« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月29日 (月)

暑さ寒さも彼岸まで

めっきり涼しくなっってしまった。今日は11月の気温とか、昨日の早朝6時からのソフトボールは寒いくらいであった。

先週は30度以上あったから、夏から一気に寒くなり、年寄りにはついていけない。

昔の人は本当にうまいことをいう。”暑さ寒さも彼岸まで”とは毎年思うのだが、本当だ。彼岸が過ぎれば、ガラッと気温が変わる。

天地は生きている、そしてその仕組みは精巧そのものだ。

この地球の温度が微妙に変わっても大変な気候変動が起こり、天変地異となる。温暖化なら、1,2度でも、海に沈む地域が沢山出てしまい悲惨なことになる。

まだ平均的には0.2度程度しかあがっておらず始まったばかりだから、これからが大変なことになる。

この宇宙に地球があるのが不思議なくらいで、何百万という生物、植物が命の営みを続け、進化している、これだけ沢山星があるのに、ほかの星にはまったく生物は見られない。

其の中に唯一言葉を持つ人間という変わった生物がいる、神様が創った、まさに奇跡のような生物なのかも知れない。

しかも地球に圧倒的に熱を伝え難い、水という物質があった、水蒸気があった、空気があった、生物がうまれた奇跡の原因でもあるという。

水はきわめて比熱の大きい(4以上で他の物質は1以下)特殊な物質だ。そのおかげで、地球の温度が平均気温24,5度の状態に保たれる。もし水がなければ、暑さ寒さも、どころではない、昼間は何百度、夜はマイナス何百度にもなってしまうかもしれない。

きわめて精巧な宇宙のバランスでできている。崩してはならないが、地球のあらゆるものは、勿論だが、宇宙も、熱力学第二法則に従いエントロピーが増大し続け、限りなく無秩序に向かって膨張し続けている、これも事実だ。

この膨張とエントロピーが増大し続けていることをずっと元にたどってみると、元はエントロピーゼロだったことがある。それが137億年前のビックバンの直前であろう。

エントロピーがゼロの素粒子の雲だったといわれる、ガス状の宇宙の元である。

このビックバンにより、宇宙のあらゆる熱機関が動き出したことになるが、宇宙のすべての星や地球の生物、植物、人間など精巧な仕組みがどうしてできあがるのかは、わからない。

しかし、どういう法則で成り立ち、其の大本はビックバンによって始まったことまで、ニュートンやガリレオ、アインシュタインらの法則や近代物理学によって予測されているから間違いは無いようだ。

人間が解明していない唯一のことは、ビックバンの直前はどうだったか?どうしてビックバンが起こり、精巧な仕組みが創造されたか?ということ。

どう考えても、素粒子の雲から、何億光年もの広がりをもつ宇宙やその精巧な運航法則が出来上がるとは、人間の知恵では考えられないようだ。.

この空間と時間というものもなぜ、生まれたかなど、とても想像できない。

やはり神様以外に、ビックバンをおこして天地を創れるものは、ありえないようだ。

この精巧な暑さ、寒さの仕組みも、素晴らしい天地の神様の恵みなのだとおもうと、宇宙から見たら、わずかな気温の変化ではあるが、またこれからくる冬の厳しい寒さもありがたいことなのであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月28日 (日)

三略会

橘三郎という企業の志魂〔こころ〕を産経新聞に書いている男が主宰している私塾、が三略会だ。

中小ベンチャーの経営者で、かつ現役社長だけが、出席できる.

