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2009年4月

2009年4月30日 (木)

生キャラメルと宮崎マンゴ-のコラボ

このブログを書き出した頃、話題にしたことがアル。

北海道で牧場経営、生キャラメルで成功した、田中義剛さんだ。

昨夜もTVで彼の特集を放送していた。

生キャラメルもそうだが、北海道で、酪農で売り出そうと、耐え忍び、13年。

粘りに粘って、借金を重ね、どん底からついに生キャラメルを成功させ、販売でもブレークさせた人だ。

一口に13年と言うが、タレントの彼が、酪農で行くのだときめ、やり遂げる、確信があっても難しいのに、やり遂げた執念は誠に見事だ。

やれと言われても、できるかどうか自信がない。

東国原知事とは昔からの大の仲良しとか。

彼がマスコミでたたかれていた時、北海道にかくまってやると言っていたそうだが、

2人は若いときから一緒にワル遊びをし、つるんでいた仲でもあり絆は強いのだそうだ。

そして二人の浮き沈みのバイオリズムも非常に似ているとか。

二人ともどん底を経験し、工夫に工夫を重ね、世に出た本物の強さを持っている。

二人とも顧客ニーズを真剣に考え、顧客の心をとらえて、浮上した。

一人は逆境から地方自治を選び、宮崎の民の心をとらえ、宮崎を売り出し信頼され、政治的に成功した。

もう一人は、酪農ベンチャーをめざし、生キャラメルで成功し、ホエー豚でうりだし、経済的に成功し浮上した。

彼らは元もとタレント、本来東京や大阪のTVでなければ売れない商売だ。

宮崎と北海道という地方で堂々とメジャーな活動をし、売りだした。

田中さんがもっとも尊敬するのは、北海道の歌手松山千春さんだそうだ。

東京のTVに一切出ず、地方(北海道)でメジャーな地位を確立し、成功した。

二人は最近 生キャラメルとマンゴで」コラボ商品を作ったそうだ。

やはり強い絆で結ばれている。

若いときの二人の悪遊びが、彼らの絆の原点なのだろう、。

彼らのアイデアの源なのだろう。

若い人は彼らの工夫のすごさを学んで欲しい。

話題になっている表の華やかな部分でなく。

そこにいたる努力や数々の工夫を。

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2009年4月29日 (水)

最高裁が教育現場の体罰に正しい判断

昨日、最高裁判所 近藤崇晴裁判長が教育問題にすばらしい裁定をだした。

7年前、小学校2年の男の子が先生のお尻をけって逃げた・

.先生は この子を捕まえ、2分ぐらい生徒を壁に押しつけ、こらもうするなよ”と叱ったらしい。

この子が、家に帰って夜、泣き叫び、PTSDの症状をしめしたとして、先生のしかり方が行き過ぎと、母親が訴えた。

教育現場で、禁止している体罰に当たるとして、損害賠償を求めていたらしい。

1審、2審は先生が、有罪で天草市に多額の罰金の支払いが命じられていた。

最高裁が、この1審、2審を覆し、この先生の行為は、通常の教育的指導の範囲であり、問題ないとの判断をしめしたもの。

先生の尻をけって逃げて、胸を捕まえて壁に押しつけて、もうやるなよ、。。。そんなのでは子供には効かない、私ならケツをぶん殴ってしかる。

欧米では社会に迷惑かけた子には 他人のオヤであっても、お尻をたたいてしかる。

子供を預け、その子が悪い事をしても、叱っていけないのなら、先生はつらい。

オヤが自分の子供の事ばかりでなく、国の教育、先生の立場^をかんがえるべきである。

子供を学校に預けたら、誰が見てもおかしいと思える体罰以外は、教育の現場に任せるべきだ。

最高裁はさすが、。。。1,2審のままでは、先生は怖くて生徒をしかれない。

私は村一番のいたずら小僧、ガキ大将であった。

学校で先生に殴られない日などなかった。

5年生ですでに、学校中で一番威張っていた、そして毎日いたずらをし大人を困らせた。

朝、小学校に行けば、学校中の先生が、今日は何もするなよ..とにらんでいた。

殴られ方は半端ではなかった、鉛筆の芯でおでこをぐりぐりされた事もある。

しかし先生を恨んだことなどなかった、自分が悪いことをやっている事は十分承知していた。

今では、叱ってくれた先生に感謝している。

子供だから、殴っても叱らなければ、悪い事か、良いことか判断つかなくなる。

叱られて、叱られて悪いと言うことがわかるのだ。

もし叱られなければ、怖い大人に育ってしまう。

先生、殴られ、叱られるからワルイと知るのだ、しかしいたずらをやめるわけではない。

子供の時のわるさを自分で反省し、直してゆくのは、中学2年生位からだ、自分で直すのが成長なのだ。

此も、十分叱ってもらっているからこそできるのだ。

母と父がしっかりしていれば、先生がいくら叱っても、なんの悪影響もない、私が証明する。

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2009年4月28日 (火)

WBC 紫綬褒章おめでとう

原さん含めたSAMURAIジャパンの紫綬褒章おめでとう。

イチロ-も松坂も自分の選手生命掛けて故障までするような努力をしてWBCを戦った。

滅私奉公のSAMURAI精神だ。

長い間消防活動など社会的な活動で貢献しての黄綬褒章や藍綬褒章も価値はあるが、

紫綬褒賞は芸術、技術 スポーツなど、圧倒的に数が少なく、その価値は高い。

WBC活躍組が元気なのもいい。

何となく中日の落合人気が高まらない、国民の反感を買ってしまったのは間違いないようだ。

平成11年、2月か3月頃か?近所からコボシさん何かあった?

警察が事情聞き回っているようだよ。 

何も悪いことはしていない。

ゴルフで我慢できず立ち小便位したかもしれない。

4月になって紫綬褒章授与の話が決まったと聞かされた。

しかし、サラリーマンにはこの褒章は少しつらいかもしれない。

褒賞リボンと、まんじゅう2つがついた。

親戚に小さく切って配ったが大変だった。

周りからは、相当な報奨金がもらえるだろうと思われる。

いろんな寄付がくる。

実はおかねではなく、たいへん大きな名誉に価値がアルのだ。

豊明殿で天皇陛下からお言葉がもらえる。

そんな経験だけでもなかなかできない。

大きな祝賀パーテイをいくつか皆さんにしていただいた。

有り難い事、あり得ない事であった。

天皇陛下がそばに来られるとき、血の気がさーと引くような神々しい空気が確かに流れる。

私は教祖様がご苦労だったといいながら天皇陛下の後ろにおられるように感じてしまったのだ。

とにかく若い方々、おめでとう。

安いモノだから、沢山のよい事とした人、がんばった人にあげればいい。

大切にこの名誉を誇りに持ち続けて欲しい。

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2009年4月27日 (月)

不思議なおかげ話

昨日、ある横浜の教会の大祭に参拝させていただくために、自宅の近くの相原駅から電車に乗った、日曜にしては少し混んでおり,移動しながら、席を捜していると一つ空いている。

今日は,大祭後教話をするよう頼まれていたので、4,50分きちんと時間内に終わるよう、整理しておきたいなと思っていたから、やれやれと座ったとたん。

オヤ、コボシさんじゃないかと、隣のハンチングの男が声を掛けてきた。

一瞬此は残念、誰か,知った人では準備はできんな、と思って顔を見ると。。。

なんと藤さんではないか、奥さんもにこにこしている。

竹ちゃん元気・?

いつもの彼の口癖だ。

彼は私の女房とも気が合うのだ。

入社当時、若い下積み時代に、3年ほど遅れて研究室に入社してきた最愛の友。

おそらく私が出会った仲間の中でも、最高に信頼おける男、仁徳の友だ。

明るく、気っぷが良くて、およそ我情、我欲がない、一生の友、奥さんも昔の職場の仲間、。

徒弟制度のような研究室で一緒に苦労した6人ほどの仲間が づっと夫婦で集い定期的に逢ってきたのだが,皆定年で,少し疎遠になっていた。

藤さんは,私と同じ19年生まれ、年が同じだから余計気が合う。

上智大を中退して会社に入ってきたのだが、結婚し、少したって、会社を辞め、その後ある書店を経て澤ノ井という酒造会社の料亭のマスターに収まり、長くつとめあげ定年後は,奥さんと山歩きや,旅行などを楽しんでいる。

私が仕事をしていなければ,おそらく夫婦であちこち一緒に遊っでいるはず。

いつも逢いたいと思いながら会えないでいた。

本当に会いたいやつにこんな偶然に会えるか?1時間たっぷり会話を楽しんだ。

港南台にお見舞いだそうだ。最近定年になった戸塚のA氏夫婦と 定年後仙台に定住してしまったK氏を招いて、是非近々またやろうと約束し横浜駅で別れた。

昨日は孫が来てしまい、準備ができず。

今日は朝早くから、ソフトボールの審判の当番であったが、雨でグランド状態が悪く、此は準備できるかと思ったが、

家にかえって来たら6時半だというのに、孫達がおきていた、結局,芝生で一緒に遊んでしまった。

準備などより、神様はすばらしいプレゼントをしてくれた。

今日の教話はそれこそ、入社当時に、この藤さんやA氏やK氏、T氏など、仲間達と苦労しながら、中でもリーダー的な私が病気になってしまい、入院し、落ち込み

どん底から這い出そうと、一生懸命悩み苦しみ、最後は教祖様の言葉をKJ法で読み解くに至り、救いの言葉を得ることになる。

そのお言葉は”生かされている、おかげのお礼には人を助けよ”、”神を信じて人を助けよ”という事であった。

それがもっとも大事な生活態度だと知ったのだった。

それ以来、”会社では人を立てれば蔵が建つ”が私の口癖であった。

自分の願いより,人の幸せを,祈り、困った人を助ければ、自分の事は神様が良いようにしてくれる、それが人間として最高の幸せの道だというのが教えの根幹だった。、

なんと今まで神様には、自分の願いを聞いてもらい、おかげを戴くのが信心だと思っていた、ありがとうとか感謝の気持ちを持てばいいのかと思っていた。

確かに、それなら、そこらにある、御利益信心とかわらない、化学者としては信じなかったかもしれない。

両親の親の代から3代目としては、ありがたい本物の神様だった。

人を助ける事が、人間が基本的にやらなければならないこと、天地のあらゆるものが助け逢って運行している、その道理の通り生きよという、此はいい教えだった。

この瞬間から、私の基本は変わってしまい、病気もその瞬間から直ってしまった。

古い徒弟制度の研究室をみんなが生き生き、思い切り力を出せ、日々成長できる,夢のような職場にしようと、それが人を助ける道と決めたのだった。

まずじっくり自分の力を付け、研究室の実力をつけ、実現しようと準備を始めたのです

実現するまで約8年くらい掛かった事になるが、

そんな話を準備しようと座ったら、藤さんがいる?なぜ?

遺伝子の権威 村上和雄 筑波大の名誉 教授の話ではないが、本当に神様がいる。

自分の事より 人が助かる研究室作りをやると決め、一生掛かってもいい、と始めた事が、最終的には、みんなが生き生きと成長し、組織はどんどん大きくなり、最後は私もとんでもない出世をしてしまい、紫綬褒章までもらうことになる。

考えられないことだった。やろうと思ってできる事,ではなかった。

そんな,おかげ話が今日の教話なのだが、

,もう準備はいらない,完全にリアルに思い出せる,、藤さんのおかげだ。

そして、教会の近くで道に迷っていると、

今度はなんと、遠くから、こういう話をさせるきっかけを作った元スッチーの大塚嬢が歩いてくる。信徒会連合会の偉い役員さんだ。

なぜこうも神様は私の味方をしてくれるのか?

此を不思議と言ってはいけないのだが。

そして教話講師として玉串を奉じるとき、教祖様がそこに来ているような気がしてしまい感極まった。

なぜか涙が” 鬼にふさわしくないが、出てきてしまうのだ。

死ぬほどの苦労なら何でもできると高い目標を掲げ、みんなと苦労し、成長し、よくがんばってくれた、みんなを思い出すと、ありがとうと思うと、

結婚しとっくにやめたはずの女性達まで、沢山の人が定年の祝いに駆けつけてくれ、胴上げされたことなど、なぜか見えてしまうのだ。

苦労させたみんなに感謝しながら、そんなおかげ話を、させていただいた。

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2009年4月26日 (日)

孫の成長

ジイジ-!! 誕生日おめでとう と大きな声で騒ぎながら孫が入ってきた。

娘達が孫を連れて、皆集まり 祝ってくれる、素直にうれしい。

次女の家は鎌倉だが,距離は近いが車では2,3時間かかってしまいなかなか大変だ。

小学校へあがった長女、幼稚園年中組の長男、2歳の次男みなとても元気で素直だ。

次男は6ヶ月くらいで破水してしまい早産でうまれ、NICUで育ったから、とても心配し、神奈川の教会へも退院後の娘をお連れし、神様へ毎朝毎晩一生懸命お祈りし、五体満足な成長を祈った。

おかげで今では喘息も見られず元気そのもの、一番のいたずら小僧でかわいい。

私の家に来ると,神様へのお礼をまずさせる、ちょこんと座って手を合わせ,ありがとうございました、もごもご何度も何度もやる。

両親や祖父母が代わってお祈りしたり、御礼したりする人がいるが、やはり本人がその気にならなければいけないと思うから、常に自らお礼をするくせをつけさせている。

お姉ちゃんもお兄ちゃんも弟の無事成長のお礼を神様に言いながら手を合わせている。

先生がいない教会ではあるが,私が掃除に行くとき、孫達が帰省していれば教会に連れてゆき神様へお礼をさせる。

見えないものを見えるようにする,常識を破って,非常識なことを完成させるのが科学者であるが、私は研究者として40年化学をやってきたが、やればやるほど、見えないものを信じる事ができるようになる。

ほとんどの発明は偶然のひらめきであり、神様の加護を感じざるをえない。自分の努力で何でもできるなどと言う輩は、絶対に信じられない。

筑波大学名誉教授 村上和雄先生は遺伝子学者であるが、遺伝子の働きを調べれば調べるほど,神様の存在を確信すると言う 彼は神とは言わずサムシンググレートと表現し、遺伝子に見習い人を助けるおかげ、効用を説いている。

私とよく似た,金光教の教えにちかい、感謝の気持ち、人としての道義の大切さを説いている。

彼に言わせると

どんなに科学が発達しても大腸菌やカビ菌一つ人間には作れない。

材料は作れても,生命は作れない、ましてや心など作れるはずもない

宇宙が針のような小さな素粒子から始まり、その前は時間も,空間もない虚の世界。

突然ビッグバンの大爆発 

まず陽子と中性子、そして水素原子ができて宇宙が始まる。

そこまでは科学で解明できる、しかし生命がどうやってできるか,わからない。

精巧な仕組み、特に人間の遺伝子、神様以外にあり得ないという。

ものすごい微細なところに膨大な遺伝子情報が書かれ、解明できているのはたった5%か10%、

どうやってこんな遺伝子情報が書けますか?神様しかいないという。。

たった数ミクロンの遺伝子と細胞が分裂しながら、すべての臓器に分かれて完成してゆく、

600グラム強で出産してしまっても、無事臓器が完成し、育ってくれる、ありがたい事だ。

人間が子供を産む?,とてもそんな事はできない。神様からの授かり物だ。

ヒトゲノム、ここにすべてがプログラムされている。

小さな精子と卵子から何億倍にも育ってゆく,その比率は宇宙に等しい。

しかもその間、爬虫類から、魚類など、あらゆる38億年の進化の過程を38週間で胎内ではぐくみ、うまれ出る。

そんな神秘の途中で放り出されても、無事育ってくれた。

神様に本当に感謝する。

神様へのお礼しかないありがたいことである。

その孫達が女房とお祝いの餅つきを台所でやっている。

うれしそうにバアバと大騒ぎ、それこそはしゃぎ声が沸き立つようだ。

餅取り粉をダイニングいっぱいに飛ばしながら。

雪だ、雪だとキュキュ・キュキュと音を出させながら、ズボンも顔も真っ白,床などとても歩けない。

みんな素直で,明るく、とても良い。

あとはどんなことにも負けない,くじけない、強い心を学ばせたい。

正しい心を植え付けたい。

此には論語や菜根譚を覚えさせるのが良さそうだが。問題は手立てだ。

正しく強く生きる心を作ってくれるはず。

小さいうちから話して聴かせたいがどうやったら,これを好きにさせられるか,漫画があればいいのだが。ただいま考え中である。

子供の教育はとても大切な事で、神様へのお手伝いの一つでもある

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2009年4月24日 (金)

草彅君がんばれ、そんな時もある, 再起を期待する,

2日ほど留守をし、ニュースをみていなかった。

,かえって来たら、とんでもないニュース。

大酒飲んで、一人で夜の公園で裸になって大騒ぎ

逮捕と自宅捜索、35時間たって先ほど釈放とか、

論語を読んでいても,例え教養があったとしても、昔の武士の若者など、大酒飲めば羽目を外し、裸で大騒ぎした、などの記載や日記は山ほどある。

高杉晋作などもこのタイプである。

私でも若いとき、,野球部の宴会などでは、大酒飲んで、みんなで裸で踊った経験など山ほどある。昔ならそう珍しいことではなかった。

教養とは関係ない。

酒を飲み、大騒ぎし,たまには裸になってさわぎたくなる気持ちはよくわかる。

有名人ならストレスも並大抵ではないはず、有能な若者をこんな事でつぶしてはいけない。

たけし群団など裸など当たり前の騒ぎだ。それでも、たけしは世界の芸術家だ、東国原知事など,若いときはこんなものではない。

橋本知事でさえ,私でも何度もあると言っている。

人間の大きさのような気がする

大麻や暴力事件とは質が違う、何で家宅捜索なのか・?裸くらいで家宅捜索されてはたまらない。

先日のTV番組では アマゾンの原住民部族の生活実態を放送していたが、みんな真っ裸であった。

フランスやドイツの公園では夏に日が出ると公園で上半身裸になって陽に体を干している女性の一団もいっぱいいる。

海岸にヌーデストクラブの一団が真っ裸で楽しそうに遊んでいる光景も珍しくはない。

若者の酔っぱらいの典型的な姿でもある、裸になって騒いでみたいというものだ。

まして、誰もいない公園で一人で裸になって,騒いでいたって、せいぜい注意程度でいいではないか。

なにも女性の前に露出した変質的なものでもない。

昨日泊まった旅館の壁に掛けてあったのが

福沢諭吉の 心訓、

一、世の中で一番楽しく立派な事は,一生涯を貫く仕事を持つこと
一、世の中で一番惨めな事は、人間としての教養がないこと
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事がないこと
一、世の中で一番見にくい事は、他人の仕事をうらやむこと
一、世の中で一番美しい事は、すべてのものに愛情を持つこと
一、世の中で一番悲しい事は、嘘をつくこと。。。です

心訓から見ても、草彅君が恥ずべきものは何もない。

教養がないのとは違う

何か,誰かに迷惑掛けたか? 夜中の3時によっぱらって,大騒ぎ、すこしうるさかったかもしれないが、通りかかった誰か一人だ。誰も通らない公園の中だ。

誰かの通報でお巡りさんは見たかもしれないが。

少なくとも彼は人間の道には外れていない。

もっともっと人間として恥ずかしい破廉恥なやつがいっぱいいる。

草彅君、がんばれ、

きちんと反省し、一定期間謹慎したら,是非、また活躍して欲しい。

彼を最低の人間といった国会議員の方が最低の人間かもしれない。

彼の人生や若者の将来性を心配するより、地デジの宣伝への悪影響?を心配する人間が彼より上とは思わない。

応援する。

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2009年4月18日 (土)

日本の自殺者事情

100年に一度の大恐慌、景気は最悪で、まだまだこれから底がくる。

アル方から人事評価システムの紹介を頼まれたが、該当企業は皆予算カットで青息吐息それどころではないようだ。

甥の就職の問い合わせを各所にしてみたが,今年は全く採用の予定が無いという企業が多い。

今週は2日東京の電車は何本も止まっていた。

皆自殺による影響だ。

各線1人づつ、5か6線くらい止まっていたからその数だけ、飛び込んだことになる

自殺者は景気と相関がアルらしい。

バブルがはじけてから一挙に増え、32,000人程度で安定し、10年以上続いていることになる。

人口10万人にたいしては23人程度で世界のトップ、同じような数の国はロシアと東ヨーロッパの数カ国だ。

欧米はおよそ半分の11人程度。

多くの国は7,8人、自殺者が全くいない国は中近東の各国。

イスラム社会だ、ジハードでは平然と死ぬが、神の意志に反する自殺はしないようだ。

なぜ日本人にこんなに自殺者が多いのかわからない。

武士道か?そうではない、責任感が無く、淡泊で、根性がないだけだ。心の病は気が弱いだけ。

70%が男性、女性は少ない。

やはり女性は偉い、心では悩まない命は無駄にしない、尊敬する。

経済もあるが、やはり健康問題,、心のやまいのようだ。

30歳くらいから急に増え55歳くらいがピークとなる。

ある会で,IT関連企業の社長の多くが問題提起していた。

ソフト開発者の鬱の増加だと皆さんがいう。

ソフト屋さんは、考えるよりコーデイングしてしまった方が早い、そして仕様書をきちんと書かずにすぐ実装を始める。

出来上がると大変、バグが多くて動かない、手直しがいそがれ,夜中まで毎晩帰れない、大変手間がかける。

やり直し、完成、またやり直し、そして結果は売れない、,開発の責任が重い,そして鬱になる。

生活苦は少ないようだが、お年寄りの38,000円での国民年金で、此では食えないこともあきらかだ。

やはり貧しい国なのだろうか。

自殺者数は死亡者の数だが、実際に自殺した人は、その約10倍とのことだ。

30万人が自殺を図る、大変だ。

一人でも救えたらとつくずくおもう。

どうしてそんなに死に急ぐの、いずれ必ず死ねるのに..

生きていると思うから死ねるのだ。

生きているのではない、生かされているのだ。

一人では今日の米さえ作れない、人や天地に生かされているのだ。

だから自分も誰かを生かしている。

だから、人のために生きよう。

だから、あなたを必要としている人もいる。

自分のためなら死んでもいいが、

あなたが死んだら10人が生きられないかもしれない。

心の病なら人のために生きれば、きっと直る。

人のために生きることだ。

どうしても助かって欲しい、

3年たったら、絶対に笑える時がくる。

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2009年4月17日 (金)

日経産業新 ホットアルバムコム 神戸で写真を守る3重保管サービス開始

昨日の日経産業新聞にホットアルバムコム 神戸の写真材料商組合と提携し写真の3重保管サービス開始という題で記事が掲載された。

神戸の 長田地区はあの阪神淡路大震災の火災で、大切な思い出である写真を焼いてしまいました。

思い出でをなくしてしまった皆さんの悲しみ、痛いほどよくわかります。

なくしてみて、始めて写真の大切さがわかるのです、とみなさん言われます。

小さい時の学校写真アルバムなどは、地域一帯で消失してしまっても、遠くに引っ越し、震災を免れたお友達からアルバムをお借りし、コピーしたりして回復したようですが、

個人的な家族写真などは二度と戻らず、思い出の一瞬を切り取った数々の写真の大切さを身をもって体験された地域でもあります。

そんなことから、兵庫県立大学の佐竹隆幸教授が地域経済団体を中心に阪神淡路大震災を経験した地域の写真を何とか守ろうと立ち上がりその実現を検討しておりました。

佐竹教授は地域活性化、地域経済の研究でよく、知られた先生ですが、神戸市や尼崎市とも連係しながら、神戸の写真店三晃カメラの太田社長を中心とした神戸写真店材料商組合と産学連係し、ホットアルバムを使った写真を真に100年残せる、店頭からの3重保管サービスの実現を検討しています。

内容は写真店でプリントもしくはホットアルバムにCDやDVDにバックアップする書き込みサービスを注文した場合、そのサムネール画像をNETでも連係して預かってあげるサービスです。

お客様は、家に帰れば、家のパソコンでもこの写真を自由に閲覧することができ、不幸にも写真が火災や地震で消失してしまっても、NETの写真が残るため、新たにPCにダウンロードすれば、元に戻せるというものです。

デジカメ写真はいつでも見れるからと、プリントしないまま、パソコンに簡単に保管し、そのままとなりやすく、4,5年たてば必ずハードディスクのトラブルが起こり、写真は消えてしまいます。

ホットアルバムはお店や、家庭でホットアルバムのソフトで書き込み記録保管さえしておけば、パソコンと連係して自動的にダブルで保管されており、万が一パソコンがクラッシュしても、アルバムディスクが手元に残り、ディスクをパソコンに挿せば写真は復活する仕組みを持ます。

しかし火災や津波に対しては、パソコンもアルバムも遺らないため、写真は完全に消えてしまいます。完全な100年安心のアルバムシステムとはいえない欠点がありました。

家庭でもお店でもHOTALBUMに書き込んだら、ずNETでも預ってあげ、写真を守るという仕組みなら、真に写真を守り100年安心の保管となるものです。

でも、

NETで預かれば、それだけで永久に写真は100年安心保管できるではないの?

と言う疑問が残ります。NET保管なら永久なはずです。

しかし実際には、此が一番危険です、NETは永久保管ではなく、遠くの仲間とシェアするためのものと考えたほうがよいでしょう。

なぜなら、NETでの無料保管はそれ自体が、ビジネスではなく、一般には広告など別の目的で写真をあつめているものだからです。

NET無料保管サービスは、ここ10年で120社以上が起業し、林立しましたが、90%くらいもの多くの企業がすでに撤退してしまいました。

SONYのような大手であっても、とうの昔に撤退しまったのです。

米国で成功しているflickerやsnapfish 、facebookなどでも、もしAmazonやGoogleが広告モデルを全く変えてしまったら、

またヒューレットパッカード(HP)がプリンタービジネスから撤退してしまったら、直ちに無料保管サービスから撤退してしまいます。

FUJIFILMのfotonomaであっても写真事業から撤退すれば、保管だけ残ることはないでしょう、何の保証もないのです。

無料ほど無責任で怖いものはありません。有料であってもです。

ホットアルバムのトリプル保管なら、日常もリアルなアルバムディスクとして、形あるデータアルバムが身近にある。

HDDのような見えない形では、家族であってもパスワード知っていても、勝手にパソコンに入れない、家族がさっと捜して、持ち出し、楽しめない。

プリントとHOTALBUMとパソコンとNET此が自動で行えれば無意識であっても、真の100年安心保管が可能となります。

店頭受付端末からプリントやHOTALBUM書き込みと同時に自動でアップロードできるような、端末を設計検討中です。

デジタルで、ハードディスクやメモリーカードでデータが見えず、撮るだけでプリントもせず、いつ消えても何とも思わず、薄ペラになってしまった写真文化をホットアルバムが変える時代が来る。

衰退する写真文化を必ずホッとアルバムで救うと言う信念は、じょじょにではあるが実現しつつある。

信念を確信に変えるにはまだまだ、がんばらなければ。

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2009年4月15日 (水)

疑行は名なく、疑事は功なし

昨日の随踵塾、沢山のことを学んだ。

疑行は名なく、疑事は功なしは、経営者として大事な資質を商鞅という人が秦の国の孝公という人に説いた言葉だそうだ。

大企業では会して議せず,議して決せず、決して行わず、責任を分散し、決めるにしても独断せず,決めてもやらない、決めるだけで疲れてしまうのだ。

みんなで決めたから責任は誰にもないということが普通に行われている。

経営者や国のトップは、何事も即断即決できなければ、一瞬一瞬を果断に乗り切れない。

私はほとんど即決、というかアル情報が頭に入るたび一瞬に行動を決め即実行するタイプだ、良いことは3秒で実行。悩んだことなど一切ない。

情報に対し,瞬時に採るべき対策や行動が決まるのは、KJ法の鍛錬のおかげで、その直感力には、日常現場や周辺情報、国際情勢までこまめに収集し、備えている。周辺情報がなくし、一つの情報で直感は働かない。

判断が鈍るのは損得を考えるからだ。

私は得だけで考える、徳も考えるが。

判断基準には、リスクはいれない、ほとんどかんがえない。

心の中で一瞬に考えていることは、どれだけやる価値があるか?ハイリターンかどうか。ハイリターンには世のため、お客様のためになるか,歴史や世の中を変えられるか?を、問うているような気がする。

リスクはどんなことをしてでも努力すれば排除できるから、やる価値、リターンが大きければ、万難を排してもやる。

まずやるべき問題か、価値があるか、ないかを直感的に判断する。

自分がいったん損しても、相手を立てることになるなら,徳になることなら、必ず自分が立ちゆく、必ず福となって還ってくるという信念がある。

此は天地の道理だとお道では教え、菜根譚でも説き、お釈迦様も言い、橘三朗師も言っている。

”間違いない” 此が随踵だ、人がお客が”かかと”についてくる王道だ。

現役時代たいていの場合,最初は一般には支持されなかった。

世間の水準を超えると、とかく非難の的になる。

この非難に負けない強さが必要だ、たいていは非難を受けていることを知るとそれに耐えられずじたばたする、躊躇し修正してしまうか、取り下げる。

レベルを一般や大衆に下げてどうする?それでは大きいことはできない。

志も夢も目標も高ければ、理解されない。

できない理由は、リスクはいくらでもある、考えても仕方がないことだ。

小さなリスクでもこけるやつはこける。

何のための夢か?、何のための志か?考えれば内なる敵など怖くない

みな成功すればすり寄ってくる、そんなものだ。

疑行無名 疑事無功と言う言葉、意味は深い。

また一つ新しいことを古き故事から学んだ.(随踵塾)

こういうすばらしい教育を戦後すべて捨ててしまったのだ、日本のすばらしい伝統、文化を捨てたら、何が残るのだろう。

それこそガラパゴス諸島と同じ、歴史を持たない島と同じ民族になってしまう。

私はこのとしで橘三朗師にあえて良かった。

kouiu

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2009年4月14日 (火)

伝統文化

カーナビ関係の開発をされているある社長さんとお会いし写真の文化についてお話した。

メールやデジカメ写真は、手紙やアナログ写真に比べ、まったく思い入れがないコンテンツであり、残そうとも、プリントしようとも、思わない。

どうしてだけわからないが、まったくデジカメ写真には残そうという気が起らない。

手紙は状差しに入れてあり、なんとなく便りをくれた方の思いや魂がそこに残っていそうな気がして捨てられない。

はがきでも、手紙でも、何度も何度も書きな直しはできないから、文章を考え練って書く。

だから相手の手紙も何らかの手がこんだ愛情で作られたと思いをはせ、捨てられない。

ところが、デジカメはいくら撮っても無料で、愛情など推し量っても感じられない。

どんどん考えずに撮るだけでたまる。

撮っては、HDDやメモリーカードに保管しっぱなし、大量に保管するから、絶対に見る気がしない。

そしていつしか探せなくなり、消えて行ってしまう。

それでもその写真には愛情がないから、別に困らない。

やはりストーリーにして残さなければ、hotalbumのようにリアルな形で残さなければ

愛情が分からない。

このままでは。写真文化はどんどん薄っぺらなものになっていってしまう。

文化とは何だろう、古い昔から伝えられた大切なものかもしれない。

しかし戦後、薄っぺらい教育を受け歴史や文化の重さを知らない輩には家系スラあってもなくてもいいという感じらしい。

道徳も歴史もすべて捨ててしまった教育だから。

若い方は何も教わっていないから仕方がないが、文化とは古き伝統文化の上に新しきを築くことだ。古い文化をしり、大切にしなければならない。

写真も保管し残すから時代を経て愛情が出てくる。

一人っ子同士の結婚で、もし親が死んだら、親の兄弟が死んだら、二人とも親戚は全くないことになり、ルー^ツも消える。まして子供が生まれなかったらいったいどうなるか?

しかし、両親のルーツはあるはずだし、たどれば古い親戚はいっぱい出てくる。

しかし絶対に辿らないだろう、今の方にとって親せきなど不要なのだ。

おそらく自分の家の家紋がなんだかも知らないかもしれない。

苗字がなくても、家紋は昔から家に伝えられてきた、ルーツであり、名前よりはルーツを正しく伝えているらしい。

古い写真ほど価値がある、苦労して撮った写真ほど捨てがたい、30年、50年後に思いがけない写真の価値を知る。だから写真は大切なのだ。

やはり写真文化を守らなければならない、それが私の務めだとおもう。

100年後にはいつでも誰でも100年前のたくさんの身近な歴史を写真で見れるかもしれない、きっと楽しいだろう。

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2009年4月11日 (土)

天皇陛下 金婚式

そうか、あれは昭和34年1959年4月10日だったか、

そういえば、思い出した、今日はめでたい日だからと、座敷に呼ばれ、親父が、小遣いくれた日だ。

中学3年生の春だったかな、親父が朝から、家族全員を座敷に呼び、今日はめでたい日だと言いながら、全員でおめでとうを言わされ、正月より遙かに沢山の小遣いをくれた、ちゃんと祝い袋に入っていた。

そして、その日は白黒TVで、パレードを見させられた。

当時は、天皇家の皇太子殿下ご成婚が家でも祝賀するような時代だった。

国民こぞってお祝いし、お二人の正装の写真が売りだされると、家でも購入し額に入れて飾ってあった。

お二人は夫婦の鏡のよう。

本当に優しさそうに慈しみ会う姿、夫婦相和す姿は多くの国民のあこがれでもあろう。

英国皇室などのスキャンダルまみれの姿をみれば、日本の皇室はキレイすぎるくらい、国民の手本になろうと努力されていることがよくわかり、頭が下がる思いである。

会見でも、天皇陛下が、美智子皇后を見守る優しさは、本当に男らしく、心温まるし、皇后様も陛下をたてる姿がすばらしく、本当の上品な優しさとはこういうものかとその気品の高さにも心打たれるものがある。

お二人とも心からそうされているように思え、日本の誇りでもある。

夫婦道というものがあるとすれば、このお二人そのものであろう。

前にも書いたが、皇居豊明殿で天皇陛下からお言葉をもらった時、こちらに近づかれるにつれ、やはり神様に近い感じで、ぞーっと寒気がするようなこうごうしさを感じた思いがある。

おそらく、この方は政治や一切の雑事にまみれず、後ろに一切の汚れを持たない、そして15代もさかのぼれば、皆親戚くらいの大和民族の長であるからだろう。

元は皆親戚、かなりの方が、先祖は天皇家に近い、のかもしれない、此が狭い島国の特徴でもある。

金婚式には99組の一般の幸せな、ご夫婦と一緒にお祝いされたいと、ご招待されたとか、このお気持ちもすばらしい。

これからもお元気でいつまでもご健康で、国民に仲良い姿を見せて欲しいと思います

おめでとうございます。

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2009年4月10日 (金)

”益者三友 縁尋機妙

昨日、

インフォーメイション・システム・サービスという大型コンピューターの中古機販売とサポートサービスをビジネスをしている会社のセミナーを聴く機会があり参加した。

IBMなどこの分野の大型コンピューターは3年で 1/10位の価格になるらしい、,しかもサポートも非常に高価、この企業はそういう標準システムに比べ桁違いに安い価格のユースドシステムを販売し、そのサポートも24時間365日で定評があり、大きく伸ばしている企業だ。

講演はデンバー在住のCross Cultural Business INCの臼井洋一社長による”米国のCIOがかかえる課題と対応”というビジネスのお話と、

我らが三略会の主宰、橘三朗師の”東洋の歴史とビジネス” と言う講題で企業経営の心の問題のお話

菜根譚や荘子から、人と経営の要諦を話された。

菜根譚は私が信仰する、金光教の教えに近い、我欲を捨て、和賀の心で人を助け、身を立てる道を説く。

論語や唐詩選とともに江戸から明治期まで日本の基本的な教養を形成した書物として菜根譚は幅広く読まれたらしい。

”天は永遠だが、人生は短い、この世にうまれたら、楽しくではなく、無駄に過ごさないよう気を配らなくてはならない

”しっかり自分の立場を確立し、外物に支配されず、自己を失わなければ、成功しても有頂天にならず、失敗してもくよくよしない。

”厳しいところでは一歩下がりて道を譲り、楽に通れてる場合も三分は人にゆずることだ、

”失敗は自分がおい、成功は他人にあげ、おいしいものは三分を割いて人に与える、

”終生、あらゆる場合、人に一歩譲ったとしても、それは百歩に満たない。

こんな気持ちで人に接すれば、一歩譲って、人を助ければ、もっとも安全な世渡りである。

と説いている。

なぜ、人に譲れば,こちらに運がくるのか?

なぜ人を助ければ,自分が助かるのか?、

なぜ人を救えば,蔵がたつのか?

懇親会で橘さんに聞いて見た、人間に心がある限り、道理だという。

イスラムでもキリスト教でもやはり情、は通じるらしい。

金光様は 人を救えば、救った人は神様が必ず助けてくれる、

此が宇宙の道理、原理だという。

人が喜ぶことが、自分を建て、人がいやがることが自分を沈める。

働くとは 傍を楽にすること、仕事は人様の力を助りてするもの。

本当にそう思う、あらゆる場合にひとに助けられている。

良い人と交われば、良いことがある。

信、仁、義、礼、感謝、を忘れなければ、人が助けてくれる。

人の助けを借りるほど,大きな仕事ができる。

東京都の事業評価でも資料作りでも助けられた人に助けられた。

仲間も公社の方も親身になって資料を作りアドバイスしてくれた。

三略会でも,誰かと、助けてもらえる、.私も機会があれば助けたい。

人と人は信頼が大事だ、信がなければ、今日の糧がえられたとしても,うれしくない。

一緒に働いて楽しくなければ意味もない。

益者三友という言葉を教わった。

”縁尋機妙、多逢聖因と言う言葉を教わった。

知識のある友、正直な友、剛直な友を持つべきだ、年上、年下、同年の信頼しあえる友を持つべきだ、

良い友と巡り会えば、そして信じ合えば、ドンドン運が良くなる、そしてまた良い人と巡り会える。良いことがくるくる回る ”縁尋機妙 エンジンキミョウ  なるほど良い友は良いことがまわるエンジンか。

大事なのは信頼できる、信頼しあえる友を持つこと。

自分の事だけ考える友はいらない。

”くるくる回る縁尋機妙”、会社経営は人の力が大事だと説かれていた。

そういう点ですばらしい人格者の社長さん達と巡り会え、互いに切磋し、助け合え、磨きあえる、三略会は、

橘三朗師を中心に、信、仁、義 礼を醸成する場として今時珍しい勉強できるありがたい集団でもあり、群団でもある。

感謝し、大切にしたい。

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2009年4月 9日 (木)

東京都中小企業振興公社から、HOTALBUMの事業性が評価された。

先月 25日に最終審査の事業説明のプレゼンテーションを行った、東京都中小企業振興公社の事業性評価の結果について本日発表があり、伺った。

HOTALBUMは事業の可能性あり、他者の特許について調査し、抵触侵害の恐れがないことが証明されれば、東京都中小企業振興公社の推奨事業に昇格の可能性もあるとの 報告を受け、評価証明書もいただいた。

快挙であり、名誉でもあり、大きな成果だし、とてもうれしい。

この評価、審査を通ると今後、特許の侵害調査や出願などの面倒を見てもらうことだけでなく、8千万円程度の無担保、2年返済猶予の低利融資を受ける事ができたり、マーケット開拓支援や、公的助成金支援などとても手厚い支援が受けられるすばらしい制度だ。

いずれにしろ公的な機関からHOTALBUM事業が大きな評価をいただいたことになり、ホームページや名刺、パンフなどにも記載する事ができるなど、道が大きく開けたことになる。

大企業がリストラで簡単に事業をやめ、技術も、特許も結果的には捨ててしまうことになるが、HOTALBUMは大企業が捨てた技術をうまく拾って育てた好例になろうとの都の評価も頂いた。

長い戦いであったが、やっとひとつ報われた、ありがたい限りである。

審査会では審査委員の方から厳しい質問があり、此は落選だなとほとんど諦めていたが、合格の結果に、本当にうれしい限りである。

合格報告とあわせ、HOTALBUMは簡単使い勝手に魅力があるようだ、この使い勝手の特徴に集中して、賞品戦略を展開すべきであるとの指摘も受けた。正直私もそう思っている。

100年安心保管を盛んに主張しても、安心保管の方法の選択の難しさ、永久信頼性保証なども難しい問題であり、しかも100年保管できても、ユーザーがピンと来ていないのではないか?との指摘がありもっともであるとおもった。考慮してゆきたい。 

また特許についても、他社カラの見方、興味は安心保管ではなく 使い勝手なのではないか?

ユーザーニーズをキチンと見ない限り、大企業ではないのだから、費用も続かず事業が苦しくなる可能性がある、事業性は良いが経営戦略はいろいろ相談に乗ってあげるから、ビジネスの見直しも含め一緒にやりましょうと言う提案で、誠にうれしい限りである。

東京都中小企業振興公社のこの会議の後、夕方の次の会議まで時間があったので、皇居千鳥が淵の桜を見に行ってみた。

東京は飯田橋あたりから一面桜吹雪、 千鳥が淵も、なごりの桜吹雪、見事な景色である。まるで猛吹雪、この世の景色とは思えぬようなキレイな染井吉野とベニシダれの、散り桜の競演であった。

夜は随踵塾、信, 仁、義の世界を学び、帰ったのは夜中であった。(0:10)

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2009年4月 7日 (火)

すばらしい日本の四季

我が家の庭の芝生がますます青くなり、梅が散った後にコブシが咲き、芝桜もレンゲツツジも満開となった。

水仙が咲いた後には、チューリップが咲き始め、これからはクンシランやアヤメ、など目を楽しませてくれる。

朝早く起きて庭を眺めるのが楽しみな時期となった。

町も多摩丘陵の山々とともに、すばらしい眺めだ。

一斉に桜が咲き誇り、とてもキレイな町並みだ。

桜はなんと言っても染井村の染井吉野だ、白に近いピンクがいい、うっすら透き通った桃色はなんとも清潔感がありすばらしい。

今年は2週間も我々を楽しませてくれそうだが、来週ははらはらと惜しげもなく散る姿を見せてくれるのだろう。

なんと気高い色なのかと幸せをいっぱい感じながらみている。

町には、ネコヤナギが一斉に花をつけ、山吹もキレイな黄色のコントラストを見せてくれる。

すばらしい日本の春だ、こんな美しい国は他にはあまり見たことはない。

6月にスエーデンに行ったことがある、3回目の北欧であったが、それまでは、凍えて頭が痛いような冬が多かった。

気温はちょうど今日の東京のよう、20度くらい、そして夜遅くまで日が入らない。

町の近くの山に入ると花の蜜のにおいがするほど咲誇る。どんな花だったか覚えていないが、イメージはカトレアやランのような花だった、完全に自然の花である。

野バラのようなものも咲いていた、何の花かわからぬが、甘い蜜のにおいがするのにはびっくりした。

誰も此をとろうともしない、キレイな山がそのまま、町の人の鑑賞の対象として保護されていた。それでも日本の春にはとうてい及ばない。

他にもライラックがあるとか何かの花が有名な町もなくはないが、日本の春、この時期一斉に花を咲かせる町並みは、世界のどこでも見たことがない。

日本の外に出ないとわからない訳ではないが、今週から来週はしみじみとキレイな町や山をみて日本の春を実感したい。

おそらくもう終わったであろうが京都の桜はもっとすばらしかったことであろう。

昨年は、家の近くの桜、皇居千鳥ヶ淵の桜、東北の秋田角館、5月は弘前城まで桜を追いかけ、それこそ日本一の満開の散り始めを楽しみ、そのまま奥入瀬の春をみながら、八甲田の雪に踏み込む日本の春を縦断して楽しんだ。

それこそ、もう死んでもいいというほど春を堪能した。

今年もどこまでも北に春を追いかけて行きたいほどの気持ちであるが何となく時間がとれそうもない。

忙しいとは心が滅びると書くのだそうだ、すばらしい日本の四季 を楽しむには心が滅んではいられない気をつけよう。

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2009年4月 3日 (金)

病気が元で大きな成長をいただく。

12月にある教会でお話した内容の原稿を頼まれていたのを思いだし、書き始めました

その概要を書いておきます

私が31歳の頃だったとおもうが、会社の仕事上のことで心を悩み、自律神経失調症に倒れ、入院し、退院しても、不安で会社に出勤できなくなりました。

生まれながらの金光教の信者の子供でしたから、教会にも一生懸命お参りしましたが病気は治らず、出社できない焦りから、不安は募るばかりで、どんどん落ち込み、自殺まで考えるような情けない日々を過ごしていた時期がありました。

毎日、子供達と踊って笑う練習までしておりました

教祖様の教え、“一心に願え、おかげは和賀心にあり“という天地書き付けを信じて、何とか、和賀心になりさえすればおかげが頂けるかもと、それこそ一生懸命お願いをしておりました。

和賀心にあり、といえば、教祖のお言葉を書いた日めくりから、当時、何事にもありがとうと感謝がいえるような心になることだなと思っておりましたから、病気になって、何事にもありがとうとか、感謝する心を強く持つよう、一生懸命努力しておりました。

教会へ参ってお取次も頂いておりました。しかしいっこうによくなる気配はなく、このまま仕事ができなかったら、どうしようと、どんどん不安が募ってゆきました。

ある夜も、和賀心ってなんなのだろうと、じっと天地書き付けを眺めていたのですが、

突然、そういえばKJ法があった。俺は仕事では、KJ法の達人と言われていたんだっけ、そうだKJ法なら、教祖様のご理解の心の中まで読み解けるはず、和賀心の意味がわかるかもしれない、いやわかるはずだ、やってみようと思いました。

明日から早速やッてみようと心に決め、久しぶりにゆっくり寝られたのを覚えております。

次の日から、ご理解180位をカードに一つづつ書き取って、似たようなご理解を34つ集めては、それを一つ一つの新しいご理解の心としてまとめていったのです、実はご理解の深い意味や教祖様の心の奥を、考えないとまとまらないのです。

そうして、小分類、中分類、大分類とまとめてゆくと、最後に、すべてのご理解の奥にある心、教祖様が本当に言いたかった一言が浮かび上がるはずなのです.


このカードのまとめに2週間くらい毎日一心不乱でおこないました。

最後に、すべてのご理解をまとめた、言葉は、それはそれは、私にとっては、全く予想しなかった、感動的なことばでした。

“すべての、天地のおかげを知ったら、お礼には人を助けよ、おまえのことは神が良いようにしてやる。

という、言葉が出てまいりました。

まさしく神様と同じ、人を助ける心、になれよ、そして人を助けよ、というものでした。此にはびっくりし、本当に感動いたしました。

ものすごく金光教らしくて、納得できるものでした。

教祖様も、多くの直信、先覚先師達も、私の教会、津久井教会の初代田谷八重先生も、皆人を助けずにはおかないという一心でおかげを戴いたら、皆、人を助けることに邁進し、このお道を世界中に広げていったのでした。

信心の先輩達は皆ありがとうだけではなく、人を助けることを、当然のこととして頑張ってきたのだから、感謝だけで、自分が助かればいいという、ご利益信心では金光教とは言えないなと、このKJ法の結果には全く納得ができました。

それではどう人を助けるかだったのですが、毎日KJ法で、ご理解を読み解いているうちに、自分は何という狭い了見だったのだろう、苦しいのはおまえだけではないという教祖様の声が聞こえてきた気がしたのです。

結局、上司なんかいなければいい、極端なことをいえば、交通事故かなんかで死んでしまえば、こんなに苦しまなくていいのに、。。。というようなわがままな、苦しみであったのか情けなくなりました。

自由になることが助かると言う意味でしかなかったのかと、情けない自分に呆れたものでしたから、そうではないときっぱりそういう自分と決別できていました。

自分だけがこの古い保守的な徒弟制度の研究室で苦しんでいるのではない、みんなも、これから入る若い人も、苦しむのだから、自分だけたすかっても、自分だけ自由になっても、本当の助かりではない、

研究室のみんなを救わなければ、幸せとは、自分の周りのみんなが

幸せになって初めて自分も幸せになれるのだということが、よくわかってきましたから

   同じ研究室の若者も助けよう、この古い仕組みを変えなければ、自分が命をカケテも、上司に認 

   められる自分になって、実力をつけて、任される自分になって、正々堂々と、此れを換えなけ 

  れば、結局何も解決しないと言うことがわかったしまったのでした。

目から鱗が取れるように、そうだこれから会社に入ってくる若い人や、今いる同僚が救われるような、夢の研究室を自分が先頭に立って作ろうと決心していたのです。

すばらしい夢の研究室をつくろう、それをどうやって、作るか、上司をどう説得するか、長い道のりになるだろうが、.絶対やり遂げるぞ、此が私の信心なのだと決心しておりました。

それだけで、苑日から病気のことはすっかり忘れて、神様が見方のような顔をして、意気揚々と会社に出勤し始めていました。

そして実際も、そういう研究室を作りました、フラットで自主的に管理せず、みんなが助け合い、集団で発想する、集団天才組織と私が呼んでいた研究室が10年くらい掛かって出来上がりました。

その結果は、とんでもないお影をいただく、ことになります。

もらおうと思っても、もらえないような紫綬褒章をこの研究室の成果として私が

いただくことになってしまうのです。

皇居の豊明殿で天皇陛下が私に近づき、お言葉をいただいた時、教祖様にお会いしたような、ぞっとするほど神聖な気持ちになりました。

それまで天ちゃんとか呼んでいた方が、近づいたとき確かに教祖様がいたような神々しい

空気が流れたのでした。

おかげは和賀心にあり、人を助ける心、にあり、は本当のことだったのです

此は真実であり、宇宙の原理でもあります

相手を、相手を、とどこまでも相手を建てれば、自分が浮き上がります

自分が自分がとあがけば、自分が沈んでゆきます

それ以来、会社での私の口癖は、人を立てれば蔵が建つとなりました。

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