないが、間違いがあるので書きます。
・まず、新田次郎で、二郎ではない。想像通り、次男です。
・スキーの教師をしていた兄は4男で、僕は5男です。
・新田さんは、会社の口の悪いやつが僕に付けた綽名で、僕の家は「羽場の家」(はばのいえ)と言われています。昔、僕の家の辺が、鹿やウサギを弓で射る、好位置だったらしい。家を作った頃は、もう、畑や田圃になっていて、獲物は霧ヶ峰の方まで行かないと駄目だったみたいだが、地名が残り、家の通称になっていた]

そうですか、スキーの藤原先生はいつもハンテイング帽子をかぶって貫禄があったから当時から長男と思っていました。すぐ上のお兄さんの4男でしたか?

しんでんさんは藤原さんの綽名でしたか?

それにしても新田先生は、よい小説を書かれます。

剣岳の 映画の最後では、この映画を原作者にささげます。と大きく書かれておりました。

監督木村大作氏のCG、空撮なく、明治の男の草鞋に負けない気概で自然のまま撮ると大機材を担ぎあげ、アナログにこだわった志魂は、作者への感謝も忘れていないようでした。

しかし改めて新田次郎を調べてびっくりしました。

ご自身が、富士山測候所に勤務し、当時世界に誇る 世界最大のレーダーを最もたかい山頂に建設する作業にかかわり、この記録がNHKのプロジェクトXの第一回に登場したのだそうです

そしてこの技術を世界に紹介し、世界の気象レーダーの技術指導もしていたとのこと、無線ロボット雨量計の開発など運輸大臣賞にも輝いている、

作家と言うより高山気象学者の第一人者としても大活躍された方だった。おじさんの咲平さんが日本の気象界の第一人者でもあったようだ。

満洲抑留から引き上げて戦後の日本の気象観測を立て直された、ご自身が本当は作品になるような方だったのだ。

こういう経験があって初めて

苦労して初めて道を拓いたような人を小説に取り上げ、書かれた理由でもあるのだろう。

記録の調べ方も大変緻密で 時系列的に縦軸 横軸を作って人物と時間の経過を徹底的に調べ上げたうえで小説にしてゆくのだそうだ。

彼の作品のテーマは夢と挑戦=私の大好きな言葉でもある

まさにプロジェクトXのような歴史上,新しい苦難の道に挑戦し、道を開いた人物や科学者 や武将を取り上げた作品が多く、映画にも沢山とりあげらている。

コメントを寄せてくれた、私の大先輩である5男の藤原さんは、

たしか新田次郎さんに一番似ており、そっくりな方。[これも違うかな、もっと似ておられる兄弟がおられたかもしれない)

新田次郎のお子様 藤原正彦氏は 国家の品格の作者でも有名だし読ませていただいたが、彼も藤原光人さんにそっくりなのだ。

藤原家は凄い家系、DNAをおもちだとつくづく思う。

それにしてもなつかしい、

毎週のようにスキーに行っては、よるは信州なまりの”アアーゴシテエ-”とか 聞きながら真澄を飲んで、騒がしくおしゃべりし、夜を明かした40年前をおもいだします。

信州の方は理屈にはめっぽう強く、おしゃべりではとても勝てなかったな-。河西さん兄弟がスキーの談義をしだしたら何を言っているか、まるで聞き取れなかったし。

コメントありがとうございました。ますますお元気でご活躍ください。失礼ながら懐かしさに表で書かせていただきました。

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2009年6月22日 (月)

何をするかより、何のためにするか?が大事

期待していた”剣岳 点の記”  を早速観てみた。土、日ともに満席のようですごい人気,

映画の出来も、冬山や秋のナナカマドの真っ赤な紅葉も、剣の険しさの描写や大きな荷を背負う長次郎の強力の姿も昔のまま、懐かしく、とても満足できるものであった。

久しぶりに、迫力ある、懐かしい、山々を堪能させていただいた。

昔、何度かこの山に登ったが、こんな歴史的な観測隊の初登頂、挑戦の苦闘があったなどつゆ知らず、当時はただ有名な難コースとして、荷物を背負っての登攀には少し恐怖感のある鎖場や難所が多いなーという記憶が残っただけの山であった。

CGをまったく使わず空中からのコースの描写は昔を思い出させてくれるのに十分な、剣の迫力ある稜線や岩場を見せてくれ、当時の姿がよみがえってうれしくなった。

ストーリは先日このブログで書いたとおりで、小説とは少し違うが大方は満足できた。

ただただ、テーマは、掘り下げる

ただ地図を完成させるために、なぜこれだけの危険を冒さなければならないか?

案内人と測量官が葛藤を超えながらも、だんだんと地図を作るという共通の目的を互いに理解しあい、共有してゆくサマが語られ、次第に仲間が出来上がってゆく

村では立山信仰上登ってはならないとされ、死の山とまで言われた危険なやまだが、

いつか誰かが道を開かなければ、毎年、誰かがやってくる、

それなら、この測量隊という、純粋な目的のこの柴崎の旦那に登らせてあげたい、という登りたいという方に安全に道を案内するという使命感から、協力してゆく,長次郎に、

柴崎も応える、旦那と使用人という関係ではなく、もう俺達は仲間なのだと、

ともに苦労した”仲間”として信頼しあい、尊敬しあう間になって行くさまが描かれている。

そして、何をやったか?ではなく、

何のためにやったか?が大事だと互いに納得しあう。

敵であったはずの山岳会の人々とまで、健闘をたたえ合う、仲間になってゆく、

命令に従い、仕事をこなすのではなく、

仕事を通じ、人の心が高まり育ってゆく大切さが語られ、良い映画になっていた。

世の中の、会社やいろいろな組織が間違いを犯すとしたら,

この陸軍大佐 樋口や大久保少将のように前人未登とか、初登頂競争に勝つというようなメンツだけが最上のものとなり、あらゆる判断をゆがめてゆく事にあるのだろう、

現代でもおおくの組織に起こりがちな、間違いでもある。

”何のために” を忘れた結果はいつも悲惨だ、

やはり、人のために、世のために、何をするかだ。

この場合も、精密な地図を拙速でなく作り上げ、記録を残すこと、

そして、迷信ではなく、誰もが安心して登れる、安全な山にするための道を拓くことである。

まさしく、私がやっている、ホットアルバムも何のために世に広げたいかだ。

スキルがなくても、主婦やシニアに、安心して普通に写真を楽しんでもらうためだ、そういう安心を作り上げ、デジタルデバイドという(難所)をなくして、楽しい写真ライフを提供するためだ、

そういういう感動を達成するまで最後の5分をがんばり切れたら、ルートはきっと見つかるはずだ、そして最後は、きっといい仲間が集まっているだろう。

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2009年6月20日 (土)

経営者の大事な姿勢を学ぶ

昨日は三略会での全体テーマの今年の感動について書いた、、

実はホスト企業としてホットアルバムを写メの保管ソフトとして商品化しようと考えている写メレブについて紹介させていただいた、ホストだから一番最後に会社や商品について説明させてもらうのだが、

私が説明する前に

90人近いメンバーの中頃に発言された方からHOTALBUMの良さについて、感動したとのお話が出て、びっくりした。

この会でも存在感ある、信和産業という、半導体総合商社社長のMANABUさからだった。

(この方は三略会ではMANABUさんと名前だけで呼ばれている方で、苗字で呼ばれてもピンとこないくらい存在感のある方なのだが)

その方のお話は

今年の冬、首相官邸を17.8人で訪問し見学したことがあるがこれに感動したという

TVでおなじみの記者会見場[日の丸の国旗が後ろに立てられた場所]で会見テーブルに一人ずつ立って写真を撮ったり、組閣後にメインロビーの階段に緋の絨毯を引いて閣僚の記念写真をとる場所で、みんなでこの階段に並んで立ち、三略会組閣?記念写真を撮ったりしてあそんだこと、そして

その写真を撮ってくれたのが小星さんなのですがと言いながら

これがその写真をおさめたHOTALBUMですとみんなに見せ、

これを一諸に行ったみんなに配ってくれたので、

これを家族みんなにTVで見せて、官邸の様子や、官邸での記念写真の感動を家族にもつたえられました。そして奥さんにもとても喜ばれたと、MANABUさんの感動として話してくれました。

私もびっくりしました。たしかに首相官邸は初めてでとても感動しましたが、しかも事前にHOTALBUMをさっと探して持ち出して持って来てくれたとは。。。

本当はこれがHOTALBUMの最大の特徴なのです。

誰でもおじいちゃんでも、おばあちゃんでも、パソコンが使えなくても、欲しい時にサット探して写真を持ち出すことができるのです。

家族のことを考えたら絶対にHOTALBUMに保管しておくべきです3年後、5年後きっと家族に喜ばれます。

パソコンの中やメモリーカードに重ねて沢山保管してあったら、忙しいとファイルをいちいちあけて探すのはいやになってしまいます、だから結局つかえないのです。

デジタルは便利なようで、不便なのです、

数カ月たつとどこに保管したかもわからなくなる、便利でどこにも保管できるから。。。これがその時の写真ですとは簡単には見せられ無くなります。

そんなことをパソコンで満足している方に口酸っぱくいっても分からない、しかし私が言いたいことを一言も言わずに、行動ですべて示してくれた。

HOTALBUMを取り出して見せながらお話しするMANABUさんにとても感激させた戴いたのです。

この方はすごい方だなとつくづく感心させられました。

MANABUさんは今日のホストが私と知って、おそらく2月に差し上げたHOTALBUMを朝さっと探して鞄に入れてきてくれたのでしょう。

しかし、先生のテーマのお題、ことしの感動 はここに来るまで分からないはず、

偶然だろうが、首相官邸の記念写真をおさめたHOTALBUMdisc をあらかじめ持参して来てくれたことが、

突然出されたテーマ、ことしの感動 にぴったりしたお話しになったのではないでしょうか、

私でも毎月のホストを知って、その方に関することを探すかなと。。。

とても反省しました。

日頃から人のために生きるとか言っても私の場合、所詮はまだまだ出来ていない、単なる目標でしかないような気がする

この方は実践できている、頭が下がる。、

毎月の三略会では、その日に誕生日の方がおられるとその方を大勢の方がハッピーバースデイの歌でお祝いするのが習わしだ。

その時このMANABUさんは必ず その方の事情を調べてきており、突然指名されても、替え歌でお祝いする、一日中考えたって難しいような気配りの詩を作り、本人を讃え祝福する。

いつも必ずなのだ、誕生日だけの気配りではなく、こういう企業ホストにも、そうしているのだと知った、常に、出あう方のため。。。ができている

人を助けるとは  こういうことなのだ、お客様のためになるとはこういうことを言うのだろう。

この方の会社のサービスは間違いないだろうと思ってしまう。

いろいろな会社に行くといろんな経営理念や行動指針、標語などがかけてあるが

経営者、TOP自ら 日常生活にも、理念が実践できたら社員もきっと自然に薫陶される。

社名も、信頼と和から取ったようである。

言行一致ですべてに 信と和の心が行き届いている経営者の学さんから沢山学ばせていただいた、とても感謝している。

あの場で、これを言ったら、演出と思われるかもしれないので、後で電話でお礼をお伝えした。いや本当に女房も便利だと使ってくれているんですよと言ってくれ、ますますうれしくなってしまった。

こんな風にして、HOTALBUMは口コミでだんだん広がってゆくだろう。

商品そのものは、スキル弱者にとても優しく、作ってあるから、世の役に立ってくれるだろう、しかもNETでの専用ディスクの販売なども障害者の作業施設に受発注作業をお願いし社会貢献にも力を入れているなどと、言ってみても、けして威張れない。

経営者としての私の日常生活に、心からの優しさや気配りが出来ているわけではないから大いに反省しなければ、

MANABUさんのように日常生活でも実践できるよう、心行の努力を積まなければと思った次第である。

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2009年6月19日 (金)

三略会 今年の感動

昨日は、三略会のホスト企業を仰せつかり、

先生から、小星さんは特許680件も出された超人だとか、小星さんと知り合いの方に逢うと、たいていは小星さんのためなら何でもやりますという人が多い、とおほめをいただきながら冒頭紹介された。

アル方から、特許680って、それって本当ですか?と聞かれ、そうですか、それはすごいと感心された。

本人としては、生涯特許680件は成立したものだけで、部下と一諸に出願したものまで加えれば、そんな数ではないのだが、それにしてもこんな形で紹介され、ありがたい限りである。

ホスト企業が何をやるのかもよくわからず、いつものように少し時間をオーバーしてしまい

時間を大事にされる先生からしかられてしまったが

三略会では、まだ、1年にもならない新参者、若輩だから、こんな名誉なホストを仰せつかり、恐縮し有り難い事と感激している。

昨夜の全体テーマは今年になって、感動したこと。。。。

 ある方の感動

ご多分にもれず我が社も景気が悪いので、女の子2人だけ昇給させ通知したら、その子が来て、社長、この不景気は私でもよくわかっています、昇給は辞退します。今年一杯みんなと協力しがんばって来年昇給させていただきますといった。この部下には本当に感動した、

とか、

朝四時半から電話が鳴った、きっと悪い知らせだろう、おふくろが死んだのかな と思ってでたら、そのお袋が電話に出ている、そして夕べ、私が寝たあとサクランボが届いたので、仏様にあげてから、食べようと思って、でもその前にお前に電話したという。。。何も朝4時半から電話しなくてもと思ったが、とても感動したとか、

あいがとうを10万回言ったら、がんが消えてしまったという本をよみ、その話に感動したとか、

いろいろな感動の話が聞けた、とても良い話が多かった

橘師が言うには経営者は社員の3倍感動しなければ駄目だという。

そのとおりだなとおもう。

私は、4月の25日にあるところで、自分の会社人生の成功のおかげについてあるところで45分ほど講演する機会があり、その折、話の最後が自分で感動してしまい、涙でお話ができ無くなってしまったことを伝えた。

今まで自分を支えてくれた、部下たちの顔が、一緒に苦労した時のことが、走馬灯のようにくるくる思い出されてしまったのです。

最後の定年祝いに、昔にやめてしまったはずの、昔の研究室の女の子までが皆集まってくれ、最後にみんなに何度も何度も胴上げされたことが思い出されてしまったのです、

ああ多くの方に、お世話になったなー、ありがたいな、と思った瞬間、なぜか涙が止まらなくなって話もできないほど感極まってしまったのです。

これが私の今年の最大の感動でした。

これ以上は話しませんでしたが、実は。。。。。

なぜ私が会社で、多くの発明をするようになったのか?

実はアルきっかけから学んだ事を会社でのマネージメントの根幹に据えたおかげなのです。

私が、働き盛りの31歳のとき、上司との葛藤から、心の病になり会社を長期に休んだのですが、このとき小さな子供を抱え、こんなことで、この先ずっと生きてゆけるのだろうかと、悩み苦しみ自殺まで考えました。

苦しみぬいた末、親の代から伝わる家の宗教の開祖 江戸時代のお百姓だった教祖様の言葉をKJ法で2週間もかけ解読したのです。

その教祖のみ教え、ご理解の一つひとつは、なんにでも感謝せよとか、なんにでもありがとういと言える和の心をもてとかとおもうのだが、何をどうしたらしたらよいか?感謝の気持ちだけでたすかるのか、いまひとつよくよくわからない?

神様が本当に言いたいことは何なのか、どうすれば人はたすかれるのか?

それでは科学的にKJ法で解析したら、きっとわかるのではないか?KJ法とはそういうものだと思ったのです。

その結果、すべての教えの根幹は。。。

一言でいえば、

すべての人が助かることが神のねがいであるが 人を助けられるのは人にしかできない。

だから生かされているというおかげを知ったら、お礼に人を助けよ

人を助けることが、自分が最も助かる唯一の道、だと教えているのでした。

愕然としました、神様が人を助けるのかと思ったら、それは単なるご利益信心だというのです、すべておかげは平等にすでに授けてある、

人が助かるかかどうかは人間次第、神は人の道を教えるだけ、徳を積めば自然と助かるというのでした。

そして、上司に対する不満や他人に対する不満、葛藤は、自分の心の我がままだったと気がつかされたのです、

人を助ける=徳を積む=自分を犠牲にして。。。というようなことではなく、

人も助かり自分も助かる道、

それなら、よし、会社を良くして、みんなが働きやすい職場を上司と力を合わせて作てみよう。それが私がやるべき人を助ける真の道と決められたのでした。

それからは、毎日考えました。

入社してくる新人や若い人のために、彼らがこれから先、自分と同じように悩まないで、生き生きとやりがい持って働けるような、夢のような自主的な職場を、どうやって上司を巻き込んで作るか?これを自分の使命として命がけでつくってゆこうと、工夫していったのです。10年かけました。

不思議なことに、人のことを考え始めた瞬間、心の病気は治ってしまいました

(おそらく現代の鬱もみな同じことだと思います。自分のことを中心に悩むから病気になってしまう、治すなら人のことを祈れるようになればきっと治るはず)

そこからさきは、仕事の目的を、利益でなく、人が育つこと、人を育て、お客様の役に立つ写真の発展に尽くせる人材を育てること、におきました。

人を生き生きさせるには、管理せず自主的にやらせることでした、人が育つ仕組みを作ることが一番の楽しみになって、大きなしごとを考えどんどん挑戦させました。どんどんひとが育ち、仕事も成功してゆきました。

部下のため=力をつけさせ、世の役に立つ仕事で燃えられるよう、自主的に努力できる風土を作りました。 

そして互いを信頼しあい、集団の力を合わせて不可能に挑戦する組織=集団天才組織を目指して、30年、部下とともに、やっていったのです。

お客様のことを第一に、人を立てると、心が素直になれ、創造性が出て,ひらめきがでてくるのでした。

不可能なことがどんどん解決し、世の中で最初に解決させていただけるのでした、願ったことがみな、変なきっかけで発明できてしまったのです。

ツキが出て、無限のアイデアをわかせていただけるのです。それが特許680件にもなっりました。

不可能なことを実現する 矛盾を解決するのが創造性ですが、創造性は自主的な利他的な心からでるということは実は後から知りました。

すべては人の幸せを第一に考えると、前頭葉がフル回転し発明を生むのです。

それも部下が一緒に燃えてやってくれたからこそ、一緒に苦労してこられたのです。

自分一人だったら何もできやしませんでした。

実は、この三略会も同じような、相互信頼の 仲のよい、魅力ある組織が出来あがっているようにみえます。

こういう魅力ある組織を作り上げた主宰の橘三朗師や武社長の努力に頭が下がるとどうじに、これを何十年も継続して発展させてきた、100回も260回も参加している、先輩たちに感謝したい。

皆さん立派な 男の道を歩いておられ方ばかりだ、いや女の道の社長も何人もおられる、失礼した。

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2009年6月18日 (木)

私の街の 点の記 (続)

Nihonnmatsu_2

写真は、私が生まれた相原の村の外れ、津久井街道にあった樹齢400年という二本松である。昭和29年頃の写真である。

この松の左にある塚が当時の相模原市の最高地点で、このころ、ここに3等三角点が設置された。航空測量のため、今は跡形もない。

剣岳に立てた三角点は4等三角点であったが、なぜ主人公柴崎さんが、あのようの残念がったのか?

実は3等三角点は”点の記”として記録に残リ永久施設だが、4等三角点は、点の記録にも残らず、あくまでも補助的な仮指標という扱いだったのだ、

だから柴崎さんらの、剣岳への正確な登頂日も記録が残っていない。

そんな理由から4等三角点は、補助的な指標とて扱われ、3等とは大きな違いがある。

命をかけて挑戦した剣の初登頂、それはできたら3等三角点を立てたかったと思う。

もうちょっと、予算に余裕があれば、2年かけた計画であったら、資材を運び、鎖や梯子をかけ確実に3等三角点が作れるはずだったのだ。。。残念がる気持ちがよくわかる。

雪が消え、次に雪が降るまでの、たたった半年、

地図もない広大な剣、立山連邦の30点もの山々に場所を選定しながら、3等三角点を設置、測量も続けながら、なおかつ山岳会に負けないよう剣岳初登頂をはたせとの目標を課せられ、命の危険を冒してこれを達成したのだった。

成功しても、東京の軍幹部は、古代に登った形跡があったというだけで、何だ”初”ではなかったのかと、軽く扱い、4等がために、記録も遺せない、悔しかったとおもう。

しかし、ふもとの村に辿りつくと、何と横浜の山岳会員から祝電がとどいていた。

最大の敵だと思っていた、日本山岳会から、初登頂おめでとうと心からの祝福であった。

皮肉にも、初登頂として、最高の評価をしてくれたのは、命令した軍ではなく、敵と思っていた山の仲間であった。

写真の二本松に三角点ができたとき私は、小学生であったが、国土の測量のため非常に大切なものとして、先生が授業で教えてくれたから、私にとって点の記というのは、とても身近で懐かしいものだ。

この名物二本松は、伊勢湾台風でやられ、その後枯れてしまったが今は3代目の二本松が植えられ、この付近の地名となっている。(相模原市二本松である。)

村はずれで、見渡す限り畑の原、一軒も家がなかったこの場所に、昭和25年に松の左側に小学校が立った。そしてこの付近に2,3軒の家ができ、29年この学校の前だけが、村で初めてアスファルト舗装になった様子である。

子供の時,、松は見上げるような大木で、根元にあいた大きな祠のような穴に入って、あそんだ記憶があるが写真を取り出してみると、松の根元の穴はそれほど大きいものではないようだ。

ここが今では街の中心となり、相模原市も 津久井の道志山塊まで合併し大きく発展、政令指定都市にもなろうとしている。(そのため合併後は二本松が最高地点ではなくなった)

写真は古くなるほど価値がある、久しぶりに昔を思い出させてくれた。

古い写真を、デジカメでアルバムの上から撮影して、ホットアルバムに収め、整理してある。

デジカメはスキャナのようなものなのだからアルバムからいちいち剥がさず、接写することで昔の写真もきちんとデジタルアルバムに出来る。

そして日付をデジカメの撮影日(接写日)ではなく、オリジナルな昔の撮影日に変えておけば、日つけで探せて、欲しい時さっと取り出せとても便利である。

ホームページ(http://www.ha-hotalbum.jp)から無料ダウンロードできるから使ってみてほしい。

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2009年6月17日 (水)

剣岳 点の記

剣岳、”点の記 ”が 映画化され、いよいよ6月20日より全国ロードショーとなる、楽しみにしている。

若いころ、何回かこの剣岳には登ったし、この小説も読んだことがある。

たしかに、どのコースから登っても、急な岩場が多く、、鎖場や梯子が多くかかり、今でも難所と感じる場所が多いだろう。

山岳部だったから、日本中、ほうぼうの山を歩いたが、岩登りコース]以外の一般的なコースの中では、剣岳は、怖いという思い出がある。

槍と穂高との間にある大キレットなども難所として有名ではあるが、実感としては剣岳へのコースの方が重い荷を背負った時、きつかった。

明治時代の最後まで、日本でも数少ない,未登の山であったことがなんとなく、うかがえる。

この小説を書いた作家、新田二郎さんは、私の会社の先輩で親しかった特許出願の名人と言われた藤原さん、のお兄さんであり、 八甲田山死の彷徨 も二郎さんの作品だ。

藤原家は長野県の諏訪の山の上の方の村の名家で、新田(しんでん)さんと言われる屋号の家だったとおもう。

長男は私が若いころ、良く行った車山や霧ケ峰のスキー学校の校長さんでもあり恩師だったかただ。

そんなわけで、”しんでんさんの二男”、だから、ペンネームを 新田二郎としたのだろう。(そんなことはどうでもよいが?)

物語は、陸軍 陸地測量部の技官 柴崎が、日本山岳会のメンバーと先を争って、剣岳 初登頂を競うというもの。

もともと、国土の測量は内務省がやっていたのだが、明治11年に軍が無理やり奪い取って参謀本部測量局にし、日本全土の正確な地図作りを始めた、

彼らは日清戦争後の平時の戦の対象として国内地図上の空白地帯への測量三角点網の設置を位置付けていたのだ。

そして舞台となる、明治38年頃は、地図上の空白地帯は限られた、山岳地帯のみとなっていた。

ちょうどこのころ、ヨーロッパでは貴族のスポーツクラブとしての山岳会がアルプスの各峰に登頂し、登山技術が進歩しだしていた。

日本では、新潟の豪商が日本山岳会を設立、各地に支部ができ始め、未登の山や未開拓コースの初挑戦を競いだしたころでもあった。

未登で、三角点のない山、剣岳は 実は立山信仰の考えから 絶対に誰も登ってはいけない、針の山として、地元では人を寄せ付けない山としていい伝えられていた。

その昔弘法大師が草履3千足使っても登れなかった山として、誰にも、登れない、、登ってはいけない山とされ、現実にも、だれも、どこからも登れなかった山だった。

ある山岳会のメンバーが剣周辺の地図の提供をお願いしに、軍の測量部を訪問すると、上層部の武官は、未登 剣へ先に登られては軍の面目にかかわると柴崎(文官測量士)を呼びだし、剣岳頂上への三角点設置と周辺の 三角点網整備を急げと命令する。

剣へ入ッた、柴崎は案内人選択から始めあらゆる工夫をして困難を乗り越え、調査をするのだが、ほとんど可能性はない、

しかし、出来ると思えばできという信念と、山にこもる行者が言い残した、”雪を背負って登れ”という言葉に希望を託し、挑戦を続ける、

あらゆるルートを登ってみては、道をさがし、危険を冒し、これに挑む、最後は大雪渓から攻め、岸壁を乗ッ越し、山岳会より先に征服するのだが、

実はあまりに危険すぎたため、荷があげられず、むなしく4等三角点の設営に終わるのだった。

せめて3等の三角点を設置したかった。

剣岳初登頂という大仕事を成し遂げ引き揚げるとき、喜びや感慨は一切なかったという。

これほど厳しい目標に、限られた予算しかなく、限られた日程で、しかも山岳会より一日も早くという命令に頭を抑えられ、ただひたすら、自らの肉体を削り、酷使し、危険を冒し、その結果が、4等三角点であった、

せめて岩場に、鎖を設置し梯子をかけ、荷をあげて、3等三角点を設置し[点の記]に記したかった。。。それが測量人の務めだから、とかれは思った。、

東京で、現場の状況一つ知らず、机上で予算をつくり、机上の精神論で実施命令を出す軍幹部たちを、一度でいいから、ここに連れてきて、

雨の中、雪の中にテントで寝かせ、裸足で岩を登らせ、ハイマツの原生林を漕がせたいとおもうのだった。

空しいい戦いではあったが、彼は、近い将来きっとここに登山道ができるだろうと、道を開いた喜びを胸に、案内人達の労をねぎらっうのだった。。。、

この話は身につまされるので書いてみた。

おそらく東京では何だ大昔、行者が登ったあとがあったのか、初登頂ではなかった、残念で終わってしまったのだ。

会社の経営でも、おなじだ、TOPは現場をしり、部下にあらゆる支援をするべきだ、予算がなければ、苦労を共有してやるべきだ。

相手の苦労を思いやることは難しい。しかし相手は必ず自分より苦労しているという心があれば、かならず理解できる。

たいていは相手より自分が苦労していると思ってしまう、

この映画で、見てほしいのは、自分が柴崎さんではなく、命令を発している、軍幹部としてみてほしい。実は無言の圧力を出している、命令を出す側として見ないとこの映画の意味がないようにおもえる、そういう眼でみてほしい。

日常の家族に、社員に、友人に、あいつは努力していなと思っているいた方に、必ずやさしくできるはずだ、これが自分でもなかなか難しい。

ありがとう、の感謝の心を、剣に登るあの当時に柴崎さんの偉業を知っておきたかった。

新婚時代いつも出張で山に行っていた旦那さんを、心配し続けた奥様の 葉津よ、さんが読んだ旦那さんの33回忌の歌がある

”みじろがぬ石の冷たさ奥津城の吾名刻みし 墓碑に額ず”

人への感謝は難しい、自戒も込めて思うところを書いてみた。

そして、ほとんど道はないと人が笑う、ホットアルバムを国民的なアルバムにする道を、必ずや”と思いなおした。

柴崎さんのように、

必ず道はある、あると思えばあるのだ、雪を背負って登る道が、あるはず、

これからも毎日挑戦をしてみたい。

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2009年6月15日 (月)

気をつけて 川や海での小さい子

昨日、おとうさんが小さな子供を川に釣りに連れて行き、車にちょっと釣り竿を取りに行った5分の間に、子供がいなくなってしまった事故があり報じられた。

一生懸命探したが、やはり川にはまって沈んでおり、死亡させてしまったとのこと、このおとうさん、おそらく気が狂うほど悲しく、どうして一緒に連れていかなかったのだろう。。どうして?どうしてと悔やんでも悔やみきれない気持ちだろうと同情する。

家で待っていた奥様もどんな気持ちだろう、不注意の旦那さんを許せないだろうが、責めずに、悲しみを共有し乗り越えて行って欲しい、お二人の心の助かりをお祈リいたします。

実は、私にも同じような経験があり、こういうお話を聞くと、思い出しひやっとする、そして当事者の気持ちもよくわかる気がするのです。

昭和49年夏、3歳の長女と1歳半の次女を連れて、車で2時間くらいの中津川にキャンプに行った時のこと。

まだあのころは河原に自由にテントを張って、キャンプをすることができた、今はその場は宮が瀬ダムの底に沈んでしまったのだが。

河原に車を乗り入れ、子供をそばで遊ばせながら、荷物を下ろし、テントを広げ、妻と一緒に組み立て作業を開始した。

子供もキャッ、キャット言いながらまとわりつき、こちらも声をかけながら、作業をしていた、と思っていた。

テントが立ち上がるまでは、全体が見えるからよかったが、テントが立ち上がるにつれ、、向こう側は見えなくなり視界が悪くなる。

そして、テントが張り上がるころ、出来上がりを急ぐ気持ちも強くなり、注意力もテントの出来上がりに向いてしまいついつい夢中になってしまう。

一瞬、ハット我に返り、子供は?と見渡した。妻のそばに長女はいるが次女がいない?

当然向こう側かと思って、テントの向こう側に回ったが?

次女がいない?

エッと血の気が引いた。

小さなテントなのに2回ぐるっと回る、いない>?、ドコッ?晶子がいない?

30m以上離れた一段下がった川の方を見た。

エッツ、信じられないが、娘が川面を流れ始めている。。。まだ追いつく、。。。声も出せなかった。

ダットのごとく、川に走り、飛び込み、7,8mゆっくり流れだしていた娘に飛びつき、抱き上げて、連れ出し助けた。

子供は声もあげないでおぼれるのだと知った。

幸い、まだ腰くらいの浅瀬で流れがゆっくりの場所でよかった、その先50mくらいから急な流れになる。

後1分気がつかなければ、助からなかったかも、その差は一瞬だった。

子供は水を見ると黙って近づき、自然に入ってしまうようだ。

お風呂で馴染みのお水が好きなのだろうか。

1歳半から3歳くらいまでが危ない、予想するに、子供はこのころ、いいもの見つけたと思って水に近づき、入ってしまうのだろう、水が好きなのだと思う。

それ以来、3女が生まれても、どこに行っても、妻か私のどちらかが必ず目を離さないことにしたが

よく、家族でこの話がでる(、もちろん子供たちには全く記憶がないのだが、)

あの時のことは鮮明に覚えている、川に飛び込み、子供に追いつき抱き上げたときの安堵感を、

今でも、もしあの時、子供を流してシマっていたら?と思うとぞっとする。

ほんの一瞬なのだ、どうして?と思うくらい一瞬のミスなのだが、命取りになる。

おこしてしまったことは仕方がないなどと、気休めは言えないが、残った家族が力を合わせ、助け合って、生きて行ってほしい、お子様のご冥福をお祈りします。

小さな子供を持つ方は、4歳までは一瞬も目を離してはいけないのです。

そして、もしアッツ、子供がいないというときは、

まず最悪の水の中を一番最初に探すべきだ、陸(おか)は後でいい、私の場合あと1分遅かったら、水の上には見えず、急な流れの水の底だったとおもう、結果はどこにも見えない、まさか水に入るとは思えない、思いたくないから無意識に、希望的な陸をめがけて探して走り回ってしまう、そして最後に諦めて水の中を探しても、その時はすでに手遅れなのだ。

だから必ず手遅れにならない最悪のケースから探すべきだと思う。もちろんそんなことはないに越したことはないのだが。

今私たち夫婦が仲良くやっていられるのも、このときたった1分早く気がつかしていただいた、神様のおかげなのです。感謝しても感謝しきれません。

本当に後悔先に立たず。。なのです。

今この子は、3人のかわいい孫達の母親です。

もしあのとき。。。最悪の結果なら、この孫たちも生まれていなかったと思うと命の尊さを思わずには、また、感謝せずにはいられない。

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2009年6月13日 (土)

新しい企業経営

今日(土)は三略会のゴルフで千葉まで行って来た。

スタートが7時20分だったから、6時40分集合、4時半に家を出た。

メンバーもラウンドも最高に楽しかったが、スコアは散々だった。

それでもこの会のメンバーから学べることが多く何ものにも代えがたい。

帰りは、お話が楽しい、八王子のKさんと、企業経営の姿勢について語りながら帰って来た。

ホットアルバムは、,厳しい環境の中、2期連続の増収増益、しかも20%近い結果を出すことができた、みな様のおかげでもあるが

まだまだ小さな数字のなかの成長だから、何も威張れたすじではない、それでも外からは、いまどき良くやっていると、高く評価されありがたい。

しかし、私の目標はそういう既存の資本主義的な会社経営にあるのではないんですよとお話した。

定年後、たいせつな残りの人生を費やして、無駄なことをやるつもりはない

アルバムソフトなど、今どき、NETから無料という時代、ビジネスになるはずもないはず、、業界共通デファクトを狙うなど、気違い沙汰と言われる。

単に会社を興し、儲けるならコンサルタントや講演でもやった方が、手っ取り早い。毎日苦労して、あらゆる可能性を試しながらチャレンジし続けるのは、新しい企業のあり方を求め、実現してみたいからだ。人生をかける価値がある気がする。

有り難い事に、

HOTALBUMはパソコンが使えなかったスキル弱者の方から,大きな評価を得ている、口コミでお客様が日に日に増えているのだ。

これは私にも使えたよ、

パソコンが覚えられたよ、

友達から聴いたのだが、

友達から推薦されたのだがと、

毎日電話がかかってくる、多くはシニアのお客様、パソコンへのインスト―ルから教えて差し上げている。そしてクチコミで広がりつつある。小さな動きだが今までにない、本当の普及が始まってきたようだ。

スキル弱者が救える。うれしい流れが出来つつある、そんな兆候がでてきた。うれしい限りだ。

今時のデジタル業界で、お客様に喜ばれ、,ますます必要性が高まるビジネスなどめったにない恵まれた事だ。

まだまだ基盤つくりだから、経営者は皆、報酬なしの手弁当、持ち出しで、協力していただいた結果だから、実力ではない。

しかしながら、東京都の事業性評価など、公的な機関での審査や金融機関からは、この地道な経営姿勢と経営理念には、それなりの評価をいただき、感謝している。

本来の目的は、HOTALBUMの普及を通じ、お客様の大切な思い出を守り、写真文化を発展させることにあった、

最近もっと大事なことは、パソコンスキル弱者でも写真を楽しめるようにすることだと思えてきた。これは特に東京都の中小企業振興公社の審査会で実感した。

だから今は、弱者の味方になる、商品、仕事を作ることを経営の基本に据え始めている^^、NETショップでの受注、発送作業も障害者施設を使い、社会への福祉的な事業へ還元したいと願っている。

今日のニュースでも経済不況の影響で障害者福祉作業所の仕事が3割も落ち込み、何とか障害者の若者たちが家を出て楽しく作業所で働ける、仕事を求めている。

売れ行きが伸びれば伸びるほど、,社会還元を考え、国民の利益になるアルバム企業として飛躍をしてゆヶたらと思う。

そして、ゆくゆくはコンシューマーが自ら支えるような価値ある企業をめざしたい。そんな経営をしてみたいと思っている。

写真をNETで預かり、広告での儲けを狙い、儲からなくなると、突然撤退し、預かった写真は知りません。。。となる。これが大多数の無料NET保管NET企業の姿勢だ、これではいけない。

まだまだ構想段階だが、そんな既存の企業形体とはまったく違った、アルバム企業を考えている。お客様のための写真アルバム会社だ。,ホットアルバムは、業界や社会共通のアルバムとして利用される、そんな夢が実現しつつある。

そういう夢と一緒に企業も大きく出来たら、そんな夢が実現したら、面白いなと思っている。

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2009年6月12日 (金)

事業と特許

先日、三略会の 橘三朗 師から電話があり、小星さん,特許って何件出したんでしたっけ?

コニカ時代の出願ですか、?、およそ680件くらいですかね。

それって出願でしょ、成立した特許は? いや、成立特許ですけど。。。.コニカでは、ほとんど審査請求してましたから、だいたい成立してますよ、そんな数です。

(若い時、全盛時には、毎月20件も連続して出したこともある。)

ヘエーすごいね。。発明ってそんなに簡単にできるのかね。?

そんな事聴いて、何に使うんですか?

いや今月の三略会なんだがね、あなたがホストなんだよ、皆さんへの案内を書いているんだが,それに必要なんでね。

いやーまだ1年にも満たない新参者です、そんなもったいなくて出られませんよ。。

。。。とにかく私の人生においても三略会は,娑婆では味わえない、あり得ない《有り難い》空間で、いろんな人からいろいろ学べる。

今はまだホストなど出来る身分ではない、この事業もデファクト化の兆しはでてきたが、まだまだ1万歩のうちの一歩。

しかし、事業にはコアコンピタンスとなる技術やアイデアがあったとしても、これを守る特許がなければと思う、そして特許はそれほど難しい物ではない。

特許が出ない人は自分本位にこれでいいはずと商品を開発してしまう人ではないかと思う。

まずお客様の不便を考えてみる、家の中で使う人の身になって考えるとアイデアはいくらでもでてくる。

パソコンがクラッシュしたら,データー取り出せない、何万枚もメモリ-カードに貯まっても見る気もしない、上書き誤消去して消してしまったらどうしよう。10年後にOSやドライブが進化してしまったらどうしよう。。。とお客様の身になって考えてみる。

すると、普通は、ハードとソフトでシステムが出来ているが、これは間違いだと思えてくる。世の中使いにくい,デジタルシステム総じてひどすぎるとおもえてくる。

そうか、これからはフィールウエアとソフトウエア、ハードウエアとスタンダードの4つが必要になるなと考える。

単なるソフトの時代は終わりだな、時々しか使わないアルバムなら見ただけで使えないと駄目だな。

ソフトを見たまま,マニュアル無く、,誰でも使える直感操作という使い勝手のフィールウエアがなければならないと考える。

そしてハードもソフトも,自社だけと言うのでは無く、各社の互換性が保証された、スタンダードという規格上で動き、時代が変わり進化したら簡単に書き換えられなければ、,いつまでも使える物でなければならないとしてみる。

そんな考えが,実はホットアルバムには詰め込んである。

無意識に使えて,中身は優れもの、一見ダサイが中身は極めつき。。というような商品を考えたのだ。そして写真が100年先まで使える遺せる。

そうすると、昔の技術と新しい考えの組み合わせは、今までの特許には絶対に書いてないはずで、すべて特許請求出来る可能性があるのだ。

コンセプトを全く新しくし、、今まで無かった概念を持ってくるとアイデアはいくらでも出てくる。

ホットアルバムは、出願だけなら240件、審査請求は48件もだしてある。

アイデアと技術の固まりだが、もしこの特許がなかったら、起業しても誰も相手にしてくれなかったろう、デファクト化など夢の夢だった。

特許はすべてにおいて企業の経営の根幹となる,。

特に中小企業では、技術がない、アイデアがない、何もユニークなモノが無いでは、事業にならないだろう、,もしなるなら、それは相当ラッキーなケースだ。

どんなに商売が当たっても、特許がなければ、必ず大資本にやられてしまう、当たればなおさらだ。

どんなことでも、アイデアさえあれば、特許に出来る、すごい出願戦略をお持ちの先生もついている、必要ならいつでも紹介しよう。

是非、三略会の皆さんにそんな特許満載のHOTALBUMを紹介し,使って欲しいのだが、困ったな、ソフトは今までダウンロードで販売しているから、皆さんに配る物がない。

25日か。。間に合うかな?CD-ROMのプレスがギリギリ間に合うか、手配を始めたのだが。

届いた案内メールを見て、またびっくり、今月は一週間早い、25日ではなく、18日だった、間に合いそうもない。

それでは仕方がない,コピーと手作りデいこうと決めた。

1970年以降、写真は撮ったときが見たいときと言う発想で、

お客様の利便性を第一に、お客様と世のお役に立ちたいという一心から、写真の処理、ミニラボ機器、デジタルプリンタ、デジタルアルバム、デジタルカメラに至るまで、技術の進歩と革新を進めて来た。

写真処理の技術と,商品の歴史を創ってきたのだが、そんな物は直ぐ消えてしまう。

その代わり、,すべてが特許という報告書になって特許庁の電子図書館に残っている。

これが一番有り難いことだ。

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2009年6月11日 (木)

日本が世界を救え、温室ガス削減中期目標15%減

昨日、日本は2020年までの CO2ガス削減目標を 2005年比15%(13億tから11億t)へと削減設定した。

太陽光パネル発電を現在の2倍、ハイブリットなどエコカーを50%にするなどし、ほぼ目標を達成出来るとの設定である。

低炭素社会の建設で世界のリーダーになると麻生さんが打ち出した。

かれが出した初めての英断、諸手を挙げて賛成したい。

実はこれでも世界からは、期待はずれの低い目標で、ブーイングなのだ。

日本に削減を押しつけているのではなく、期待の表れでもある。

経団連など国民の負担《総投資62兆円、国民支出 年間7万円》が高まると訴え、

身を削る思いで削減しても日本の排出量は少なく効果は疑問などと、反対しているが、御手洗さんなど、戦略眼にかける。

特定財源は年120兆円もあるのだ、世界の削減効果が少ないなら、日本の技術で助ければいい、助けられる技術を進歩させ、世界の環境をリードすれば、世界の削減に、日本の製品が行き渡れば、必ず日本におかげが降り注ぐ、国民生活も向上し、産業界のチャンスともなる。

環境を無視したGMが倒産、TOYOTAやHONDAが、なぜ生き残ったか、自ら努力しエネルギー効率向上に努力した結果である。近い将来米国だけでなく、世界中が日本の技術を搭載した車だけになろう。

日本は世界から賞賛される高い目標を掲げ、リーダーシップを取るべきなのだ、それが出来るし、期待もされている唯一の分野なのだ。

そして目標実現に、歯を食いしばって邁進する、それが世界のため、人類のためになり、世界から尊敬され、生き残りの産業を生む、品格ある国家建設のチャンスでもある。

EUが13%、米国が14%だから目標は本来立派、しかし排出権取引などが無い、真水だから日本は余裕があると見られてしまう。本当は18%位なら賞賛される。

世界の誰からも尊敬され低炭素社会をリード出来れば、素晴らしい、キッと日本の若者も方向が明確になり生き生きとしてこよう。

従来の国の発展が道路や箱物のゼネコン中心であったが、これからは、道路特定財源もふくめ、環境を中心とした産業構造に大きく舵を切れば、世界を救う事も、日本を救うこともできる。

地球のかなりの国が沈み始め、深刻な国がある、ポリネシアだ、日本でも江東区などは本来深刻なはず。

大切な地球を守れるのは日本だけだ、ODAなどよりは遙かに大事だとおもう。

宇宙の統べてのもとは素粒子、そして水素、ヘリウムなど、更に重い元素へとすすみ、すべての物質ができる。

しかし、この広い宇宙で生命があるのは唯一地球だけ。

真っ黒な夜空に、たった一つの真っ青に光る星だ。

何千億もの星でできたこの銀河系のほかに更に何千億もの銀河系がある。

そのなかで生命があるたった一つの星、限りなくあり得ない、奇跡の星。

水がある、空気がある、植物がある、動物がいる ことばを使い、頭で考える人間がいる考えられない不思議な星。

これら、天地の仕組みは、特に生命、細胞、小さなDNAに、誰にも書けないはずの精巧で膨大な暗号情報がかかれている。

すべての物が互いに助け合う、愛に包まれた精巧な仕組みがゲノムとして書かれている。

飛び抜けて大きな比熱の水が地球を守る、水の星だ。(他の物質は比熱1以下、水は確か4.7)

もしこの水がなければ昼間は何百度、夜は零下何百度にもなる。

空気があり、動物が酸素を吸ってCO2を出し、植物がCO2を吸って酸素を出す。

海では空気中のCO2が海水に溶け、カルシュウムと反応し、砂をつくってバランスを取る。

人間には、どんなに科学が発達しても、大腸菌すらつくれない、葉緑素を触媒に光と水から、デンプン蔗糖もつくれない。

これらの天地の仕組み、.生命は、人間がつくれるはずがない、神様以外にはつくれない。

唯一人間は、自然の循環に従わず、生産し、消費するから、どんどんバランスを崩し、生命の危機に至っている。

この地球を救えるのは、実は日本しかないとも思える。

なぜなら

有り難う、おかげさまで、もったいない。。。などの言葉があるのは日本しかないからだ。

言葉を見ればわかる、思いやり、愛の国、日本の本来の姿なのだ。

日本では”お茶が入りましたどうぞ召し上げれ”...という。

同じ儒教の中国でも、英語圏でも、そうはけして言わない、

彼らは、お茶を私が入れました、という。

彼らはお茶は勝手に入らないという。

日本では思いやって、お茶が勝手に入りました、どうぞ、

あり得ない事です 有り難うございますと返す。

異教徒は改宗させろ、隣人愛には異教徒は含まない。。。がキリスト教。

日本の神様は、天地の仕組みと、同じ、すべてを愛し助け合う、世界真の平和と、環境の実現を願っている。

環境で世界を救えば、おかげは日本に降り注ぐ、日本が繁栄出来る唯一の道なのだ。

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2009年6月10日 (水)

随踵塾と 全盲の天才ピアニスト

昨日、久しぶりの6月の随踵塾に出席した。

気にいった言葉は、小処に渗漏せず。。。と運だった。

小さいことをおろそかにせず、そして運を味方に引き寄せる。

そしてもう一つ英雄とは、自分が出来る事をした人だ、凡人は出来る事をしないで出来もしないことばかり望んでいる。(ロマン .ローラン)

英雄とは普通の人より最後の5分の努力を出来る人だ、(エマーソン)と言うのが気になった。

4年に一回の世界最高峰のピアノコンク-ルに優勝した全盲のピアニストがいる。彼こそ英雄だ。全盲だから優勝したのではない、真の芸術家として評価されたとの事、本当におめでとうといいたい。

普通は、五体満足でも、出来る事を一生懸命やらず、不幸でもないのに、不幸を嘆き、出来もしないことを望んでばかり、不運を嘆く。

才能があってもこれにおぼれ、甘えてしまう、最後の努力を怠る。

随踵塾は、いつもすばらしい言葉がでてくるが、その場よりは後から心に響くからいい。。

いくら辻井さんが絶対音感がある天才とはいえ、世界のトップピアニストが相当な努力で望むコンクールだ。並大抵の努力では勝てない、最後の5分、1,2%の違いが天才の中の戦いを制したのだと思う。

小処に渗漏せず。。。と運もあったのだとおもう。

自分の子供が生まれて直ぐどうやら目が見えないらしいと知ったら私ならどうするだろうか?

絶望のどん底で、キッと子供が将来苦労する事は目に見えているからと、一緒に死んでやろうとか考えるのだろうか。

ところが、辻井さんのお母さんが偉い、生まれて8ヶ月小さな全盲の息子の才能に気がついてあげたのだ。これが運の良さ、神様がいつも誰にも平等におかげを降り注いでいるのだが、嘆いてばかりの人には見えず、見えても普通は見落としてしまう。

生後すぐから、いつもショパンの英雄ポロネーズを聴かせていたが、ぼろぼろになってしまったそうでCDを買い換えたそうだ。

息子はむずがり機嫌がわるい。。変だな?オーケストラが違うからかなと、同じ演奏のCDを探して再度買い求め聴かせてみた。

するとじっとうれしそうに聴いているではないか。.ここでこの息子は自分たちとは違った音を聞き分ける絶対音感があることに気づき、ショパンを中心にクラッシックを聴かせ続けたのだという。

そして全盲の息子に小さいうちから、ピアノをおもちゃとして与え弾かせた。

全盲でも出来る事があると信じて、見えない事を嘆かず、出来る事を一生懸命やらせた。

そして20歳での快挙である。

ものすごい難関の、第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝、健常者も、もちろん対等でのコンクールだ。天才ピアニスト、辻井伸行さん(20)おめでとう。

優勝を考えて失敗した前回の反省から、ファイナルに残ることを考えず、よい演奏をしたいとリラックスして弾いたという。審査員は正直、全盲というハンデは全く考慮しなかったという。

彼の演奏を聴くと感動で涙が出るそうだ。

天才だから特別同情する必要もなく、全盲だからと特別視する必要もないほどの天才なのだという。

しかし、聴くとその努力は健常者の天才ピアニスト以上だという。

最後の5分が違う、彼はけして甘えていない。生まれて8ヶ月CDが駄目になるほど”英雄ポロネーズ”を聴いただけのことはある、生まれながらに英雄の素質十分だったのだ。

そして関係者や米国の聴衆に感謝する事を忘れていなかった。「皆さんが温かく迎えてくれたので本当に幸せ。ここまで来られたのは両親のおかげです」と満面の笑み。「(受賞は)まだスタートなので、これから国際的に活躍できる器の大きなピアニストになりたいです」と語っている。

顧みて、朝起きて目がさめればすべてが見えることに感謝しなければとおもわされた。

そして歩けて、声が出て、話が出来て、食事ができて、用を足せること、空気があること、水があること、妻がいる事、周りの友人がいる事、会社があって仕事が出来ること、

一杯あるあたり前のことが実は当たり前ではなく、有り難い事なのだ。

すべてに感謝し、もう5分、しっかり努力し、世のために、人のために、感謝し、生き抜こうと思わされた。

もちろんそれが、最高に自分を大切にする事になるからだが。

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2009年6月 9日 (火)

最終回、2点差をひっくり返し、さよなら

7日の日曜日いつものように、早朝6時からソフトボールの試合だ。

リーグ最強同士、全勝対決なのだ、リーグのみんなも注目のカードだ。

両チーム、ウインドミルの本格的なピッチャー(80から85km/h程度)、ベストメンバーでの対決だ。

監督に不幸があり、今日は代理の神藤監督が指揮を執る。

メンバー決定など相談にのり、打順を選んだ。

今日入部したての、若い橋本君を抜擢してみた。

そして老練でシュアーなバッタ-、伊藤君を3番に推薦し、神藤助監督が決定してくれた。

いくつか、いつもの監督の考えとは違宇布陣だ。

試合は後攻で始まった。

いきなり、エラーが絡み2点取られ初回から押しまくられ劣勢、

3回にも1点取られたが、いいあたりではなく、これも不運が絡んだもの

何となく今日は勝てそうにない雰囲気が漂う。

こちらは、全く打てない。鋭い大きなあたりはするがみな外野の正面でしかない。

ピッチャーはこちらの方が球が走っているが、どうも敵の好打が多く、打力と運が勝っていそうだ。

相手の森下チームは皆若く、好打者揃い、早い球にめっぽう強い。

後半も敵のヒットは続くが、得点は無く、我がチームも攻守でよくしのいでいる。

4回裏、抜擢した若い橋本君のタイームリーで2点を取ってくれ追い上げムードができあがった。

1点差、よしここは勝負と、5回から、さらに少し早いエースピッチャーに神藤助監督が代え(いつもうらやましがられるが我がチームは本格速球投手が2人もいるのだ。)流れを我が方にと打って出た。

1点差だ、絶対に追いつき、逆転するぞ。

気合いを入れ直し、ナインを鼓舞、反撃をまった。

ところが、6回表、2アウトなのに、痛烈な2塁打とタイムリーが続き、1点を取られ 2対4となってしまった。

こちらの裏はランナー2人が出たが、惜しくも残塁に終わり、これで万事休す。

普通なら、ほぼあきらめのケースだが、今日はなぜか、あきらめない、執念だ。

7回の表は零で切り抜けたが、敗色濃く、ベンチにあきらめの風が吹き始めるがヤジで騒いで打ち消し反撃をあおった。

今日は橋本君を抜擢したために,

打順はDHで9番に下がった鬼木君から、彼も悔しかろう、鬼木行くぞと声をかけ送り出したが、これに応えてて、四球を選んで出塁した、ヨシっしゃ

そしてバッターは足がめっぽう早い、1番の川島君、これも足を生かしたバンドヒットを狙うがファールで、何とか粘りながら四球をえらんで出塁。

一打同点のチャンスにもなる、よしよしだ。

バッタは2番だがいない?K君どこ行った?トイレあほか・・・

校庭の隅のトイレの方から、身繕いしながら走ってくる。。

黄色い4万円のバット イエモン(イエローモンスター)が自慢のK君、しかもウンを運んできたぞと大きな声援がおくられる。

しかし残念ながら、ここはウンはつかず、凡退し、ワンアウト。

しかし、次がまだ期待できる、あきらめないぞ。

今日、初めて3番に抜擢した伊藤君、名キャッチャーで好打者だ。

カウントは2:2 後、5球目だった。真ん中高めをうまくとらえ、思い切りよく、ライナー性のよく伸びるセンターオーバーの、超特大ホームラン。

逆転サヨナラホームランだ。

やっぱりK君のウンがついていたようだ。

そしてウンがついた黄色のイエモンがすごい、球がぐんぐん伸びたびっくりした。

普通のバットより4倍高価なだけはある。

4倍高くてもこれなら、売れる。商品価値とはこういうことなのだな。

バッテイング技術さえ少しよければ、それはすごいものを発揮する。

ここ3年連続優勝していた、覇者森下を破った。

これでリーグ戦前期優勝だ、下期を乗り切れば、優勝杯を奪還できるぞ。

しかし、こんなことに夢中になる年ではないな。反省、反省。、

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2009年6月 8日 (月)

65歳の手習い 茶道に入門

1カ月前、

山の先輩の家に水琴窟が出来、見に行った。ここで奥様のお点前でお茶をごちそうになり、立派な茶室も見せて戴いた。

水琴窟にしろ、茶室にしろ、深い、深い利休の考えがあるように思えた。

手水鉢(つくばい)で小さなひしゃくに水を汲み、手をすすぐ仕草のなかで、水琴窟に落ちる水音を愛でる。

茶筅を茶碗に置くときのそっと立てる音、お湯やお水を注ぐときの静かな音、湯釜でお湯がかすかに立たる音、

たった4畳くらいの狭い中に、光や、色や、音が、きわめて完成された芸術としてわびとさびを感じさせる。

こんな世界を、女性のお稽古事のように思って来たのかと愕然とした。

そして、若いときやっていた妻を誘って、先輩の奥様に師事、入門する事にした。

6日土曜日夜、初めてのお稽古に伺った。

車でもかなり遠い場所だが、何かの縁だろうと弟子入りした。

今日は近所のお弟子さんが一人来るからご一緒にと、言われ、まず師匠の奥様が買っておいてくれた扇子や袱紗などの説明をうけていると、

別のお弟子さんが入ってこられ,水屋で準備をされているようだった。

それでは、紹介します。

障子が開き、三つ指をついて挨拶された。

伊藤です、宜しくお願いいたします。

小星です、こちらこそ宜しくお願いします。

と丁寧に見よう見まねで三つ指でご挨拶した。

エッツコボシサン?と顔を上げて、びっくりされた。

伊藤の家内です。

主人が大変お世話になりました。いつも年賀状ではお二人の写真を拝見しておりました。

エッツあの伊藤ちゃんのおくさまですか?

それでは米山さん(コニカの元社長、元会長)の秘書を昔やられていたと訊いている方ですね?

そうです伊藤です,会えてうれしい。。宜しくお願いします。主人に直ぐ電話して、来させます。先生よろいしいですか?ハイどうぞ。。

伊藤ちゃんは

今その町の自治会長さんで忙しいらしいが、直ぐに飛んできてくれ再会を喜び合った。

そして,最初のお稽古を奥様のお点前で、一緒にお稽古させて戴いた。

イヤイヤ、私は不器用で,何を訊いても一回で覚えられない、頭がモノスゴク疲れた。

続くだろうか,

心配だが、でも立派な先輩お弟子さんにこんな形で出会て、感謝,感激だ。

なるほど、奥様の動作は見事、座って,手を広げた広さですべての所作を全く無駄なく,茶を点て、礼を尽くして、差し出してくれる、

緊張しながら,お菓子を戴き、お茶をすべての動作の説明をお聴きしながら戴いた。。。。完成すればすばらしいだろうが、味も何もあったモノではない。

難しいい。。。相当な時間が掛かりそう、,

とにかく頭がどっと疲れた。

なんと武士道の形式美は大変なことだろう。,これを無駄なく綺麗に見せるには相当な訓練が必要だろうな。

毎日乱れきった生活で飼い慣らされてしまった体を鍛え直すには、いいかもしれないが簡単ではなさそうだ。

どうなる事やら、

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2009年6月 6日 (土)

人を助ける事の難しさ

人を助ける事が自分を助けると信念持ってやってはきたが、なかなか難しい。

助かって欲しいと言う気持ちが強ければ強いほど、助けられないときの落ち込みが大きい。

こういうとき、教会の先生の気持ちがよくわかる、つらいだろうなとおもう。

もっと言えば、本人が助からないと本当に悲しむのは神様なのだろう、

神様といえども本人の信心次第でなんともならないのだろうか?

助かって欲しいと手をさしのべては、いるのだろうが。

1月に難儀にあって困っていた方があり、助けようと強く思った。

この方も、元々ホットアルバムに惚れていた方で、こういう仕事をやりたかったと燃えてくれた。

しかし、この方とても、責任感が強く、成果を出そうと、何とか報いようと無理をしてしまう。

一人でがんばって成果を出そうとするが、世の中この景気はどうにもならない

昔お世話した方と言っても、なかなか簡単には協力してくれない、協力出来ない事情があるのだ、簡単には進まない。

1ヶ月たち2ヶ月立っても成果は出せない。彼がだんだんつらくなるのは目に見えていた。

無理しなくていいよ、といわざるをえないが、結果的に、彼のプライドを傷つけてしまう、

彼のプレッシャーにもなるらしく、2人はどんどんくらくなって行く。

長い間社長さんを堂々と張っていた方の使い方は、どうしたらいいか、良くわからない、任せるしかない。

本来明るい方なのに、一日パソコンに向かって黙って、やっておられる。

自分を責めているな、と思いながら、どうすることも出来ない。

彼は彼のやり方でしか出来ないらしい。

つらいだろうなと思いながら、つい、無理しなくて良い、別なことやって気を紛らせたらといってしまう、慰めるつもりが、傷つけてしまう。

救うつもりが、落ち込ませてしまい申し訳ない。

とても残念だが、私にも力が無い

どうしたら、彼を助けてあげられるだろうか、と思いながら、

何か彼を復帰させ、やり甲斐を持ってバリバリやれる方法が無いだろうかと考えた。

神様にお願いし、彼が世話になっていた大きな会社の大社長に頼んでみよう、一緒に何かやらせていただき、彼の復帰をお願いできないかと、数日前に秘書の方に電話をしアポをお願いしておいた。

昨日、東京で朝と夕方に会議があるが、中程が都合良く時間が空くので、いろいろお取り次ぎ戴きたい件もあるからと、横浜まで行き、この方もお参りしていた、親教会にお参りした。

そして東京に帰り、喫茶店で一息ついて次の夕方の会議に備えていたら、突然携帯が鳴った、

アポをお願いしておいた、大社長さんから直接携帯に電話が入ったのだ、びっくりした、

電話は、いろんな事情でお会いする事はできないという丁寧なお断りであった。

しかし、有り難い事に、この大社長さん、お別れに、Hさんの事はずっとおつきあいしますので、また何かありましたら、宜しくお願いしますと、言ってくれた。

ありがたい、それをお願いしたかったのだ、それで十分。

彼はいいやつだから、キッと沢山のかたが救ってくれる、

やはり、人は人では助けられない、神様が助けてくれる、必ず守ってくれる、

力不足は人間だから仕方がないが、神様が一番心配されておられるのだから彼のことはお任せしよう、改めて感謝申しあげた。

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2009年6月 3日 (水)

マグロは鯖から生まれる?画期的な養殖法の発明.

今日は久しぶりにふるさと コニカミノルタを訪問した。

懐かしい昔の部下にも会え、うれしかった、そしてやはり懐かしかった。

皆元気そうだ。

そして、東京駅からの帰り中央線の中で見た液晶モニターの時事通信のニュースにびっくり。

何?鯖がマグロを生む?画期的な養殖法を開発?と。

おいしいマグロ、日本人だけかなと思っていたら、中国人も、イタリア人も、フランス人も食べ出した、誰にとっても、おいしいはずだ、マグロの寿司。

海外に飛び出した日本食ブームが世界各地に広がり、世界的にマグロの消費が増え、日本人が食べられるマグロが減ってしまった。

巨大な人口の中国やインド、そして欧州の人々がマグロを消費するようになったからたまらない、乱獲がたたって世界的にマグロ資源は不足している、

そんな理由から、瀬戸内海などで、マグロの養殖、マグロの生産工場がたちあがりつつある事は訊いていたし、このブログでも書いたことがある。

しかし、マグロはマグロの稚魚から育てるのかと思っていた。

東京海洋大学の吉崎悟朗准教授らが年内にも実験を始める養殖方法はすごい、

今まで誰も手を付けてこなかった破天荒な方法だ。鯖にマグロを生ませるのだとか。

これにはびっくりした。

マグロと遺伝子的に近いサバを利用し、「マグロの精子のもととなる細胞をサバに移植し、サバの自然受精によってマグロを誕生させる」という。

つまりは、サバにマグロを産ませる養殖だ、そんなのありか?

それほど乱獲されない、そしてあまり餌を食べない、小さなサバを活用すれば、マグロの資源枯渇問題を一気に解決出来る。

サバがマグロを生むことができれば、陸上の小さな水槽でマグロの稚魚を増やすことができ、養殖にかかるコストが格段に安くなる。

吉崎悟朗教授のグループは、ヤマメのオスとメスからニジマスを生ませることに、すでに成功しているらしい。

ニジマスの精子の元になる精原細胞を、孵化した直後のヤマメに移植すると、ヤマメはニジマスの遺伝子を持った精子を作るのだそうだ。

同様にして、精原細胞からヤマメのメスにニジマスの卵を作らせることも出来るのだとか。

サバにマグロを生ませる研究も、マグロの精原細胞をサバへ移植することに成功した段階まで来たという。

 マグロの親は100キログラム以上、いけすで飼うには餌代もかかる、稚魚を生ませて育てる段階をサバにやらせれば、大きな親を飼うコストが削減できる。

ハイポニカ農法といい、鯖にマグロをうませる養殖にしろ、人間は近い将来、人口の巨大化を凌駕する食料問題を解決するかもしれない。

有限な地球の自然に損傷を与えず、豊かな食料を安く供給できれば、それはすばらしい事だ、しかし神をも恐れぬ事でもあるので、少し心配するがヤらなければならない事のようでもある。

それにしても日本人の創造力は無限だ、優れたDNAを持つ人種なのだろう。期待しよう。

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2009年6月 2日 (火)

女性維新マーケッテイング

数日前、女性は直感力が高く、物事を素直に見つめる、故に本質を見抜く力が高い、と書いた。

その女性の力を高く評価し、若い女性の力を使い切っている社長がいる。

私がお世話になっている、西麻布のデザインマーケッテイング会社、オゼットクリエイテイブの岡崎さんだ。

女性維新マーケッテングと銘打って、東京で主体的に生きるリーダー的な若い女性100人を集め、

この方達の自由な活動を通じ、新しい女性視点で、商品やマーケッテイングを提案してもらうという、感性マーケッテイングプロジェクトである。

Zリーダーの会というのだが、写真集を見せてもらうと若いギャル達だ、

とにかく若い、美しい、いいな-こんなプロジェクトなら私も一度あわせてよ、、、と言うことで、事務局の女性にあう機会をいただいた。

何人かの若い女性が集まってくれた、ホットアルバムについて使ってもらい、話を聞いてもらった。

そうなのよ、ブログを書くために、写メは一杯撮るのだが、どんどん貯まってしまう。

でももったいなくて消せないの。。

写メは友達も一杯送ってくるから、それとも併せて保管したいなと思っていたが、

どうやって保管したらいいかもわからなかった。

みんな知らないよ、保管出来るって>

そう、これなら出来るわ。。。

《男性スタッフがそんな事はHOTALBUMが無くても My-pictureに保管すればいいだろう。》というと

いいのよ、写メはHOTALBUMで簡単保管出来ると言うことがわかればいいのよ、

そういう事が大事なのよ。。。だって、友達の写メと併せても、絶対ファイル名が重ならないんでしょう。。それってさーすばらしいじゃない。

おなじ携帯だとおなじ番号で上書きされてしまうんでしょう、、今までのは?

パソコンに一回取り込んだ写メは、そのままカードに残って、新しく撮った写メだけ取り込んでくれるんでしょう、HOTALBUMなら、すごいじゃん・。。

また男性スタッフ

《だけど写メで携帯からブログやってんだろう、パソコンなんかわかるかよ》

いいんだよ、少しでも使えれば、わかんないときはカレにヤらせるから。パソコンくらいもってるわよみんな。

WEB見る以外は使え無いけどね、でも写メが保管出来るとなったら、コレ使うよ見たまま覚えなくても使えたよ、写メが整理できたよって。。。

ブログで書きまくるよ、みんな。。。

《そうかブログで書かれると言うことが大事なマーッケティングなのだ。。》

《それジャ,HOTALBUMだって、一人で使え無いだろう》

エッツ、これなら使えるよ、時々しか使わないモノはこのくらい簡単でないと駄目なんだよ、いちいち思い出して使うようではね。。。

何かわからないときはカレにヤラセルカラ いいのよ。。。写メが保管出来るとわかれば使うのよ。。コレなら、見ればそのまま使えるし、絶対よ。

そうだ、コレサ、HOTALBUMなんてカタイ名前でなく、写メレブとしよう。

《なんだそれ。。。写メはわかるけど、レブは?》

いいの。。。写メを保管することを写メレブと言うんだよ、それでいいのよ。。。そういう事がだいじなのよ。。?????

だからおじさん駄目なんだよ。

携帯に入ってるカードがわからないんだよね。

ちっちゃくってさ。。。コレをパソコンにどうやっていれるか?がわからないとダメヨ

そうすりゃあ、絶対ブログでみんな書きまくるよ。。

こんな簡単に使えるソフトないよ。。。もったいないよ。。

であった。

そして 「コレサア、デコってよ。。。?」 

なんだそれ、?デコル。。。?

家に帰って、偶然帰って来た3女に聞いて見た。

3日ほどしたら、きんきらキンにビーズやいろんなモノでデコレーションしてくれたUSBメモリーを持ってきてくれた、

娘が自作してくれたようだ。

こういうのをカワイイ。。ていうのよ。。

昨日も書いたが、文化とはこういう事を言うのだろう。

こういう方達と接しなければ新しい文化はわからない。

文化はこうやって創られて行くのだ。

このプロジェクトリジェクトにいろんな方がいるらしい。もちろん淑女のようなセレブの方達も、

だけど好きだな。。

とんでも無く別世界のような超ギャルも。。。とにかく発想がイイ。。

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2009年6月 1日 (月)

ひらがなの効用

韓国 中央日報 の記事 

昨年12月姦通罪で告訴された、韓国の女優オク・ソリが有罪で懲役の判決を受けたとか>。。

今時姦通罪などあるのかと思ったら、イタリアやフランスなどでも数十年前にこの犯罪が廃止にになったばかりだとか?

今ではほとんどの国で浮気として、男女平等の扱いで罪にもならないのが当たり前なのに数カ国で、まだ姦通罪が残っている。

女性にだけ不義密通があり、罪になるのは、おかしいが、儒教の国や宗教によっては、許されないことなのだ。

日本では、儒教を国学とした江戸時代をのぞけば、

意外に男女の交際も自由であったらしいし、女性も大切にされ、平等だった>

その証拠が、百人一首、女性歌人の恋の詩も自由そのものだ^^

子供が小さい頃よく、この百人一首で坊主めくりをやらされた。

百人一首を裏にして、一枚ずつ、めくってゆくのだが、もし坊主が出るとそれまで集めた札をすべて没収されてしまうゲームだ、

本来は男性札、女性札、天皇札、坊主「僧侶」札に分けて争うのだが。

百人一首 に出てくる女性歌人は沢山いる、この時代に、これだけ女性札があるのが日本の特徴なのだ。

そしてその原因はひらがなにある。

女性が詩を詠めたのは、ひらがな、カナ文字のおかげらしい。

これも貝と羊の中国人。。。に出てくるのだが

中国の漢詩で百人一首を作るとほとんど男しかいない。

王維も、杜甫も、韓愈も、白楽天も皆、男、女は全く出てこない、

世界でも日本は珍しく、この時代にしては、女流歌人が多い。

まともな漢詩を詠むには、 最低2千字もの漢字を覚えなければならなかった、

中国では長い間、社会に登用されるには科挙という試験があり、これを突破するには、高等教育を受けない限り、絶対にむりで、これに受からない限り士大夫 にはなれなかった。

一方、日本の和歌は、ひらがなが発明されたおかげで、あまり教育の機会に恵まれ無い女性や子供でも参加し詠む事ができた。

そして男女平等の古代の文化が開けていった。

漢字、ひらがな、カタカナ、を発明し、漢字圏ににありながら独自の文化を創り上げていった、不思議なちからをもつ国、それが日本のようだ。

江戸から開国30年で日露戦争を勝ち抜き、戦後は世界第二位の経済力を作り上げてしまう力も実は 、このひらがなを発明した文化、国民性にあるのだとか、

GMが破綻し、これからはTOYOTAや、HONDAが、世界の車をリードしてゆくだろう。

漢字、ひらがな、カタカナ、外来語まで、日本語化し

最近では若者がとんでも無い日本語をはやらせ、進化させている。

年寄りは眉をひそめて日本語が乱れるとか言うが、

ひらがなが出来たときも、多分こんなモノだったのだろう。

漢字 以外は 文字ではないと年寄りが、眉をひそめて怒って嘆いていたのに、とんでも無い若者達がひらがなを考え出し、はやらせたのだと思う。

文化とはそういうモノかもしれない、

不倫も文化。。とか言った石田純一がどういう気持ちだったかは知らないが。。

乱れが進歩の源、日本語の乱れも、進歩の一歩、なんと柔軟な国民なのだろうと思う。

姦通罪が文化の進歩を妨げていると思うと。。いとおかし。。。かな。

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