私は、コニカ時代を通じて人脈は豊富だったが、この会はまた格別面白いメンバーがそろっており、長く出席してみたい。

月一回開かれるのだが、来月招かれるか?招かれないか?は、彼の胸先三寸にあり、成績次第のようだから予定はできない。

まだ私は2回目で詳細はわからないが、会では、テーマが突然出され、出されたお題について、いかに起承転結、うまく纏めるか、経営者として、参加者の心を打つ話ができるかどうかの力量が問われる。

今月のテーマは、”同じ年に生まれた尊敬する有名人”だが、同い年の有名人に誰がいるかなど興味も無かったから、まったく思い浮かばない。

正直あせった、そうそうたるメンバーが80人も聞いている、橘氏にいわせれば、同年生まれの有名人ひとつ知らないようなやつは論外、何事にも興味を持たないやつは経営者として失格。との前置きだから、何とか思い出さなければならない。

幸い、柴田勲が思い浮かんだ。彼は高卒ルーキーで13連勝の華々しいデビューをしたので偶然思い出せた。

しかし記憶はあってもいい話はできないので、お話は中学時代の親友で、パイオニアでDVD-RWを開発し、松下にCD-RAMがあればRWなどいらないと大反対されたにもかかわらず、苦労しながらデファクトをやり遂げた男で、相澤宏紀という。彼も業界人だが世界の有名人だ。

彼とは今でも仕事で付き合いがあり、カラオケにも一緒する仲だが、もう一人ソニ-の井橋孝夫がいる。

彼もコンパクトデイスクCDの開発者で、やはりデファクトをやった男今はビフレステック社で活躍し、お付き合いがある。

2人とも12cmの光ディスクのデファクト化を仕上げ、業界団体の議長や会長として今でも活躍している。

進化で何でも生まれてはどんどん消滅していく中で、25年たっても消えない、稀有な規格をデファクトにし、お客の便利さを長く保っていることは、賞賛されるべきで、尊敬している2人だ。

私も彼らを見習い、必ずHOTALBUMのデファクト化をやり遂げたいというお話をさせていただいた。

今回はごまかしたが、かえってから昭和19年生まれの有名人を調べてみた、結構いるものだ。

小椋佳、江守徹、黒沢年男、山本寛斎、横山やすし、竹脇無我、高橋英樹、舟木一夫、中村吉衛門、みのもんた、蟹江敬三、松平定知、久米宏、杉良太郎、椎名誠、片岡仁左衛門、釜本邦茂、中村紘子などなど、そう思ってみると、なかなか豊年のようだ、自分と同じ生まれの有名人、知らないよりは知っていた方が良い。何かの話題にはなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月26日 (金)

再開 長い間休んでしまった。

姉の死で何も書く気が興らなくなり、長いこと休んでしまった。やっと立ち直れそうだ、これからまた再開し書き始めようとおもう。

パテントフェアが来週東京ビックサイトで行われ出展するが、其のブースでナレーションを担当するコンパニオンを2人お願いした。

一人はホットアルバムの開発思想や顧客のベネフィットをプレゼンしてもらい、もう一方の方にホットアルバムの使い方を説明してもらうつもりだ。これでホットアルバムの事業パートナーを探せればと思っている。

この説明プレゼン資料をパワーポインとで創らなければならないが、今月は姉に続き、妻の母(99歳)の妹93歳が亡くなり、叔母や母の27回忌法要なども2つもあり、加えて、彼岸の親戚への仏様などへのお参りなど、まったく時間がとれず遅れていた。

遅ればせながらこの説明資料の2つと私が特別会場で講演する資料の3つを、2晩、徹夜して仕上げた。

翌日、ブース運営とコンパニオンの手配をお願いしていた展示会企画会社のI社長にお渡しすればこれで終わりとおもったらトラブルが起こってしまった。

この資料を取りにきたI社長が、プロの目で一生懸命修正してくれていたのだ。

この資料は、ショーに来た素人には少し難しい、短時間に理解するには図が細かすぎるということで、修正をしていたらしい、

ここに私が出張から帰ってきたのだが、これではまるで素人にはわからないから修正しているとのことにカチッときてしまった。

私は、それでも毎晩考え、これで良いと思った資料だ、しかもこのショーは一般のショーではない、どういう特許、技術、ビジネスモデルを持つ企業か?を投資家やビジネスパートナーや事業家のプロが来場し、真剣に検分するショーである。

まったく見解が異なることから、理由はいいから修正不要と言い渡した。そもそも、ショーの企画会社はブースをどう設営し、渡された原稿で、コンパニオンにしっかりナレーションさせればいいと。

I社長、折角親切にわかりやすく、修正して挙げていたのにという気持ちがあり、もうやりませんとおこって帰ってしまった。

まったくホットアルバムを知らないこのI社長とブース訪問者は同じ立場だから、このI社長がわかりやすく修正することは当日訪問者がわかりやすいはずで、非常に大事なことであるが、

少しは難しくても内容を理解してもらわなければという気持ちが強く、不要を言い張って怒らせてしまった。

このI社長は麻生太郎と学習院大学の同級生で、やはり名門、名家の御曹司だ、シュワルツネッカーのプロモーション担当であったこともあり、ラスベガスにはゴルフ場の中に別荘があり、もうゴルフ三昧できる男で、私の安い仕事などする男ではないのだが

彼とは20年近い長い付き合いで、仕事もゴルフも含めづっとやって来た親友でもあり、こころ許しあっている仲だから、仕事で夢中になると互いに罵倒しあったりもした。

大好きな方だ。そういう関係をまったく知らない、わが社の女子社員はびっくり仰天し、 I社長にしきりに私に代わって平謝り。彼が怒って帰ったしまった後、私はこの女子社員から散々叱られてしまった。

折角修正してくれていたI社長をおこらせ、まったく人の言うことを聴かない社長だ、面倒見れないという感じだったが、

おかげでまた其の晩も、この資料を、言うとおりに易しくわかりやすく修正し、I社長宛に宅急便で送りなおス羽目になってしまった。

I社長、コンパニオンも断って、この仕事は2度とやらないと椅子をけって出て行ったが、すぐ近くの喫茶店で、待っており電話をしてきた。

男とはいつまでも餓鬼でしょうがないもんだが、これは私が悪いので、反省はし素直に謝った。親友だからそれで終わり、後はすべて順調にというか、前より一生懸命やってくれているが、本当はこれではいけない。

ほとんど儲けは無いはずなのに、まったく申し訳ない、心から謝る。

信心しているのにこれではだめだな。親しき間にも礼儀をわきまえよう。それにしても親友はいい。私も彼には何かこころから返さなければ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月12日 (金)

日本の真の改革は?

自民党総裁選が始まった。新総裁が決まるとその後、日本の行く末を決める大きな天下分け目の関が原一大 決戦が始まる。

私の家は、親父の代から、前経済産業大臣、甘利明のお父さんの甘利正を応援し、懇意にしていた。明さんはまだソニーの社員、サラリーマンであった時代だが。

私が住む、神奈川県は新自由クラブという新党発祥の地。このとき1976年32歳だったが、新自由クラブの旗揚げに参加、相模原市支部の青年行動隊として、会社を休んで選挙戦を戦った。正氏の秘書を経て明さんが地盤を引き継ぎ、今は選挙区が変わり彼は大和市から出馬している。

選挙区が変わっても、昔からの甘利ファンで、お付き合い、大臣になっても、私の褒章受賞パーテイ-には駆けつけてくれたり、困ったときには相談にも載ってくれる。

そのため、本来私は自民党の応援者だが、残念ながら今回は負けるかも知れないと思っている。

小泉さん以外、真に日本の将来を果敢に切り開ける候補者は見当たらない、2代続けて総裁選びに失敗したが、今回の5人ならまた同じ過ちを犯す可能性も大だ。

大胆なパラダイムシフトを訴える小池さんくらいは、少し骨があるかも知れないが、それでも女性特有の狭量のところがあり気がかりだ。

麻生さん、1m範囲に入るとものすごく良い人と、マスコミが言い、若者にも人気があるので、皆持ち上げる。

しかし麻生さんはやめた方がいい。幼稚園から同級生という学習院の同級生もみな彼を嫌う

同級生や先輩、後輩にまったく人気が無い男はだめだ。

学校挙げて応援もない。学校中反対だとか、反対者が多く取りやめになったとか。

小泉さんのような頑固一徹、人と交わらない、潔癖な変人ならまだしも、麻生さんはまったく違う性格で嫌われものとのこと。

単なるボンボンだから、自民党はまたまた3度目の失敗をする。

天下りを廃止し、予算は独立行政法人廃止や行政改革で生み出す。マスコミは現実味が無い、予算を示さないというが、これ以外の手術に、日本再生の道はないと、思っているのだろう。

小泉さんがいたら郵政の次はこれだったのかもしれない。渡辺大臣が涙を流していた気持ちもわかる、この方は小池さんの応援団だ。

長い間に官僚の人事制度と天下りシステム、日本の悲劇は、ここにある。

家の近くにTVで話題の職業訓練大学がある。広大な緑に森に立派な施設だが、つくばの多くの官製基礎研究施設と同じ不要論に包まれている。

官僚も悪いと思ってやっているわけではなく、正しいことをやっていると信じて一生懸命やっているはずだ。

昔は企業がやらなかった基礎研究や学術的に必要なもの、大事な補助金制度が数多くあったかも知れない。

今は、何を作るか、本当に必要なものはなく、予算だからと使っているかも知れない。

子供を遊ばせる宇宙科学館とか、仕事館とか、大きく立派な箱物がいっぱいある。それは立派なものだ。

天下る仕組みそのものが膨大な無駄を生む、諸悪の根源と断じ、ここを切って、福祉や年金に振り向ける、具体性が無いようだが国民は期待してしまうかもしれない。

農水省は三笠フーズに96回も立ち入り調査をしていたのにまったく用を為していなかった。

おそらく相当な出張費、タクシー使っての大名行列の査察であったはずだ。査察を受ける側は何週間も前から用意周到準備し、夜は接待もあったかもしれない。ほとんど馴れ合いとしか思えない。しかも今年始まったことではないと国民はみてしまう。

残念ながら、今度ばかりは勝てないかも知れない。

勝ってもねじれで、出口は無い、ここで麻生さんなんかの主力応援団に回ってしまって、甘利さんは大丈夫かと、心配している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

頼もしく成長したもんだ。

今日、ある地方のラボ(現像所)の社長と常務がたずねてきた。ホットアルバムを学校写真のアルバムに、データディスクとして使いたいとの目的の訪問であった。

実はこの若い社長、、このラボの親会社の印刷会社の社長の息子さんで、彼がまだ20代半ばの若いとき私のコニカの研究室に教育実習という形で、半年位預かっていたことがある方で、10年ぶりくらいの再会であった。まだ30歳ちょっとであろう。

懐かしかった。

親会社の社長は私が大変お世話になり、親友的なお付き合いもさせて戴きながら、互いに切磋琢磨した仲でもあり、またコニカのお客様でもあった。

この親社長は2代目の彼を社内でどう育成するか、親として悩み心配していた。

この社長の親としての悩みを聞き、一般心理から勝手な推測だったが、社長の息子が如何に孤独か思いやってみた。おそらく、20歳少しの若い彼に社員はみんな社長の息子として接してしまうだろう。

おそらくどんな社員も心を許して対等には付き合ってくれない。特別仲が良くても、親身に付き合えば、下心があると嫉妬され、周りの社員もみな、見合ってしまい、特別腫れ物に触るような接し方をされてしまう、こころ寂しく、とてもつらい立場だろうなと思ったものだ。

何かわからないことがあっても、なかなか他の社員には聴けない。社長の息子が何も知らないのかと言われそうで怖かろう。

そこで、何のしがらみも無い、私の研究室で普通の会社の平社員として、普通の会社とはどんなところか経験してもらうことを提案し、実現したのだった。

私の部下はお客様の社長の息子さんでも遠慮や容赦はまったくしない、底抜けに明るいものばかりで、仕事にはきびっしいが楽しい若者たちが多かった。必ずいい方向と自信をつけてくれるとおもい、うちで少し預かりましょうと提案し、ソフト開発のグループで預かルことにした。

しかも、指導担当は、武居さんというもっともうるさ型の年配のソフト開発の権化みたいな特別すぐれた変人を当てた。

一切遠慮の無い指導体制をわざととってみた。

彼がもっとも経験しなければならない世界は、社長の息子という鎧を捨て、裸でぶつかれる、気兼ねのない普通の会社環境だろうと決め込んで、配置したものだったが。

思ったとおり、彼はすぐに打ち解けてくれ、私の部下も遠慮せず接してくれた、社長の2代目という意味でか、ボン、ボンと呼びすてし、会社の独身寮に入って、みんなとも打ち解けていった。

そして会社では仕事はしごかれ、研究に没頭させられたようだった。

日曜に私が出社して見ると彼は一人で難しい開発作業を黙々とやっていたりする。

負けず嫌いで、指示された開発の遅れを休みに取り戻したりしているようだった。

短い時間であったが、ソフト開発の最先端でその概略や基礎を学びデジタルに対する自信をつけたようで、ラボというデジタル写真が必要な企業で一般社員を一歩リードした自信をつかんでくれたものと思っていた。

其の自信がきっと経営にあたル時生かされるとおもっていた。

そんな思いであったが、技術的な成果はあったものの、やはり20代前半の若者、当然のことながら人間的には、まだまだなトコロもあって、それはこれからつければ良いかと思った利りたものだった。

この先社長の息子さんとして自社に帰って幹部になってしまったらどれだけ、成長できるか不安でもあった。

今日あってみたが、それは立派な社長に成長していた。年配の常務を連れ

話の進め方、まとめ方、礼儀、態度すべて十分、実践で、また彼自身、自覚して獲得しものだろうが、当時の彼の方が、つくろった尊大さを無理に出そうとしたりして、不自然でもあった。

今は、きわめて自然で、誠実さがあり、好感が持てる社長に育っていた。きっと相当努力されたのであろう。

結果的にはあの教育は良かったのだろうと手前味噌だがうれしかった。

ホットアルバムの特徴を聴き、学校アルバムの中にどういう商品として組み込むか、どういう説明をすれば売れるか、どういう価格の設定が可能か、皆適格だ。

学校アルバムにはとても良い商材になるはずだ、HOTALBUM開発ではこの方の親社長にはとてもお世話になった、恩返しが出来れば、とてもうれしい。是非使って欲しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

難しいのは人間だけ。

先週から、姉の死や

皆昔の仲間と思っていた方々のいろいろなトラブルがあり、みているだけだがやはりブルー一色だ。

元気だった姉、小田原の整体に隔週、治療に一緒に行っていたから、いつでも会えたのが突然いなくなり、やはり、さみしい。

人前ではなかなか泣けないが、ふと思い出すと泣けてくる。

盛者必滅、会者定離は世の常、姉の死に出会い、なるほど、人の一生ははかない、元気だからというわけではない、あっという間だった。

だからどんなことにも、執着せず、自己より、利他だ、世のために生きる方がはるかに意味があると改めて思った。

それが最高の人生、と思うのだが、世の中なかなか難しい。不思議なほど、意味が無い、争いが絶えない。

自己の正義を主張して何の意味があろのだろうか?

やはり、今月今日、今を最高に生きることが大事なのだが。

すべてを利他的に考え行動することが、自分をもっとも輝かせ、自分をもっとも大事にする生き方とつくづくおもう。

自分を生かすには、人を生かすことなのだが、ほんとうに自分がどんなことをされても、笑って相手のことを第一に考えられるか、自信はないが、そうありたい。

明日死ぬと思えば出来るはずなのだが?これがなかなかできない。

犬や、猫、鳥は、毎日一生懸命、イメージ記憶のいのちの命令に従って無心に生きており、何も考えずでも、其の一瞬一瞬の判断は常に正しく、精一杯生きている。

人間だけが余計なことを考え、言葉イメージで不安を作り上げ、じたばたじたばたして、土壺にはまってあがき苦しみ、挙句が、互いを傷つけあってしまう。

この程度のことは、信頼があれば、何とか修復し、最後は笑って思い出として語りあえる時節が来るかと思ったが、何とかしてあげたかったが、どうやら最悪の結末を迎えそうで憂鬱でもある。

これもお互い、人間の大きさだから仕方が無いかな?

実はいずれが正しいかなどのこたえはないのが真実、すべてが因があって果がある。

真実や、正しい正しくないは実は答えではなく、真に解決するためには、相手を許しあうことしか、ないのだが、これがなかなか出来ないから人間なのだろう。

それにしても、大殺界かもしれない、じっとみているしかない、時節を待つことにするか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 6日 (土)

パテントソリューションフェア

10月1日から3日まで東京お台場、ビックサイトにてパテントソリューションフェアが開催される。

主催は経済産業省、関東経済産業局特許企画室だ、多くの応募の中からHOTALBU,Mが選ばれ出展することになった。

しかも、口頭でプレゼンできる企業に選ばれた。たった12社しかないがHOTALBUMは選出され説明する場が与えられた。

HOTALBUMの特許を展示し、ライセンス先や資金援助、共同事業社などが探せる出会いのチャンスを作るためのショーだ。

折角の経済産業省が提供してくれる展示コマだ、このチャンスを生かしてみたい。

フェアには特許所有企業の中にどれだけ掘り出し物があるか、各関連企業が、探しに来るものと思うが、事業提携先や、ライセンス先、資金提供先などとの出会いが主目的である。

HOTALBUMは資金提供先との出会いを主目的に出展届出を行ったが、

それはひとつしか目的が選べないためであり、本来は各企業いろいろな目的を持っているはずであり、ひとつに絞る意味は無い。これも、お役所仕事のわるい点である。

写真が世代を超えて遺せない理由や、どうしたら安心して写真を遺せるか、世の中に広く、知らせなければ、ならないが、告知、宣伝にはお金がかかる。

48件の特許審査請求にも意外にお金がかかるが、広告宣伝には、もっと桁違いの資金が必要となる。

この特許フェアで理解を求め、資金提供先との出会いを得て、TV宣伝を開始したいとおもっている。

最近産経新聞の企業の志魂(こころ)や週間朝日などの取材広告、TBSの5秒CMなど(オービックの提供でお送りしました。。というやつだ)の話が毎日舞い込んでくるようになった。

ありがたいことだと思っている、認知度が上がった証拠でもある。

何とかTV宣伝で、写真を守れる方法を告知して、安心保管の方法があることを知らせたいし、また写真の楽しみ方もTVを通じ知らせたいと願っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 4日 (木)

SPOTY

今日、は経済産業省関連の独立行政法人IPAが主催する、ソフトウエア、プロダクト、オブザ、イヤー(SPOTY)の1次審査がとおり、2次審査の場に出席し、HOTALBUM の説明をしてきた、写真を守りたいと熱く思いを語ってきた。

きっと神様が良いと思われる結果が、戴けるはずだ、後は神様にお任せする。

昨日姉との永久の別れに誓ってきた、必ずこの仕事をやり遂げると、社会のために、HOTALBUMを普及させ、スキル弱者を絶対に救ってみせると決心した。

このブログ、本来は若手研究者や、起業家を目指す方のためになる話を書いて、参考になればと書き始めたものだが、私は熱心な金光教の信者だから、時々、信仰の話が出てくる。

金光教は、”人を助けよ、人が助かるよう祈れよ、自分のことは神がしてやる”というようなことが教えの中心にあり、純粋で人間を高める、教えが中心の天地金の神様だ。

今回の姉の突然の脳溢血での入院に、御神米を枕元にいれ、お神酒を口に湿して、車椅子でもいいから生還するように、命さえあれば、どんな体でもいいからと、姉の長女の一江に奇跡を起こすと誓い祈りをささげ、教会の先生にもお届けしお陰を祈った。

これは私の信仰の考え方だが、神様にお願いした以上、結果は神様にお任せする。人間の欲望のとおりになることがおかげとは思わないからそう思うようにしている。

必ず神様が良いようにしてくれる、結果はどうでも、それが御影だ、神奈川教会のお広前でもそう祈ってきた。

神様は人間の奴隷ではない、自分が願っているとおりになるなら、それは人間の欲を満たすだけで、天地の神様のお陰ではない。

神様は必ず、天地の道理にしたがって、おかげを授けてくれる。

そう思っていたが、それでも必ず生還するはず、こんな姉が助からないはずは無い、と一心に願っていた。

妻も、姉さんなら絶対心配要らない、神様が必ず戻してくれるといい続けていた。

それでも、願いむなしく、7日くらい昏睡が続いたまま、意識は戻らず、そのまま逝ってしまった。

しかし、その後の、4日間は、びっくりした。自分の目を何度も疑った。

とにかく、こんないい顔、みたことないというくらいの、血の気がかすかにあり、ピンクがかかったきれいな顔は、娘のようだった、姉は最後までそのままきれいな顔を見せてくれた。

誰もが信じられない、口々にそういう、それはそれは、不思議な生きているような顔で、若くきれいな肌だった。

天地の神は、本当のおかげをくれたようだ、思わずありがとうございますとお礼を申し上げた。

姉の長女、一江は言う、私が一生懸命、つぼを押してあげたせいよ、と・

その効果もあるかもしれない、しかし、これは人間の力では、出来ない。ありえないことにおもえる。ありがたい神様がくれたお陰であろう。

天地の仕組みと同じで、顔の様相など人知の及ぶところではない。

信ずれば信ずるほどおかげは無限にいただけるものというが、なるほど願ったとおり奇跡が起こった、深く御礼もうしあげる。

姉の人徳に負けない修行を、これからつむつもりだ。姉の話はこれでおしまい。さあ仕事をしよう、姉に誓った仕事を。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 2日 (火)

神 「人」 徳

姉の通夜、見送りの方の人数が半端ではなくびっくりした。

お焼香の間、いちいち挨拶する役を担ったが、4列で約一時間大変な、かたがたの参列であった。

だんなさんが6年前に亡くなり、家にいる、世話好きの田舎のおばさんの葬式、通常なら、親戚以外は30人か多くても100人も来れば十分な数だ。

これほど集まるかと思うほどの人、人、それも年齢が必ずしも高い方ばかりではなく、建設業社長で現役だっただんなさんのときよりはるかに多そうだ。

並みの社長でも、人数だけなら顔負けだろう、おそらくこれが彼女の人「神」徳なのだろう。

しかも純粋の人徳だ、企業の関係が集まる子供たちがあるわけでもなく、みんな自営業、本来人が集まる理由は見当たらない。

大企業を辞めた私の私では、おそらく無理だ。しかも皆、雪江さんには良くしてもらったと口々に感謝の言葉、これは神徳だ、明らかに、この姉に負けている。

私もこういう神徳を積ませていただこう。人を立て人を救わなければ、神徳は生まれない。

とにかくいろいろな方に、お見送りいただきありがたいと思った。

会社でもないのに、多くの方と真剣に豆にお付き合いしたのだろう、皆様に、深く感謝申し上げたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 1日 (月)

姉の死と神様の願い

一番上の姉(長女)が突然、脳溢血で倒れ意識不明で入院していたが、昨日12時58分亡くなった。

13歳も違うから、一番下の私には小さいときから親のようなもの、とにかく、かわいがってくれた、

村一番のいたずら坊主でガキ大将の私は、大勢の子供を引き連れ畑一面の麦の穂をきれいに抜いてしまったり、、食べられないのに畑のナスをすべて落とさせたり、野山での両軍に分けての戦ごっこが大好きだった。

こんないたずらが知れると、この姉に、世間に迷惑をかけてはいけない、根性たたきなおしてやると、背中にあざが出来るほどベルトでたたかれたり、蔵のような、真っ暗な納屋に閉じ込めれ、しかられた。

真っ正直で正義感あふれる竜馬の姉のような女であった。

世話好きで、自分のことより、困っている方など世話をするのが大好きで近所でも,雪江さん、雪江さんと慕われ、頼りにされていた情の厚い姉さんだった。

おしどりのように、いつも一緒で、大好きな旦那さんの車で、父ちゃんあっちに行って、こっちにつれてってと、仲良くあちこち出かけるのが大好きで、私の家にもよく来てくれた、

私の子供たちからも大好きなおじさんとおばさんだった。

この夫婦には私が長じてからも、結婚してからも、何かにつけて世話になり、恩人でもあった。

残念ながら、5年前に旦那さんを亡くし、閉じこもり、足や腰も悪くなり、急に歩けなくなって、老け込んでしまっていた。

茨城の姉(4女)の家に泊り込みで、カラオケにいくのを楽しみにしていたが、旦那さんが亡くなった翌年、帰りに日光へ寄ったとき東照宮への階段を這って上るほどに歩けなくなってしまった。

何とかもう一度元気になるよう、腐心していたら、友人から、小田原に養生館という整体の名医がいると聴き、遠いが、早速、連れて行くことにした。

そこは歩けない患者が這って来院しても帰りには平然と歩いて帰るという評判の医者、ここに毎週一回、車に乗せて、2時間一緒に通院することにした。

治療を開始してから、すぐ、びっくりするくらい良くなり、もう4年近く通っている、一緒に治療していただいていた私も、20年も苦しんだ腰痛が完治してしまい、最近では小田原通いも隔週の通院になっていた。

最近でも、この暑いのに野菜を作って、近所に差し上げるのを喜びにしていたし、それ以外は、特別悪いところは無いというつもりでいたので

突然でびっくりし、教会にもおまいりしてお届け、病院ではお神酒も差し上げ、何とか車椅子でもいいから奇跡を起こしたいと、意識が戻るのを一心に祈ったが、かなわなかった。

一心に生還を祈り願った.。

姉の長女やその家族には申し訳ないが、神様にお願いし、お任せした以上、

結果も神様が最高によいように計らってくれた結果だから、人間の都合でどちらが良いとか言えない。すべて神様の大きなおかげである。

残念だが、勝気で遠慮勝ちという性格から、元気になっても、大好きな畑作業が出来ないなら、父ちゃんのそばに行ったほうが良かったというのが本人の願いであり神様が聞いてくれた結果かも知れない、きっとそうだとおもう。

一人で何でも出来て、野菜つくりが出来るような、体でなくなるなら、もう十分。。。早く父ちゃんのトコロへ。。。という姉であったから。

倒れて検査の間、気持ちが悪いと吐いたりしていたが、丸一日の意識であり、後は、数日無意識で寝たまま、逝ってしまった。

まだまだ早い、77歳だったが、考えようによってはあまり苦しまず、幸せな、大往生、生者必滅、会者定離、自然に還っていった。

先週火曜日、妻の運転で小田原に行き、今週5日は私と小田原に行く予定で、元気だった姉が何も話さず、風のように突然消え呆然としたが、姉は逝ってもいい顔している。

10時間以上、もたっても少しピンクがかった顔はすやすや寝ているようだ。

この姉の突然の死、顔を見ていて、神様のいうとおりであると再確認した。

自然に生まれて、自然に死んでいくのに、途中だけわがままに生きていてはいけない。

自然に生きぬこう、天地と同じに、他人をおもいやり,他人を自分と変わらず愛せるような自分になりたい、最後まで世の役に立ちぬけたらと、感じさせていただいた。

この宇宙で、あらゆるものが自然のいとなみを、何の欲も無くこなしている、生物も植物も,鉱物も、互いに役立ちながら天地自然の摂理で生き(?)ている。

人間だけが言葉を持ち、我欲のこころで、自分だけを大事に生きている。

一方で他人のために能動的に働くことも、社会のお役にも立てる働きを特別に神様から戴いているのも人間だけだ。

この人間だけが出来る、人や社会のために働く神様の願いを、姉のようにどれだけ出来るか、覚悟を決めながら、姉への感謝の気持ちをこめて 父ちゃんの元に送り出したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »