« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月30日 (土)

ドリームマガジン、素晴らしい日本の若者達

昨日お会いした、28歳の若き社長、(株)シャノンの、中村健一郎氏は、三略会の仲間でもあるが、仕事をお願いしながら、お話を聞いてみて、再びびっくり、改めて尊敬する。

六本木の一等地にオフィスがあるが、西麻布の小さな喫茶店で待つと、外で手を振りながらニコニコ入ってきた。

工学部で化学を専攻しながら、学生時代に起業し、大企業の非効率、無駄に目をつけ、セミナー用のプログラムを作ったのをきっかけに、

展示会やセミナー運営を一手に引き受けるシステムをASP、SaaS的に提供、

特に見込み客を顧客にすると言う点で、徹底的に優位な差別化をはかり、急成長、

セミナーマーケッテイングのトップ企業にまでなった方で、お客様優先の素晴らしい考えを持った経営者として尊敬していた。

若き、学生起業家というと、堀江モン的な上場益を求め、金、金、金で、ハーバードMBA的な市場原理最優先と言う経営者をイメージしがちだが、

この方は最初の印象から、全く違っていた、

大企業相手に多くのセミナーで講師や講演もやっていると聞くと、

若手のバリバリ。。。と言う先入観で見てしまうが、、全く違う

本当にまじめそうな、好青年なのだ。

ホットアルバムはシニアや育児ママなどパソコンスキルが乏しい方のために考え写真文化を守るためのモノだが、

こんなに使いやすく作っても、まだまだ使え無い方が多く、普及せず苦労している、使い方をいかに伝えるか、オンラインセミナー的な教育で普及させる方法を考えて欲しいと、

パソコンで悩んでいるお年寄りのために力を貸してあげられるシステムを考えて欲しいと、お願いしていた、

その後、彼の話を、訊いてびっくりした。知らなかったが、彼の起業の目的にだ、

100人の身寄りのない恵まれない子供達を育てたい。。。という。

学生の時、そういう気持ちになり、まず原資を創ろうと起業したと言う。

なぜと、どうしても訊きたくなった。

大学3年くらいの時、

何のために生きて行くのか?わからなくなったという。

これから社会に出て何をやればいいのだろう?

会社に入って仕事をして、。。。それでどうなるの? 

何が生きてゆく目的なの?

と思って、この先何もないような気がしたと言う。

そして死のう、と、真剣に自殺を考えたという、

そして実行する前にふと奈良の実家の両親のことが頭に浮かんだそうだ。 

そういえば、私は相当恵まれているんだ、

愛情一杯に育てられたんだ、何の苦労なく、大切に大切に、愛情一杯に育てられたんだ。。。と思えた、

キッと私が死ぬば、両親はそうとう悲しむだろうなと。

そして、一方で親も知らずに恵まれない子供達も一杯いると言うことを思ったという。

そうだ生きる目的を、

この恵まれない子供達を、育てる助けをしよう。

一人でも良かったが、100人と目標を決めて、愛情ある支援をきちんとして考え、支えて行こう

生きると言うことは何か世の中のお役に立つことだと思ったという。

そういう事を目的に生き抜こう。。と人生の目標を決めて、起業に必要なお金を集め、学生でありながら会社を興したという。

そのために生きる。

これならいくらでも生きる張り合いがあるという。

そして今中国人の奥様と結婚し、この奥様も彼のこの考え方に賛同、一緒にやろうとがんばっているのだという。

実は私も31歳で、

仕事上の理由から、苦悶し、自律神経失調症(今で言う鬱の一種)となり、自殺を考えるほど悩み、その時、神様の願いである人を助ける事が自分が生かされる事だと悟って救われた事がある。

人を助ける心で人生を生きよう、常に利他的な行動を基に生きよう。。と決めた瞬間から、病気の事は忘れて、仲間の立ちゆき、お客様の事を中心に考えたら、今まで自分の事だけで悩んでいたのが嘘のように馬鹿らしくなり、人の事を考える喜びと生きる張り合いが生まれ、

明るくなった自分の事も、どんどん良くなって行き、仕事はどんどん成功し、膨大なおかげを頂いてしまったことがる。

そう言う経験を持ってイルから、彼の話はよくわかり、感動的に聴けた。

やはりそうなんだ。

自分の事だけ考え、利己的に生きて、自分を責め、失敗する、勝手に悩んで死んでしまう人もいるが、、

そんな時自分の事より、他人の事、利他的な事を考え、行動の原点にすれば、自分の立ちゆきが生まれるのだ。これを伝えなければならない。

自分の事は天地の道理がどんどん良くしてくれる、人を生かせば、自分が生かされるはずだ、、、と、しみじみ思わされた。

おかげは人を助ける心「和賀心」にある。。。と言うのは、やはり間違いない教えなのだ、ここでもちゃんと生きていた。

彼はさすがに子供達を家族にと言うのは無理だが、必ず学校とか、いろんな形で親の代わりに愛情注いで育てていけるような支援をしたいといっていた。

赤ちゃんポストが出来て3年近く、25人くらいの生まれたての子供が預けられたという。

八王子から東京に行く間、電車の中で、座席に座ったまま足を放り出し、ドアを蹴って閉める子供もいたが、

彼の様な若者も日本にはまだまだ一杯居そうだと知って、大安心。

日本も捨てたモノではない。彼を育てたご両親に感謝したい。

起業家とはこうあらねばとおもいながら、西麻布のお世話になっているオゼットに2人で向かった。またまた愛するオヤジの楽しい話が聞ける。

帰ってから見ると、日本の夢ある若者達を紹介した雑誌、ドリームマガジンに彼が載っていた。

http://dreamaga.net/action.php?action=CompanyContents&id=11

日本の再生とか技術とかもいろいろ応援したいが、このドリームマガジンに登録し、ログインして彼のこの夢に投資し、応援してみた。

バーチャルではあるが日本のためにみんなで応援したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

満月の夜にあいましょう

2ヶ月前、ある女性の退院祝いをかねて集まった仲間が、人を助けるといいことがあると言う様な話題で盛り上がり、定期的に逢おうとの提案がメールでされた。

それはいいねと盛り上がり、恵比寿周辺でやろうとなって一昨日またその仲間と飲んだ。

すっかり元気になった彼女を含め、新しい女性もいれて7人が集まり、とても楽しい会となった。

話題の一つに、世界の平均寿命、

日本はいつもトップクラスだが、まだまだ40歳台の国も多く世界には悲惨な国が一杯ある。

2002年には、80歳代は日本とオーストラリア、北欧のフィンランドの3つだったが、最近は北米や数カ国も加わり、まだまだ少しずつ伸びているらしい、30歳台の国は無くなったが、アフリカはまだ、ほとんどが40から50歳台の平均寿命、これはエイズなどの影響も大きいかわいそうと、

そして、長生きしてもいいが、元気に長生きでなければ意味が無いという。

元気で長生きの秘訣、生活の基本は、姿勢、であり、絶対に背骨だと言うことになった。

メンバーの一人に、100年の歴史ある 有名な四日市の整体院の若き院長がいる。

古来の整体学と米国カイロプラクティックなどの基本を取り入れた優れた施術と生活指導を基本にして、東京進出を果たした仲間だ、しかし東京で成功するには宣伝がなかなか難しいという。

いくら良い整体施術をしても、本人の生活が乱れていては、年をとってぴしっとした姿勢で元気にいられるかどうか?は難しいという。

背骨を定期的にケアしてまっすぐにしておけば、ほぼOK、理論的には人間180歳まで生きられる。

おなじ長寿でも、ぴしっと老いたいのが人間の最大の望みかも。

ぴしっとと言っても女の子はやはり美しさを保つ。。に興味がある。

背骨でほうれい線もとれる? 肌もぴしっとするかな?それは立証してみたいね。。となった。

この方はオモシロイ話をする。

実は月の満ち欠けのリズムを生活に取り入れるべきだと言う本を紹介してくれた。

ダイエットも健康も、あらゆる自然のリズムを取り入れると効果があるという。

自然はすべて生きている、一つとして無駄はなく、常に運行し、影響し合い、助けあい、生まれ、消滅しているのだという。

生き生きと響き合うリズムがあり、昔の人は月の満ち欠けさえも生活のいろいろな場面にに取り入れていたという。

そんな事がかいてある本を紹介してくれた。http://tinyurl.com/rb8h5g

そして、この若い女の子の提案で次は満月の日、7月7日にあおう、

どこか月を見ながら野外で飲メルところを探そうとなった。

そういえば、最近月を見ていない事に気がついた。

満月がいつか?も知らなかった、昔は月が綺麗だったなと思い出した。

自然のリズムはやはり大切かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

当たり前のことのありがたさ

私は常日頃より女性を尊敬し,大切にしてきたつもりだった。

現役のときの、職場でも、どんなに新人の女性でも、部長さんでも、同じように大切にしたつもりでいた。

基本的な特性は女性の方が遙かに優れていると認めていた。

一般に男は上司の顔色を伺い、こせこせ動く、女性は余計なことを考えず、ズバリ正しいと思ったことを直言する。

大事なとき、常に良い意見を言ってくれたのは女性であった。今でも会社ではそうだ。

特に、実験の中でおこる小さな真実や、これはちょっとおかしいと言うような事実については、男はあらかじめ予測した通りでないと、ばらつきとして片付けてしまい見落としやすい。

女性は、予測がどうであれ、結果を正しくとらえ、見落とさない、変化は変化としてとらえ、真実を見つける。

いろんな場面で女性の良さは多い、歴代の、私の仕事を支えてくれた秘書的な女性など、皆、並はずれた秀才で、今でもとてもかなわないと思う。

妻にしても、日常のいろんな面で感心しっぱなし、とても尊敬していると、思っていた?。

ところが先日ある教会の大祭の日、お祭りのあとの直会という食事会の場で、尊敬している信徒会連合会などの役員さんでもあり、最近いろいろお世話にもなって、仲良しになった女性の信者さんから、

小星さんは基本的には女性を馬鹿にしているわよねと、と言われ、エッ そう見える?と聞き返してしまった。

見える、みえると笑いながら言われてしまった。

どこから来るのか自分の頭で考えたこととは違う、なかなか認められそうにない意見を頂いてしまった。

女性を心から尊敬こそすれ、馬鹿にしている?そんなはずはない、やはりそんけいしているはずだ?

どこから無意識にそう見えてしまうのだろう、心の底では、そうなのだろうか?

女性が言うのだから間違いない

どこからそうみえるのか、妻に聴いて見ると、

それはそうでしょう、私でさえもある面、女性と言うモノを馬鹿にしている面があるから。

本質的には、そう見ているから、表面では大事にしたり、尊敬できるのよ。

何となくわかるが、何となくわからない、

彼女の言いたいのはそういう事でもなさそうだ。

なんと言っても我々男には、子供を産み、おなかの中で育てるなど、とんでも無くすごい事

子供が母親に寄せる気持ちなど考えると、男など何も出来ないし、女性には勝てないとおもってしまうのだが、そんな事でもない。

頭でそう思っても、本質的には馬鹿にシテイル?

尊敬してると言っても本質的には、馬鹿にしている?

そういえば、

妻には、いつも食事を作ってもらい、洗濯してもらい、アイロンをかけてもらい、いつ帰ってもきちんと掃除された綺麗な部屋があり、家がある、食事が出て来て、好きなとき気持ちよく寝られる、寝具も整えられている、

考えて見れば私はいつも自分の仕事だけして、家では休みの日の庭の手入れ以外何もしない。

当たり前の様に、妻にしていただいている、

そうか能力がどうとか、そういう事ではないなら、そういうことかな?

何となくわかりかけたが、あまりわかってしまうとつらそうだ。

やはり大切にしていないな、当たり前として、女性を馬鹿にしているかもしれない。

当たり前の事を本当に感謝し、

妻と同じように家族への無償の行動が心から出来るようにならなければ、やはり妻を尊敬していることにはならないのだろうなと。。かなり本質的なところを考えてしまった。

そうはいっても、今そこまで踏み込み、反省してやり直す勇気は無い、

やはり基本的には馬鹿にしていることになりそうだ。

昨日、恵比寿で有志の会で飲み会があった、ばりばり仕事をしている女性2人を囲んで楽しくのんだが、この人たちも、話していて楽しい、やはり尊敬出来るのだが、そういう事ではない事がようやくわかってきた。

夜中に飲み会から帰ってきて、一日の感謝のお祈りをするのだが、そこにある日めくり、

27日は、

”目にはみえね、 空気はありと しみじみと

    目に見えぬものの 尊さを思ふ  ”

あらゆる事を大切にされ、感謝の心を大事にされた4代金光様のお歌だ。

やはり当たり前の事を有り得ない、有り難い事と妻に感謝し、自ら分担出来るようにならなければ駄目だなと思わされたのだが、

ここから踏み出せるかどうかは、今は明言しない事にする。

まずは身近な当たり前に感謝からだなと思わせてもらった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月27日 (水)

随踵塾を欠席 関西へ

昨日は随踵塾だったはず、どんな話があったのだろうか?

残念ながら出席出来なかった。

関西空港21:05羽田行きの飛行機を待つ間、時間を見ながら、ついつい、いつものメンバーがお話の感想を述べているころだなとかイメージしてしまう。

20:30、そろそろあの方だろうな、前回の続きなら、今日はキッとこんな話で、先生がどんな逸話とワハハハハの笑いを入れただろうか、想像してしまう自分がそこにい一人笑ってしまった。

久しぶりの関西出張、行きの羽田から、皆、マスク、マスク、異様な空気だ。

こちらは橘師匠の言う通り、ウイルスなにするモノぞ。。とマスクもせずいるのだが、

ほぼ全員マスクというのは、異様な風景で、何か急にこちらまで喉がイガラクなったりする、迷惑がられてはと思いながら遠慮がちに咳をしている自分に気がつく。

羽田からの朝の飛行機は、ガラガラだった。2割か3割の搭乗率、これならマスクは要らない。

そして、関空もひっそりしている。 南海の特急も1割いないくらい。

そしてタクシーは、暇で暇で困ったと運転手さんが嘆いている。

神戸、大阪は最悪だ、街全体がかわいそうなくらいのダメージを受けている。

100年に一度の不況、に加えインフルエンザの猛威、

しかし、日本人は熱しやすく冷めやすい、もうすぐ忘れたように街は活気を取り戻すだろう、それまで待つしかない、それが日本人だ。

大阪から和歌山へ、ここでは コニカ時代、非常に仲良かった友人にお会いできた。

彼はコニカを定年後、和歌山でも有数の優良企業へ執行役員として入社、今は常務執行役となって活躍している。

彼が入社当時から職場は別だが、親友の様につきあってきた。研鑽し合ってきた仲だ。

新しい社長さんにも親しく、ご挨拶させて戴いた感じの良い方だ。

いろんな部門の方も集めていただき、ホットアルバムのお話を長時間させていただいた。

広大な、庭園の様な工場は、昔と変わらない。

建物も一流ホテルでもここまでは無理かもと言うくらいの懲りようで、玄関の大理石の広大なフロアから見る、外の滝や庭木の間の満開の皐は、それこそ絵に描いたように美しい。それはそれは素場らしい、景色がおもてなしをしてくれる。

秘書の方が出迎え案内してくれる。

1970年からこの工場や先代の社長さん、そして多くの社員の方に親しくおつきあいさせていただいた。

7年ぶりくらいかもしれない。景色は何も変わっていないが、その間、写真業界の事情は全く変わってしまった。

新しい社長さんにも、彼にも、難しい舵取りが要求されているようだ。

夜は街に出て、久しぶりに彼と一杯やって帰って来た。

いずこも大変な世の中になってしまったが、絶対にあきらめてはならない。

あす、とんでも無いウイルスにすべての人類が滅びようとも、リンゴの木を植え続けなければならない。

誰も世の中変えてくれるわけではない、自分がやらなければ歴史は創れない。

歴史は自然に出来て、流れてゆくものではない、誰かが創っているものなのだ、一日一日の積み重ねが歴史なのだ、自分が創らなくてどうする

と橘 師の声が聞こえてきそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月26日 (火)

中国人と日本人

先週の金曜日、中国の友人が国に帰るというので、お別れに一杯飲んで壮行した。

彼は日本に帰化したが、今はまた上海ビジネスに集中したいという事で時々日本に帰ってくる。

きさくな男で,日本人以上に日本人的な心優しい男だ。彼の仕事がなんとか軌道に乗るよう応援している。

彼ならきっと上海で成功してくれるはずだ、何といっても日本人以上に義や信に厚い男だから。

彼ほとても日本びいきだが、日本の政治だけはがっかりする、夢も描けず党利党略、日本のことを考え、若い政治家を、世界戦略が立てられる、政治家を党費で育てる気概がなければ、政党助成金を配布する意味もないという。

彼の言う通りだ、計画的に,人を育てなければ国が滅びると嘆く。、

中国共産党は、その点全く異なり、未来に向けて,計画的に人を育てているとのこと、若い優秀な人材を計画的に育てているのだそうだ。

そういえば江沢民の時代、胡錦涛は若手でぬきんでていた。

彼は世界戦略を持っていた。

今でも東南アジアや開発途上国の港建設にものすごい支援を送り、先行投資している模様で、軍事的に寄港利用できるような、契約にもなっているのだそうだ,なるほどとも思う。

彼が読んでいる貝と羊の中国人、という本,、私も読んだが、

中国語が外交的な言葉なのだという。英語と似ている。

中国人と日本人の違いを 島崎藤村の千曲川旅情の詩 からとっている

緑なすはこべは萌えず若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る

など中国人が見ると、なんだこの寂寥タル景色はとなってしまうようだ

日本人は、緑なすはこべは萌えず若草も籍(し)くによしなし

と言われても、荒涼とした寂しい景色は浮かべない、むしろ否定ではなく肯定的な旅情を感じる。

、中国人は英語とおなじ語順だから、否定されたら,それは無いに等しく、それ以外の空想はしないのだそうだ。

 多民族国家の中国人のルーツを解くカギは三千年まえの殷周革命にあるとして、現在の中国人のなかには殷人の「貝」文化と周人の「羊」文化が混在していると定義する。

貝の文化とは「ホンネ=現実主義」であり、

羊の文化とは「タテマエ=観念主義」のこと。

貝のつく漢字といえば財、貨、賭、買など,本音の漢字だ。

ヒツジという動物からは、義、美、善、養が出てくる、なるほどタテマエか>

 今日の中国人はこのふたつの気質を状況に応じて巧みに使い分けているらしい。

殷人=農耕民族、物質重視、 羊=遊牧民、精神重視、儒教の気質のようで

いつも随踵塾で中国の歴史を学びながら、,なぜ儒教の世界でこんなに残酷なことがおこったのか?と思うことがあるが、

この2つの精神が裏表になって混在するのだと言うことがわかる^^。

日本人にも、もちろん本音とタテマエは混在する、弥生人と縄文人が少し違うが、どうやら日本人は、羊の社会を徹底的に昇華させていったようだ。

中国人の彼が言う、中国の共産主義は最高の弱肉強食だという。

経済原則は日本など問題にならない、日本が最高の社会主義国なのだという、

平等で平和で、格差がない、しかも役人、官僚の天国のような国なのだそうだ。、

社長と社員給料は2,3倍の差、しかない。

中国では少し給料高い人はお手伝いさんを使っている。2,3人使っている人も多い、えっとなった、それは知らなかった。

洗濯するためにお手伝いさん、食事を作るためのお手伝いさんなど、

日本人でお手伝いさんなど使っている人は滅多にいない。

中国では、お手伝いさんと社長の給料は1000倍、10000倍違うのも当たり前の話なのだそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月25日 (月)

スペイン風邪の事、

昨日、私の親教会、神奈川教会の春の教祖大祭でした。

いつもは土曜日でしたが今年は、なぜか日曜日、

そのおかげで一度聴きたいと思っていた、新橋 芝教会長、宇都木あけみ先生のお話をお聞きする機会を戴いた。

第3土曜日はいつも芝教会の月例祭だったのでこれなかったという、芝は神奈川の親教会、私の津久井教会のおじいちゃんに当たる教会だ。

芸能リポーター 宇都木員夫 さんの奥様でもあり、有名人でもある。

宇都木先生は岡山に生まれた教祖様が広めた金光教を、関西から東京に広めた大場先生のお孫さんで、先日関西に帰ったとき、おじいちゃんの日記をまとめた本が出てきたとのことで、

そこにスペイン風邪の時の壮絶な自分のルーツに関わる話が出ていたのでお話させていただくと言って、

その日記を読みながらのお話された。

先生のお父さまは今91歳、その時、18歳のお母さん(先生のおばあちゃん)のおなかの中にいたとのこと。

スペイン風邪は世界で5000万人が死亡、当時の日本の全人口がなくなった数に当たる。

日本でも40万人の方が死亡、それはそれは恐ろしい風邪だった事だろう。

おばあちゃんは,16歳で金光教の教会の先生のところに嫁に来て、ご主人と開拓布教という,苦難の道を、人を助ける喜びに燃えて、新婚生活を過ごしていたらしい。

天理教などとおなじ、江戸末期の宗教だから、布教を志す先生方は、難儀の人を助けたいとの一念から、信者が全くいない場所を選んでは、移り住み、教会を開設し、ドロをすすりながらも道を広げて行ったのだという。

苦しいが希望に満ちた、若い教師一家の新婚生活だったのだろうとおもうが、先生のお父様を身ごもって、このスペイン風邪にかかってしまったらしい。

妊婦は重篤になりやすいと言う通り、それこそ高熱が続き、とうとう危篤となり、息もしなくなってしまった。

どう揺すっても、声を限りに呼んで見ても、脈も無く、若い先生はそれこそ絶望となり、ああこれで自分の人生も終わりだ、神様は見放されたと思ったらしい、

人を助ける教師が自分の妻を死なせたら、助けられなかったら、それこそ信者さんに顔向けできない、なんと言ってこれから先、人を助ける事ができようか、と、思いながら

妻の死んだ顔を見ていたら、突然、はっと気がつかされたという、

今まで,それこそ,多くの方を救ってきたではないか、死んだと思ったような方も救った事もある、教祖様も,多くの先師達も、とんでも無い奇跡を起こして人を救ってきたではないか、

あきらめてはいけない,神様を信じ切って、一心にお願いしてみようと、思い直し、

,直ぐ神様に向かい直し ,それこそ4時間くらい一心不乱に死にものぐるいでお祈りをしたらしい。

そして、お祈りを終え、これで生き返らなければと、息の無かった妻の枕元でじっと顔を見ていたら、突然すっと目を開けたと言う。

周りで心配し、看取っていた数人の信者さん達も,それこそびっくり、

信心しておかげがない事を不思議という。。との教祖様の言葉を思い出し、有り難くて有り難くて涙が出たという、仮死状態から生き返ったのだった。

18歳のおばあちゃんは目を覚まして言ったという

長い長い旅に出ていました、お父さんが遠くで大きな声で何度も何度も呼ぶので、神様がもう帰っていいよと言われた、といいながら目を覚まし、おかゆを食べたいとまで言ったという、

そういう日記を読みながらお話くださった。

そして、その、2ヶ月後に無事、お父さんを出産してくれたとのこと。

この事が無ければ、

お父さんは生まれず、自分もこの世にいない、兄弟もいとこもみんないないのだと思うと、この道の有り難さに、感謝仕切れない気持ちだという。

いろんな宗教評論家が、金光教こそ本物の宗教だとTVでも言ってくれたり、最後に残る本物の宗教とか言われるが、このおじいちゃんの様な一代目の真剣さで教会の運営に当たっているだろうか,人を助けているだろうかと思うと、愕然とする。

4代目になると何かちょっと真剣さに欠けるとことがあり、反省する。

もう一度、一心に願いおかげを受ける信心を、そして人を助ける信心を、見直してみたい。

信者さんもおかげを受けたら、人を助け、神様に喜ばれる信心を進めてくださいと言うお話であった。

確かに、自分が今生きていると言うことは、生命が誕生してから、ずっと何万年も幸運に恵まれ、途中で一度も途切れなかったからこそ、今の自分があるのだ。

そのことだけでも有り難い事だ。感謝し,人を助けねばと思わされた。

それにしても聴きながら涙がこぼれた、真剣に,神様を信じ切る事の大切さを知らされた。

そして鳥インフルエンザの死亡率は60%、それこそスペイン風邪並みかなと思うが、

その時も、やはり一心が大事と思わされた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月23日 (土)

ベートーベン覚悟のことば

前に書いたことがあると思うが、

孫がまだ1歳くらいの時、実験してみた.、まだ言葉もわからない頃だ、

いい子いい子と褒めるとニコニコ笑う、アホとか,快くない言葉をかければ泣き出す。

言葉の意味はわからないはずだが、確実に理解し反応する。

自分に快い言葉と嫌な言葉はわかるのだ。

植え木でも,毎日枝振りをほめ、声をかけながら水をあげればだんだん立派になる。

すべてに遺伝子が生きており、働いている。

新型インフルエンザでも、マスクなんか要らんという気力があれば、遺伝子がONし駆逐してしまうと昨日も書いた。

何か頭で考えると、脳が働いて、体が動くのかと思うだろうが、そうではないらしい。

実は思考も行動も遺伝子がまず反応し、指令を出しているようだ。

だから、言葉にだせば、まず遺伝子が聴き反応する。

60兆もの細胞の遺伝子が一斉にONやOFFを繰り返し、気力や言葉に反応、びょうきまでもなおしてしまう事がアル。

これが”気”だ。

だから、明るく,希望を持って生きれば、あらゆる事が良い方向に働くという。

その証拠にネガテイブ思考になれば病気になる、病も気からだ。

極端な恐怖を与えると人は1晩で髪が真っ白になる、これも遺伝子が一瞬でoffになり、一晩で髪を白くしてしまうようだ。。

京都大学総長だった平澤興氏、[遺伝子学教授]が 若い時、京大医学部で毎日夜中までほとんど寝ないで勉強していたころ、重度のノイローゼになってしまったそうだ、

病気は深刻で、彼は郷里に帰り、死のうと思いながら、雪原をさまよっていた、その時突然いつも読んでいたベートーベン28歳の時の、”覚悟の言葉” が聞こえてきたという。

ベートーベンも28の時、耳が聞こえなくなり、死のうとした。

その時突然聞こえて来た言葉だそうだ。

[ たとえ肉体にいかなる欠点があろうとも、わが魂はこれに打ち勝たねばならぬ、そうだ、もう28歳になったのだ、うかうかしてられない、今こそ本物の人間になる覚悟を持とう。]と

そして彼はハンデイを克服、沢山の名曲を生み出した。

平澤先生にもこのベートーベンの覚悟の言葉が突然、原語で聴えてきたという

もちろんいつも読んでいたからだろうが、ベートーベンと同じように,死に向かった時突然に、だ。

雷に打たれたように、目が覚め、死からよみがえったと述懐している。

そして、お前は何も体が不自由な訳けでもないのに、何を甘えているのだとさっと心が変わったという。

皆、遺伝子の不思議な働きだそうだ。

どんなに最悪な病気でも、落ち込んでも、プラス思考なら必ず遺伝子が働いて突然助けてくれる。

遺伝子には神様が生きている、明るく気力で吹き飛ばせと、私もいつも思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

マスクなんか要らん

我が師、橘三朗の故郷は,新型インフルエンザで、大変な神戸のようだ。

フランスに長く滞在、ビジネスを創った海外経験も長い。

昨日の三略会での冒頭、

今日はマスクなんかして来たやつはいないだろうなと切り出された。

インフルエンザなど俺の処で止めてやる、どんと来いというくらいの気概がなければインフルエンザどころか、経済不況すら乗り切れまい。

社長が、街や、会議でマスクをしていてどうする、仕事になるか?

ただし社員には風邪引かせるな、すべて社長が受け止めて吹き飛ばせ,根性や,根性でDNAが働いて、ウイルスなど殺してくれるという。

今回のウイルスなど騒ぐほどの毒性ではない、単なる風邪だ。

俺れのところで、引き受ける、俺が止めてやるという気概があれば大丈夫、うつらない、気力が大事や。。。と檄を飛ばした。

なるほど、神戸や、大阪では8割がマスクをしているが世界からみれば異常な風景だ。

師の海外滞在経験からも,日本人は,おかしいと思っているのだろう。

日本人は、海外渡航者などが発病するとなぜマスクをしない、うつらないよう自分の身は自分で守れ、自己責任だとついつい責める。

海外でマスクをするとこの人病原菌だから家にいろという目で見られるはず。

自我と自己という関係から、欧米人と日本人ははっきり違う。

日本人は自我と自己の区別がはっきりしない、自分も他人の一種、運命共同体と考える。

欧米では自我がしっかり確立、他人と自分は違うが、他人に迷惑かけないのが原則。

日本では自己実現と言えば家族や会社の仲間と一緒に夢を実現し、成長することと考える。

欧米人は、他人と自分は違うと考える,夫婦であってもだ。

海外では病気の人がマスクをして他人にうつさない努力をするのが当りまえと考える、狩猟民族の考え方だ。

子供の教育でも社会に迷惑をかけないことを最重要としておしえる。

ところが、日本人は自分がうつらないよう、守るのが当然とおもう、病気の人がマスクをしなければならないとは考えない。

海外に長くいた方からみれば、この日本人の気持ちは、なかなか理解できない。

基本的に、俺は関わりたくない、うつりたくないという、自己防衛が主体なのだ。

おそらく痴漢をみても、社内暴力を見ても、道で他人が倒れていても、知らん顔して,関わりたくないという国民性とも通じる。

ところが、身近の人とは運命共同体として,他人も自分もおなじように親身に奉仕する

アカの他人には 我、関せずで利己的となり、関心をしめさない。

海外ではマスクをしている人は病気の人、他人に移さないというエチケットでするのが原則、

日本では、正常な人がマスクをして、身を守るのが行動原則。

マスクの効果は飛沫を防止するのだから、風邪にかかったと思う人がすればいいのが理にかなっている。

どちらの社会がいいか明白だろう。全員マスクはやはり何かがおかしい・

気合いだ,。。気だ。。。というのも、家族や愛する人を守る一つの道だ。

どこのお店にもすでにマスクはない, 入るのは7月だと言う、気合いもマスクの効果を発揮する,。

DNAに気を入れよう、生命科学の権威、筑波大学名誉教授の村上さんもそういうはずだ。

どちらが正しいかは別にして、

社員にマスクをしろというのも休まれては大変という防衛ではなく、社員の健康を気にしたものでないといけない。

師はそういう事を教えているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月20日 (水)

起業家魂

昨日は三耕会、

今月も何人かの若い起業家の話を聞く機会を戴いた。

基本的には、仕事を離れたおつきあいだが、遊びのおつきあいを通じ兄弟のような仲間のビジネスの話を聞いて、何かの参考になればと言う、会だから、本来は無目的。

目的を持っていろんなビジネスを聞く機会も多いが、これという、ビジネスにお目に掛かった事はない、

しかしこの会は、きわめてレベルが高い

ビジネスモデルもしっかりしているが、なんと言っても、時間をかけ、深掘りし、ちょっとやそっとではまねできないノウハウがそれぞれにあり、プレゼン力もすばらしく、内容があるから聞き応えがある。

ついつい真剣に聞いてしまう、そしてなにか一緒に出来ないか、協力できないか、真剣に考えてしまう。

なぜだろうかと考えてみると、皆さん普段から親しくつきあい、仲間だから、信頼関係があるから、聴く態度が違う。

みんな、どういう切り口なら自分が関与でき、売ってあげられるだろうか、どうすれば自分のビジネスと結びつけられるだろうかと熱心に聴いてあげている。

中でも感心したのは、31歳のNさん、化学専攻だが学生のうちに、事業に興味を持ち、ビジネスを捜していたとのこと。

22,3歳で、大人のビジネス社会を見ながら、なぜこんなに非効率な無駄なことを企業はやっているのだろう?と不思議に思ったという。

これを解決すれば、ビジネスになる、化学をすて、ITをやろうと思ったとのこと。

そして、金を集め起業した。

ASPを志向、ソフトを創るたびに勉強し ニーズをこまめに解決し、対応しながら、どんどんノウハウを蓄積 展示会やセミナー関係のASPとしてトップ企業になったという。

ビジネスアイデアは机上では創れない。

これがわからずアイデアで創れば成功するという錯覚が一般にある。

夢だけ大きいが、実際は能書き倒れ、

格好いいだけで使えない、なぜなら本当の開発力、実装力がないから知恵がないから作れないのだ

昨日の彼らは全く違う、実演見ても立派なソフトで感動した。

3つの話しは皆共通している、彼らが優れているのは、真のニーズを真摯にとらえ、素直に実現し、たゆまぬ改良を続ければ、必ず勝てるオンリーワン商品になると信じて確信していることだ。

大豆ではない、加工した豆腐でもない、ネギをのせ醤油をつけた冷や奴、いや私は、南禅寺の湯豆腐くらいオンリーワンだと思う、価値アル商品だ。

お客様の言い分、すべてのニーズを言い訳せずに、かゆい処に手が届く対応した、商品に仕上げている。

そしてさらに、それを元に、お客様と一緒になって、どんどん進化改良させている。

おそらく、彼らは皆、性格がいいのだ、成功する起業家の魂をもっている。

正直で素直なのだとおもう、そしてお客様の幸せを願う利他的な心を持っている。

人を喜ばせれば蔵が建つ、が商売なのだ。

昨日も書いたが、一般大企業では新卒新入社員を子供扱いし、時間をかけて育てようなどと不遜な態度を持っている。

課長も部長も、社長も本当は役割だけの話、会社を出ればただのおじさんだ、、Nさんのように、学生から起業しても数年でトップ企業となる。

大企業の非効率、無駄をテコにして、これを立派なビジネスにしてしまった。

大企業で実績もないのに出世している方は、たいていは、休まず、遅れず、仕事せず、人が良く、口がうまい方だ。

起業家のような性格では、周りを見れば無駄ばかり、改革がすきだから、衝突ばかりして、きらわれてしまう。

課長以上は実務はせず、管理だけとなるから、起業家には向かない、そういう事には目をつぶらなくては出世はできない。

実力の世界とは、年齢は関係なく、平等に議論できなければアイデアはつぶれてしまう。

今日も勝った、楽天の田中マー君は、19歳、

今日は負けたが、巨人の坂本は20歳だ、年齢や経験ではない。

ビジネスでも、創造力、アイデア、実行力が勝負なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月19日 (火)

男社会

昨日、社会では男がハンディをもらって甘やかされて生きていると書いた。

私が小さな研究グループを持たされた25年近く前の話。

この頃技術系学卒女子を採用し始め、配属された、ある女性の新入社員の指導担当として育成に当たったことがある。

当時、男子は 学卒Aというランクだが、女子は学卒Bとして最初からその後の進級が差別されていた。

いくら男並にがんばっても、女子は何年か必ず出世は遅れる のだ。

当時、女は結婚すればどうせやめてしまう、腰掛けだから、仕方がないと思われたし、実際もそうだったかもしれないが、

その頃、私は研究は経験ではない、アイデア次第、若かろうが、経験浅かろうが、創造性が大事、創造性は管理社会からはでない、とおもっていた。

生き生きと、生き甲斐もって、自主的に、だれでも自由に議論できる職場

仕事の成果より、仕事を通じ人間が成長出来る事を密かにめざしていた。

自分の裁量範囲では、人の幸せが実現できる研究室作りをめざしていたから、そんな人事制度や差別は許せなかった。

結婚してやめようが、やめずにがんばろうが、それは結果であり、最初の入社教育から分けて差別するのは、人権としてもおかしい。

昨日まで、学校ではおなじ机を並べて勉強していたはずだ、なぜ社会に出たら、最初から女は劣るものとして差別し、甘やかすのか、女性としてチヤホヤし、お茶汲みに使ってしまうのか?

どこの会社でもまだそういう時代だったが、会社の方針がそうであっても、私は男子学卒特別しなかった、棘の道であっても、彼女に道を切り開いて欲しかった。

男よりむしろ、厳しく当たった、出来るだけ何も教え無いよう、自分で考え、やらせてみて、責任を持たせ、成果を追求した。

最初から一人前に扱い、やり甲斐を与えたつもりだ。

どうせ結婚して辞めてしまうから、育て甲斐がないとか、周りは言ったが、人間として差別せず一人前にあつかった。

彼女は周りの職場の同僚には言っていたらしい、小星さんは、何も教えてくれない、冷たい。耳を貸さなかった、育ってなんぼやと。

自分で考えろ、俺もそうして成長したと知らん顔してしごいた。

教えれば教えるほど上司を超えることは出来ない、自分で悩めばそれだけ育つ。

ここは研究室、課題に対する攻め方は、無数にある、個性で戦えと言い続けた。

その頃まだどの研究室も徒弟制度であった。

立派な研究者が、実験女子、や高卒助手の実験計画を朝カラ晩まで考えてやっていた。

会社中が女の子の実験助手レベルで頭を使い切ってしまっていた。

しかも誰もやり甲斐を持てず、燃えていないのだ。

上司は結果が出るのを文献読んで待っている、結果が出ると実験を考え、紙に書いて助手に指示する。

結果をリーダーに報告、リーダーは課長に報告、課長は部長に報告する。

会社中で仕事をしているのは、実験助手だけという感じになる。

私は、メンバーは給料の順に仕事をせよといった。上ほど厳しい課題を課し、高い目標を与え、やり方を教えず、成果を求め、成長させた。

車の助手席に乗せていたら、いつまでたっても道は覚えず、自立しない。

仕事は自分で盗め、仕事の報酬は仕事や、とも言っていた。

とにかく彼女も負けず嫌い、良くがんばってくれた、そして大きな成果を出してくれた。

がんばっても出世させない、期待しないよという制度の中だったが、それこそ男まさりに、仕事し、女性としての掃除やお茶くみも全く気持ちよく生き生きと働いてくれ、、成長していった。

人事との毎年の評価申請では、これだけ実績出している、周りの男よりよほどましではないか、きちんと評価しろ、と男並みの昇級を、なんなら、私の給料切ってもいいからと迫った。

もちろん私の給料なんか切るはずが無いことは承知の上での、芝居がかった脅しだったのだが。

その結果、彼女は、学卒Aの男子並か、むしろ後半はそれ以上の早さで昇級していった。

コニカで最初の女性の主任研究員「課長)になり、今では部長代理か部長にもなったか聴いていないが、元気でやっているだろう。

もちろん常に男の倍以上のがんばりがあって、獲得した棘の道であった事に間違いない。

結婚したが、今までと変わらず仕事は続けてくれている。

旦那さんも、これだけ仕事に命をかけているなら、最後までやらせてあげたい、と言って協力してくれたようだが、家庭との両立もまた、女性には大変なことだ。

男は何もしなくても、当たり前のように出世し、昇級できる。男と言うだけで、偏見が無い分、人事への説明にも何ら苦労しないのである。

此を男のハンデといわず、なんと言おう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

病気になっても、病にならない人

昨夜、感動的な体験をした。

ある方を激励するため、日曜だが、東京に出てその方と食事をした。

2年前,癌になり,昨年再発、今は元気に働いているが、再発の不安が消えたわけではなく,,今でも不安な毎日を送っていないだろうか・と心配していた。

しかし全く心配はなかった。

丈夫なときに感じていた癌という言葉より、今は何も怖くないし、心配もしていない、心はとても平穏だという。

最初に癌になったとき、,田舎に帰って入院したのだが、まず母親が言ったのは、,なってしまったことは仕方がないね、と、全くうろたえなかったことが、ものすごく救いになったし、その後の安心に繋がった、うれしかったという。

そして、病気になっていろいろ見えてきた。

とにかくいろんな事にお礼が言えるようになったし、上司の苦労もわかるようになり、病気前よりすごく良い関係が築けている。

毎朝の出勤でも,道路を掃除している方や守衛さんにも、ご苦労さん、ありがとうございますと,素直にお礼がいえる。

びっくりだ、この子は数年前はものすごくとんがっていた。

上司に対しても、不満だらけで、いつも何かを求め、渇望していた。

今は全く違う、心配など全く不要だった。

そして今回の再発に対しても、一度ではまだわからんからもう一度勉強しなさいと神様が思ったのでしょう。

またなったらなったよ、と。

本当にそう思いますと言う。

このお母さんが偉いと言えばそうだが、おそらく私など,自分がなっても,子供がなっても,孫がなっても、うろたえてしまう。

彼女が言うには、このお母さんも,裏では、かなりうろたえていたらしい、心配かけてしまったという。

よくわかった。

やはり本人に対して、,周りがしっかりしてあげなければならない、例え裏でうろたえても。

彼女の母親が偉い。。感動した、彼女も偉かった、癌にでもなれば、誰でも人生を悲観し、最悪になっても不思議ではない。

しかし、じたばたしようが、しまいが,結果はおなじと、泰然と病気に立ち向かい、明るく,感謝の気持ちで、生きている。

彼女の心配は、むしろ、お母さんや弟さんの事だという。

癌との闘病中に,他人の事を思いやれる、この子は,絶対に直ると確信した。

彼女の遺伝子は、すべてが生き生きとスイッチオンし、全力で病気を治してしまうだろう。

自分の病気のことより、母親や弟の事を心配する、そして道行く多くの人に感謝の心をそそぐ、そんな崇高な心に久しぶりに触れ、とても心が洗われた。

歴史上など一般的には、どうも女性を少し、低く見るきらいがあるが、ふと思ってしまう、質的には男は女に勝てないのではないか?と。

いざとなったら男より根性が据わっているのではないか。

彼女も、彼女の母親もすごいが、よくみれば、我が家でも、常に慌てず、どんと構えて家族を心で支えているのは、,私より妻のようだし。

そして自殺の75%は男だし、,本当は女には勝てないのではないのだろうか?

会社や社会の仕組みで男は守られ、ハンデを20も30も、もらってないだろうか?

ハンデがあれば勝てるが、スクラッチではとても勝負になりそうもない、素直に認めたい気がするが、いかがであろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月16日 (土)

中国古代の残酷な歴史 

子供の頃、本格的な三国志の漫画を買ってもらって読んだ、関羽や張飛にあこがれ、諸葛亮の知略に惚れた、残酷な描写などなかったから記憶にも無い。

今でも、曹操100万の大軍船を風を利用し焼き払い追い返した赤壁の戦いは漫画の絵として勇壮に残っている。先週レッドクリフⅡを懐かしく観た。

大人になって読む、水滸伝や三国志、そして最近学ぶ随踵塾での、秦朝、漢朝史、特に漢の呂大后など残酷な誅殺、殺戮の史事には耐えられないものがある。

儒教の本場の中国の民がなぜこんなにも残酷だったのか、不思議な思いで学んでいる方もいる。

講義の後の感想でも、皆、残酷なシーンにうんざりし、信や義の話には感動する。

呂大后の残虐さなど、此れは、女だから。。女は。。。と女の本性のように決めつけたり。。。劉邦との生活からそういう性格にならざるを得なかった?とか同情したりもする。

そうだろうか?

実は日本人ほど歴史上残虐な殺戮史を持たない民族はいない、戦いの敗者として虐げられたことがない民族は少ないのだそうだ。

平和を愛し、信義、礼節を心から重んじる温厚な民族なのだ。

そういう異端の存在だと言うことを知った上で世界を観なければならない。

他の民族はもっと残虐で闘争的な歴史とDNAを持っているのである。

チベットのお地蔵さまを観て、日本のお地蔵さまを観ている目で見てはならないということだ。

歴史とは進化してゆくが、DNAが継承されている。楓は楓、桐は桐なのだ。

世界の歴史でみれば、古代、中世の残酷な殺戮や、誅殺は当たり前だった。

中国同様、ヨーロッパの歴史でも、陸続きの多民族がひしめく中で、生存競争は激しく残虐な殺戮の当たり前で繰り返し連続でっあったのだ。

今でも東ヨーロッパや中央アジア、中東でも残虐な内紛が絶えておらず、近代のナチスなどカンボジアのポルポトに比べても、特に珍しいことではない。

ヨーロッパによるアジアやアフリカ、近くには南アフリカなど植民地支配でも、原住民に対する迫害ははげしく、過酷、そのもの。

馬で投げ縄を使い、人を狩り、船底に満載して運び、各地の奴隷市場で売りさばいていたのである。それはたった数百年前のこと、奴隷の4代目くらい後がオバマ大統領なのである。

あるアングロサクソンの米国企業との共同開発の席上、ある競合日本企業からこんな特許が出され、このアイデアでは実現は難しいと私が忠告すると、、ひそひそと、またイェローモンキーか・と苦々しそうに話す民族なのだ。

汝の敵を愛せよ。。。..とは復讐は神に任せよ。。と言うことだし。

隣人を愛せよ。。。とは、隣人とはおなじキリスト教の人のことであり、異教徒の民は殺すか改宗させるのが鉄則 これが唯一神なのだ。

太平洋戦争のあとシンガポールで英軍の捕虜となり、戦犯として23人が絞首刑の宣告を受けた実録の話、

英軍将校は、絞首刑にしても日本人は喜んで死んでゆく、此では復讐にならないと考えた、そして、どうやら助かるらしい、刑は執行されず、恩赦があると言う噂を流す

巧妙に日本人通訳から、少しずつ、助かるかも。。と期待するような噂を6ヶ月もかけて流し完全に助かったと、思うような扱いをする。

毎日が楽しいスポーツ大会、自由に外出までさせ、普通の人にしてしまう、念の入れよう。

完全に里心がついたころ、刑の執行日を通告する、そしてその日以来、自由を完全に剥奪し、どれだけ日本人ががっかりしているかを記録させる。

刑の執行は更に数ヶ月も先である。それは地獄であったろう、一度助かったと思ってしまえば、死の恐怖は確実に大きい、此は実際あったはなしである。

此が敗者に対する彼らの普通の報復なのだ。彼らが残酷なのではなく、我々が甘いのだ。

収容所で親切な扱いをするのは、捕虜となった覚悟を解いてしまうことだ、その方が後がつらいのだという。そういう事だということを何人が理解していただろうか、日本人はとにかく甘いから世界では注意がひつようだ。

文化人類学では、その国の文化を通して客観的に、その国や民族を観察する、けして日本人の目で、世界の歴史を理解し、此は昔あった話とはしないことだ。

私も世界に多くの親しい友人がおり、今でも信頼しあってつきあっているが、そういう文化、DNAを持った民族なのだと知ったうえで、理解してあげることが国際人として重要なのだとおもっている。

私はカラー写真の開発者でもあった。

黒い目で淡い色や侘びさびを愛するDNAを持つ日本人が設計したカラー写真の色が世界の人におなじようにいい色に映るだろうかと心配し、彼らにどう見えるかを研究した。

ライラックやシロクマしかいない太陽の光が弱い北の地域のしかも青い瞳の民族がどういう色に観ているのか?

逆にガラガラ蛇や真っ赤なオウムがいる太陽ぎらぎらの国、の民族がおなじ色に見てくれるのか?いつも考えた。

なぜ、茶摘み女がアカネたすきと赤い前掛けをかけて仕事をするか?

真っ青な海のタヒチの女はなぜ黄色い腰布を好んでつけたのか?

太陽の光の強さと、余色でバランスを取って目を休める、それぞれの地域での環境で作られる自然の姿なのだ。

呂后が特別残虐ではなく、当時は当たり前の自然のすがたでDNAなのだとおもう。

そういうDNAを深層に持つ、その上にたった民主主義であり、平和なのだという事を歴史から学ぶようにしている。

それにしても日本の文化と伝統は、そういう意味でも誇れるものなのだ。

日本の女性は精神的にも美しく、海外の方からも高く評価され、羨望の目で観られるのだから呂后と一緒に女として理解してはいけないと思っている。

大いに自慢しようではないか日本の文化と伝統を、そして日本女性の美しさを

随踵塾では、多くの方の感想が聴け、ものすごく勉強が出来る、.有り難いことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

ゴルフ随踵塾

今月の随踵塾は、あたかも寄席に行ったようで、3時間笑いっぱなし。

とにかくためになって笑える勉強会は珍しい、、笑えば血圧も下がり血糖値も下がるそうで、これほど健康にいいことはない。

実は今回は、

環境が変わった若い経営者を励まし、鼓舞するための目的もあったようで、橘三朗師特有の配慮のある、ゴルフの話を豊富に取り入れ、笑いの中での、男の志を教える会でもあった。

お題の中心は、目的にも合った、”百折不墝、大節に臨む” (後漢の蔡邕)

70年で97%の会社がなくなると言われている。

人間も企業も長い歴史の中で必ず、難局があり、大節の時がある。

百回折れても、不撓不屈で乗り切れと言うことなのだが、

師が言うには、

リスクがあるからベンチャー企業という、若いのだから未熟であっても当然、簡単にくじけるな、不撓の心で大節に臨めと。(撓とは折れ曲がること)

ただ、百折しないに超したことはない、百折はどこから来るか?

絶頂期に因がある、ここをどう過ごすかで危険を避けることが出来ると教える。

禍福は糾える縄のごとし、最悪の時にも福の芽がある、見逃すなと。

絶頂の時に禍の芽がある見逃すなと。

(私は常に新しい状況を作りだし、新たに挑戦し続け、現状は部下に任せ、絶頂に安泰という状況を作らないことだと思うが)、

事を謝するは、当に正盛の時に謝すべし、

絶好調を自分が作ったからと行って安泰ではない、常に次の時代のパラダイムを代えた形での絶頂期を作る準備をせよ。

との名言故事を 漢の陳平と周勃や、越の宰相 范蠡の処世術から教えたのである。

そして、むしろ、ゴルフの話の中にも随踵塾があったように感じた。

今ランク一位だからと言って安心するな。

しかし、力量落ちたといえども本当の会への功績は消えない、名は永遠である。

しかれども杉原プロを見習え 50年 同一レギラーツアー連続参加、しかも癌との闘病中。

そして圧巻は、師匠が教える過酷なグリーン上でのパッティング随踵塾だ。

ルールはショートパット罰金チップ一枚、更に3パットもチップ一枚、とか

セカンドからツーオン狙えば、ピンから遠くに乗ってしまい、10ヤード以上 遠けば、返しが確実に入るだけオーバーさせる事など至難の業だ。

オーバーすれば3パット、ビビッて、ショートどちらかだろう。手前に乗せず、寄せワンしか戦略はない。

パーオン狙ったら、チップなど何枚あっても足らない。直ぐにハコテンとなり、3人から借りまくってもチップは足らないかもしれない。

私はこの組の後ろを回っていたが、パットのたびにグリーン上がわっとどよめく。

パットは確かに届かなければ入らない、強く打てば曲がらない、いい訓練にはなるだろう、師の理屈は正しい、強い心を作る、経営にも通じる。

かといってオーバーすればいいというものではない、次のパットが入らなければ、またチップを取られる。

マージャンだろうが、野球だろうが、ゴルフだろうが、ルールが変わったら、そこで勝負をするのがビジネスでもおなじ。

どれが正しいと言うことはない、ルールなど誰かが作ったものだ。

これはゴルフに集中できない、といくら抗議しても、パットの心得、ビジネスの厳しさを教えるルールだから仕方がない、

手前から寄せワンは、休日ゴルファーには鉄則でもあり、オリンピックに勝つ道でもあるのだから、チップインを狙って、最悪鉄をとり、チップをいただく、それが正しい戦略だ。

抵抗すればするほど師の罠にはまり喜ばれるだけ、勝たなければならない。

ハゲタカファンドがどうのこうの言ってもグローバルスタンダードであればそれに合わせる、それとおなじだ。

師はそういう事を言いたかったのか、とおもいながら笑って聴いていた。

そういえば師は、マージャンでも、どんな手でもテンパイしたら絶対にリーチすると言っていたな、勝てばいいのではないのだと、何かを教えているようだ。

自在に戦場に意識を合わせ、コントロールする、コントロール出来る事が経営者として重要なのだろう。

それが絶頂期に最悪を想定して備えをする資質にもなる。

自分を自在にし、変化する環境、ルールの中で必ず勝てる戦略を立てる、例え順風満帆でも、挑戦し続ける、そういう心が、禍を防ぐ心を育てる。

最初から出来る訳ではないだろうが、いかに負けないか、負けながらも戦略を立て、そういう努力をする事の必要性を教えているのだなと、思わせていただいた。

しかし、この罠にはまればはまるほど、うれしそうに喜び、ますますエスカレートするとんでもない師でもある。

ハコテン何回だったか、知らないが?

随踵塾で励まされた若い経営者Kさんは、どうやら師の深い思いやりのチップ攻撃にあい、さんざんだったようだ。

深く同情するが、しかしとにかくオモシロク、楽しませて戴いた。

おかげで、

衰颯の景象は、就ち盛満の中に在り、。。。などと、難しい故事を楽しくまなべた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月13日 (水)

天地の道理

たびたび、天地の仕組みの不思議さを書いてきた。

勉強すればするほど天地の仕組みは良くできている。

光合成反応や、菌類でさえ人間には作れないと書いた。

材料は作れるが、生命のあるものが作れない。

細胞一つとっても、不思議な働きがある。私の体でも、4ヶ月程度で骨以外はすべて生まれ変わっている、体の中で生と、死が繰り返されている。

生は毎日の死の中にあるのだそうだ。

植物も、冬には一端死に、春に、また芽を吹きかえし、成長を続ける。一つの課程なのだという。

今私の家族は妻の母が100歳でいまだ丈夫、孫まで入れると4世代が生きている。

細胞とおなじに、無限に生きたら成長できないから、互いに一定期間を受け持ち、引き継いで成長を計っているに過ぎない。

だから私は死は何ら恐れることではなく、一生懸命利他的に生きていれば、永遠に幸せな生命が引き継がれると思っている。

誰が死んでも誰かが引き継いで永遠に生きているから、何百万年、人類がこれだけ繁栄してきたのだ。

細胞も心臓や肝臓も単独では機能していない、血液を送るが、その血液を浄化してくれる機関があり、その他の機関も皆それぞれ助け合って機能している。

一つ死ねば皆死んでしまう。

動物と植物をとっても誠に不思議な助け合いをしている。

動物は酸素を吸い、炭酸ガス(2酸化炭素)を放出するが、植物は逆に2酸化炭素を吸って、酸素を放出する。

お互いに意識しているわけではないが、どちらかがいなければ、生きられない関係だ、助け合っている。

動物は、どんなものでも外界から食物をとって餌にし、生存している。

草食動物は、植物を、肉食動物は獲物を追いかけ、食べて生きている。

ところが植物は、自然界の水と炭酸ガスを原料として光の助けを借りて自ら作り出す。

動物の中でも唯一人間だけは、食料を自ら作り出すことが出来ると言うが

それは違う、

植物にも似ている点がないわけでもないが、植物は消費を全くしない、生産のみ行うから、やはり人間とは違うことになる。

春田俊郎さんの説では、

自分の生活の糧を自分で作り出せるのが植物であり、生産者だ。

自分の生活の糧は外から採ってきて生活するのが動物であり、消費者なのだ。

そして動物の排泄物や死骸など、植物の落ち葉などを分解する菌類 分解者がいる。

この3つがあって、始めてこの地球上の生態系が成り立っている。

と言っている。

それぞれ、一つでもいなければ、すべて生きられない。

改めて思うが、不思議なほど、互いに、生かし合い、助け合って生きているのがわかる。

光を一杯浴びなければと言って、むやみに葉っぱを広げれば、下草をも死滅させ、自分の栄養すらなくしてしまう。

だから葉ッパが出る角度もすべての葉っぱが異なるのだそうだ、狭い範囲でいかに広げて効率よく光を受け止められるか、それぞれの遺伝子がコントロールしている。

一人だけ生きようとはしていない.、周りの植物との共生を計っている。

いかに高く伸びて、横の部分を他の植物に譲るかなど、いろんな植物が混ざって全体を上手くバランスさせ助け合っているらしい。

いま現在生きている生物は、すべて何百万年、何億年を生き残ってきた優れた種であり、いかに上手く自然と共生し、助け合って生きてきたかの証が出来る種なのだそうだ。

利他的な種だけが生き残って繁殖しているのだという。

排他的で、利己的な種であれば、必ず滅びてしまい、存続していないのだ。

利他的だからこそ,共生し、長く生きられる、それが自然の理なのだという。

それが証拠に、最強に利己的な生物が、癌細胞。

正常な細胞をなりふり構わず食い荒らしてしまう。

そして、自分の生存基盤をまで、死滅させてしまい、結局自分も生きられないことになる。

利他的だけでは一見アホに見えるが、互いに利他的だから,うまくいく、

利を受けたら,此をまた他に振る舞う。

利を受けて、儲かった、儲かったと自分だけでしまい込み、利己的になれば,その種はやがて死滅してしまうと言うから不思議なものだ。

誰が作ったか、良くできている。

癌細胞にだけはならないよう気をつけたい。

そんな目で補正予算を見ていると、官僚の利己的な紛れ込み予算が目立つ。

彼らはいつか自分達までも、生存できなくなるほどに日本を財政破綻させる癌になって死滅してゆこうとしているように見えるのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

新型インフルエンザ

カナダから帰った高校生3人が新型インフルエンザに感染。

いよいよ、日本でも本格的な感染拡大が開始された。

そして昨日は米国から中国への成田経由便の同乗者も含め、多くの関係者が行動規制されたり、ホテルに停留されたり、大変な思いで、水際感染防止に協力している。

しかし、飛行機は毎日、何千人も入国してくる、こういう疫病は、基本的には水際で防御出来るはずはないから,必ず一定の患者は出るだろう,

時間の問題だとおもう。

1918年といえば、世界はまだ今ほど狭くない、海外との行き来も、滅多にない時代、しかしスペイン風邪はあっという間に世界に広がり、数千万人の死者をだした。

志賀直哉の小説「流行感冒」のはなしがある新聞にでていた。

この主人公、私に似ていると妻に笑われた。

最初の子供を病気で失った、小説の主人公は、なんとしてもスペイン感冒を家に入れまいと神経質に予防に夢中になる。

妻にもお手伝いさんにも外出を禁じ、買い物も他人とは話をさせず、手を洗わせ、家の中で,じっと耐えて,感染を防ごうと努力していた。

しかし、ご主人の警戒心とは裏腹に,のんきなお手伝いの石さんは、お芝居見物に行ってしまったのである。

ご主人は激怒し、石さんには、外出禁止を徹底し、赤ん坊を抱かせず、暇を出す準備までし、ピリピリと暴君ぶりを発揮して、,感染防止の陣頭指揮をしていたのである。

しかし、最初に感染してしまったのは、なんと、このご主人であった。

家にきた植え木やさんから感染したといいわけを言うのだが,本当の処はわからない。

おかげで奥様も,子供も感染し、重症となる。

最後まで感染せず、みんなの看病をし、お世話をしたのがのんきで無警戒だったお手伝いの、石さんだったと言う、

落語のような話なのだが、きわめて,ありそうで、真実をついている。

私もこの主人公のように神経質にやるだろうが最初に感染しそうなタイプである。おうおうにしてそんなものだ。

高校生が米国やカナダで、マスクを持って行きながら,誰もつけなかったのは,あちらではマスクをする方は検疫官くらいのもので,街でマスクをするには違和感があるからだとか。

メキシコではマスクをして金融機関に入るのは今まで御法度だったが、今回の件で、この規制をゆるめたら,直ぐに強盗が急増したとか。

私は花粉症で、くしゃみが出やすいし、のどもも弱く、咳も出やすい。

最近では 電車の中で、ちょっと咳き込むにも、みんなに振り向かれたらと思うとマスクなしでは緊張する。

これからはマスクは常時携帯するエチケット品なのかもしれない。

人に迷惑かけそうな方、

症状がでたら,出かけない,出かけるときはマスクをするのが、最低のマナーとなったようだ。

世界で患者数千人 死者 数十人、症状は軽く弱毒性 軽い風邪程度とのことだが、新型であることには違いなく、世界的な蔓延は絶対に防がなければならないが、本質的にはワクチンの普及以外に手はないだろう。

インフルエンザウイルスは,熱に弱く,寒さに強い、今年の冬が試練の時。

いつかは映画感染列島のような最悪のことも覚悟しておかなければならない。

それまでにはワクチンが完成し、完全防御できる時がくる事を祈る。

しかし、実はインフルエンザどころではない実態が日本にある。

毎日電車が止まり、年間の自殺者は32000人もいる。

もっと騒がなくてはいけない問題なのだとおもうのだが。

鬱病や心の病の方は、1000万人にも及ぶらしい。

インフルエンザより、本当はこちらの方が重大な問題なのかもしれない。

なぜなら、

まだまだ経済の底はこれからだし、なにより、この病気ワクチンがないからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月10日 (日)

若葉がまぶしい

若葉も紅葉と同じくらい美しい.

緑の葉の 色と言っても、若葉の場合、光によっても色が変わるから、それこそいっぱいあるように見える。

だから、山並みの風になびく、若葉の美しさは例えようもないほど綺麗だ。

ちょうど今頃、関越から 日光へ行く街道の新緑が美しい。

昨日、千葉のゴルフ場にいったが、ここも日光に負けないくらい若葉が綺麗だった。

雨上がりの若葉を一日楽しんだ。

植物の緑は地球上で最初に出来た色。

38億年前、火山の爆発がおさまり、雨が降り続き、海が出来、陸地に緑の藻や苔類がはえ、何億年もかけて現在のようないろんな植物に進化した。

美しい山の緑も、いろいろな植物も、皆、この緑の葉の,葉緑素を使って、無尽蔵にある大気中のCO2と地中の水を吸収して、あらゆる養分を作り出している。

養分を根っこから吸収して、そのまま蓄えているわけではない、新たに作り出してっているのである。

葉ッパの葉緑素を触媒に、葉ッパから炭酸ガスを吸収し,根ッコから水を吸って、葉ッパの中を工場にして、デンプンや蔗糖,等炭水化物やビタミンやミネラルなどまで合成しているのである。

1ミリ以下の薄い、葉ッパの中の光合成工場は、ものすごい精巧な生産システムを持っているのである。

空気中の二酸化炭素CO2と水H2Oから、ブドウ糖C6H1206を作りだし、此の糖類を多数結合させデンプンを作りだしているはずなのだが、

実は、化学の粋を集めても、CO2と水H2Oを直接反応させる事は未だ人間の力ではできていないのである。

例え葉緑素を触媒にしても、ハイテクなファインケミカルの合成工場で何百度もの温度を加え、何百気圧もの高圧をくわえても、どんなに反応条件を整えても、人間の力では、一枚の葉ッパの反応すら再現できないのである。

もちろん葉緑素は酵素の一種なのだが,酵素が巨大な分子で正確には捉えられていないことと,あわせ、酵素は数十種もあり,それぞれ、複雑な働きをしながら合成が行われている。

もし自然の中で行われている,葉ッパの中の合成工場のように、水と二酸化炭素CO2を直接反応させる事ができれば、米も麦も、果物も、あらゆる食料を作り出し、バイオ燃料さえ作り出せるはずなのだが。

自然の温度と常圧で葉ッパに中では、毎日淡々とあらゆる食料が合成されている。

しかも有害な廃棄物など全く出さない、むしろ有用な,酸素をだし続けてくれる、地球温暖化の元凶のような二酸化炭素CO2を吸収し続けてくれる。

数億年前から、1ミリも厚さがない、葉ッパの中であらゆる穀物や果物が作り続けているのである。

水と大気中のCO2を材料として、太陽光線を緑(可視光の中心部の波長の光を吸収できる)のパネルで受け、この光を動力源とし、葉緑素を触媒に、精巧な合成反応を行っている。

酵素も何もかも、すべては遺伝子に書かれたプログラム ゲノムが制御している。

数ミクロンの遺伝子の核に、千ページ3800冊文の遺伝子情報が書かれている。

そして2%だけ、ちょっとだけ違う遺伝子の働きで,、米を作ったり、,麦をつくったり、ミカンを作ったり、マンゴーを作ったり、精巧に作り分けしてくれる。

このような遺伝子が、単純な葉ッパの中で水とCO2の合成を可能としているのである。

この自然の工場を 一つでも人間の力で再現できたなら、世界の食糧 問題は,なくせるのだが。

この自然の工場を 一つでも人間の力で再現できたなら、地球温暖化はなくせるのだ,空気中の炭酸ガスを原料にし,川の水を原料にして、太陽光線を原料にして、酸素を出しながら、操業できる、食糧工場が作れるのだが。

すべては神様が作らなければ,こんな遺伝子情報のごとき、プログラムは作れないのだ。

人間には材料はいくらでも作れるが 未だ生命が作れていない。

不思議な話だ。

光合成は、もちろん、大腸菌でさえ、人間には作れなのだ。

なぜなら、これらは 生命だからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 7日 (木)

友人の茶室と水琴窟

昨日、日本山岳会のメンバーで、昔の山の仲間と言うか、先輩のKさんの家に水琴窟が出来たと言うので、妻と一緒にお茶をごちそうになりながら音色を聴きにいってきた。

彼の家は八王子の少し北、広い庭には、立派な茶室がある。

庭には大きな東屋もあり、その横のこけの生えた飛び石の小径をはいると、席入りを待つ、外腰掛けがある。

竹の中門があり、此を入ると、蹲鋸(つくばい、手水鉢)があり、ここに腰をかがめて、手をすすぐと、そのこぼれた水が、敷き詰めた小石の間から、金属音の水音が反響し琴の音に似た音をかなでてきかせてくれる。

この音を聞きながら手を拭き、風情を感じながら、茶室に向かい、にじり口から入るという仕組みになっている。

大きな栗の大木の木陰で見事な苔庭になっており、本格的な茶室風景だ。

作法は良く知らないが、妻が少し心得があり、薄茶を戴き、茶室の作りや茶道の基本をお聞きしながら、珍しい建築様式を楽しんだ。

本格的な侘びさびの建築だ、今時大工さんによほどの経験がなければ、材料もあつめられないし作れないだろう。

大名建築に比して徹底して質素に、しかもその辺に転がっていただろうと、思われる余ったいろいろな材料を、そのまま使うと言う精神が貫かれている。

今時こんな贅沢はないという、いろんなこった昔ながらの様式で質素な作りになっている。

庭の水琴窟は Kさんが自分で数人の仲間と作ったのだそうだ。

庭の表面からはわからないが 地下にはかなり大きな唐津焼きの水瓶が 反響するよう小石で周りを囲んで外側はヒューム管で覆われ、埋められている。

水瓶は底に穴を開け、底を上にして被せた格好でいけられ、中には水がたまり、その水面に上から水が落ち、その音が反響するよう作られているのだそうだ。

その後、お茶の話や、Kさんの山の話を聞きながら、穂高や槍ヶ岳の5月の景色を伸ばした大きな写真等を見ながら、お蕎麦をごちそうになり帰ってきた。

水琴窟については。。。、

庭の片隅に造られた茶室近くの蹲踞(つくばい)、から溢れ出た水や、手を清め捨てた水を利用する日本独自の庭園の音響装置。

  造られ始めたのは江戸中期。この時代、京都や江戸の裕福な商人の間で庭が造られ始めている。それも座敷に調和した贅を尽くした庭で、一部の商家では丁重に客をもてなすため、庭に競って茶室を造っている。

豪商・千利休が茶道を大成させたのがこの時代で、茶室の入口には蹲踞が置かれ、書院の縁先には手水鉢が置かれるようになった。

初めは、水で手を清めた後の水を地中に埋めた甕(かめ)に溜めていた。ある時、その甕に落ちる水滴音が琴に似た優しい響きであることに、庭師が気づき水琴窟が産まれたといわれている。

 水琴窟は、小堀遠州が創案した蹲踞から溢れ出た水を処理する「洞水門」が起源だともいわれていて、その造作には高度な技術が必要であったと伝えている。

また、水琴窟という名は琴に似た音から名付けられたとされるが、いつ誰が名付けたかは全くわからないらしい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 6日 (水)

実意丁寧

実意丁寧は神様への仕え方として大切と教わった。

家族や友人、会社の上司はもちろん、むしろ部下への対処として実意丁寧を心がけたがなかなか難しい。

他人になればなるほど丁寧さや心配りは、何となく出来るが、特に親しい妻などへの丁寧さに欠けてしまう。

車の運転でも神様を乗せている気持ちになればと思うのだが、妻にはいつもあなたの運転は怖いと言われてしまう。

B級ライセンスの腕を見せて上げるとかいっては、ちょっと荒い運転になってしまう、しかし怖がらせては失格だ。

毎朝、毎晩のお祈りでも、そこに実際神様がおられるように、丁寧に、感謝し、お礼をし、お願いし、としたいのだが、ほとんど義務的に、なりやすく、ここでも反省ばかり。

気持ちと行動を一致させたいのだが、実意丁寧にと思いつつ、気持ちはあるもののなかなか難しい。

此は性格なのかと、つくづく我が家のDNAを恨むばかり、丁寧さだけは身につかない。

。。。

筑波の姉の家

夜遅くまでカラオケをやって飲んで寝た割には、いつもにように5時には目が覚めてしまった。

義兄も姉もまだ寝ているらしいので、そっと外に出て、散歩に出かけた。

家の前から見渡す限りの田んぼが続く、朝靄に煙っている景色がまたいい。

田んぼを歩くと、どの田も水がドウドウと流れ植えたばかりの苗が一直線、水が澄んでいて、とても綺麗だ。

端の方は機械植えが無理だから手で植えるのだが、どの田も端から端まで、機械できっちり植えたように、一直線に、条がそろって、とても綺麗に、丁寧に手で植えてある。

私が植えた田んぼに来ると、私と姉が受け持った場所だけ、どこもかしこも、端の方の手で植えた部分が条が乱ればらばら、苗の間隔だけは取ってあるが、全くそろっていない。

実害がなければいいではないかという植え方だ。

義兄が担当した場所はさすがきちんと植えてある。

此にはあきれた。

我ら兄弟、失格だ。

姉は40年もこの地で田んぼをやってきたのに?

親の所為にするわけではないが、つくずく、実意はあるが丁寧さにかけるDNAなのではと思ってしまう。

DNAなら仕方がないが、とにかく兄弟、皆仕事は早いが、丁寧さにはかける。

実意があれば丁寧さは自然と身につくはず。。。と思うのだが、これがなかなか難しい。

田んぼをやめて今度は山に向かって途中まで登ってみた。気持ちがいい朝だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

田舎の風景

連休も筑波の山麓の姉の家にきて田植えを手伝い、田舎の風景を楽しんだ。

村で有名な機械好きのおじさんの家に行ってみた。

家と隣り合わせに、ものすごく大きな建物がある。

一般の家なら3階以上の高さ、しかも体育館並の大きな工場のような立派な小屋だ、いろんな機械が入っている。

大型の米の乾燥機、コンバイン、大型チェーンソ-、自動米つき機、クレーンつきの大型トラック、田植機などありとあらゆる機械がおいてある。

昔は米を刈り取ったら、田んぼに竹や丸太で高い柵をくみ、此に稲をかけ、太陽に10日以上も干し、天気が続き、しっかり乾燥したら取り込んで、脱穀し、もみ摺り機にかけて、米にしたのだが、

このおじさんに頼むと、コンバインで刈り取りながら、籾にして取り出し、この乾燥機にかけて急速乾燥し、2日ほどで米にして返してくれるそうだ。

しかもホークリフトがそのまま入るような大型冷蔵庫まである、米は取り入れたら、冷蔵庫に入れておけば、1年中新米の味が保てるとかで、1年中新米の味で出荷出来るようになっている。

米の乾燥は24時間連続作業だから小屋の横には宿泊できる座敷がアル。

8人ほどが宴会出来るテーブルつきの部屋が2つ、1つは庭園添いの部屋で、テーブルの下、足元は立派な御影石で作った掘りごたつ風だが、此が立派な足湯の設備なのだ。

薬草を入れた足湯につかりながら宴会が出来るようになっている。

お湯は自動循環する小さなボイラーと連結し、自動温調装置つきとなっている。

その宴会場はガラス越しに日本庭園が眺められるようになっており、ちょっとした料亭顔負けの風情が楽しめる。

すべての機械や米つき機など村のためのもので、奥様がいうには困った道楽者だとか、バーベキューなど村中を呼んで時々イベントを催し、足湯の会なども開くのだそうだ。

裕福な稲作農家には変わらないが、稲作の他に本職がもう一つあり、樹齢何百年という大木を倒す名人なのだそうだ。

全国の銘木を倒す場合、このおじさんに声が掛かるようで、大型チェーンソウやクレーンつきのトラックはそのためのものだとか。

何せ何十メートルもある大木を建物にぶっつけず、きっちり空き地に倒すのはすごい技術がいるとか自慢のようであった。

小屋の作業場所には、4畳もあるようなケヤキの大木の根っこで作っったテーブルが6つもあり、此を作る機械や磨き工作機も並んでいる。

村で機械好きのおじさんで通っている理由がよくわかった。

近所にはコンビニもない村だが生活はものすごく豊かで、皆それぞれに農業以外の生活を楽しんでおり都会にはない豊かなものばかりだ。

この豊かな農村をどう継承できるかが、高齢化農業の問題と合わせ日本の課題のようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 4日 (月)

田舎で田植え

茨城県筑波市臼井が姉の嫁ぎ先、

筑波山の入り口の麓、のどかな田園風景の村である。

昔は小さな赤い電車が土浦から入っており、筑波山駅があったが、今はこの軌道跡が 歩行と自転車専用の総延長40kmのサイクリングコースとなっている。

40年間村の家は全く増えも、減りもせず 新しい人など全く引っ越してこないから隣近所皆親戚のような 昔ながらの近所つきあいの稲作農家ばかりの村である。

家の前の見渡す限りの田んぼに立つと、目の前に筑波山がそびえ 頂上付近を行くロープウエイがゆっくり動いているのが見え、眺めは最高。

姉はカラオケが大好き、家には 専用の部屋があり、時々泊まりながら兄弟カラオケ会を催していた。

この地方、今田植えの真っ盛りだ。

姉夫婦も70歳を超え、農作業がだんだんつらくなって来たようなので、今年から少し手伝ってあげることにして、時々くることにした。

4月4日は家の庭のハウスの中の専用容器に種を蒔く作業の手伝いだった。

今回くると、約1ヶ月だが見事な苗に育っていた。

苗は田植え機にそのまま乗せられるよう、30cm×60cmくらいの一定の専用容器に、完全殺菌処理した土を一定の厚さに敷き、

その上にシード「種」を蒔き、更に土を敷いて被せ、水をかけて、積み重ねて、ビニールハウスて2,3日置いて、芽を出させる。

芽が出たら、ハウス内に平らに一枚ずつ並べて、毎日水をかけながら1か月育てるらしい。

15cmくらいの苗が出来上がっていた。数百枚も苗の箱があろうか、青青している。

今回は

田植えの手伝いだ、完全自動機での田植も初めての経験だ、苗作りは田植機とセットでいろいろ工夫されており、なかなかオモシロイ。

今回は、家を4時半にでて、中央高速、首都高、常磐道を乗り継ぎ、夜明けには、着くのだが義兄はすでに苗を数回、田んぼに運んでいた。

私が到着するととてもうれしそうに迎えてくれた。

こちらも楽しくなった。

実は妻も茨城の姉の家は実家のように落ち着くといっていつも泊まるのを楽しみにしているのだが、今回は急に体調が悪くなり、仕方がなく一人で来たので沈んでいたのだが、うれしそうな二人を見ると、ではやるかと言う気になりうれしくなる。

長靴をはき、お茶を飲んで、車で田んぼに出かける。

苗箱の底に出た根っこを鎌でキレイに取り去り、苗箱から苗だけを取り出せるようにして、田植機がくるのを待つ。

近所の機械好きのおじさんの家の田植機が到着、一反歩いくらで田植えの請負作業をしてくれるのだそうだ。

我々は苗を準備し 機械に乗せる、みるみるうちに植えてゆく。

早い早い。、

苗箱の苗を8列、2段構えで乗せ、130mもある畝を 8条一辺に自動的に植えてしまうのだ。

昔は数日で終わるこの田植えが2ヶ月掛かったという大変だったろう。

田植機はよく考えられている、ヤンマー製だが、4条植えの機械や 10条植え機もあちこちで動いている。

しかしいくら早くても、田んぼが広いからなかなか大変 、3枚ほど終わって10時のお茶だ。

例のサイクリングコースの桜の木の下の木陰で、のんびりお茶を飲む。

田んぼと山の遠景が絵のようでとてもキレイだ。

およそ一町歩近い田んぼ、機械で植えても、大変な事には変わりはない。

機械が終わっても、植え残しや、端の部分の機械が入らないところを手で植えてあるき、最後に水を張り、一枚の田んぼの作業は終わりとなる。

まだまだ、これから植える田んぼがいっぱいある。米ぬかだけを肥料にして、完全有機栽培の米は別の田んぼでまた別の日だそうだ。

高齢化の農業を体験し、日本の農業政策を考えて見るが、なかなか解決策はない。

でも、田植えもなかなか楽しい経験であった。今度は秋のコンバインでの刈り取りが楽しみである。

やはり実際にどうやるかを見てみないと、正しい発想は出来ない。

すぐ近所の機械好きのおじさんの家にいろんな機械を見せてもらいに伺った。

それは明日、書こう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »