いのちのはたらき
早朝ソフトボール、とにかく汗が出る。暑いと自然に汗が出るのはあたりまえであるが,ありがたい。
心臓や胃や腸もそうだが、”いのち”にかかわることは無意識に自律 制御され、健康に生活できるよう仕組まれている。
いのち”の行動は病気で無い限り、間違いは犯さない、人間は、言葉を持つから、”いのち”の作用以外の判断では、脳の言葉イメージが制御し、余計な考えをいれてしまい、間違いを犯す。
言葉を持たない、動物は、反射的に、”いのち”にしたがって行動するから常に瞬間に正しく判断する。
地震を予知してねずみがいなくなるなどの予知能力さえある。刷り込まれた好き、嫌いに従い瞬時にいのち”に従い、正しく動く。
言葉を持ってしまった人間にはこの”いのち"にかかわる予知、直感能力がすっかり退化してしまっている。
この言葉イメージによる、間違いを犯すか、犯さないかが、智恵といわれるもので、洞察力、直感力となってあらわれる。
もともと成人の知識や能力にはたいした差は無いがこの智恵だけは大きな差となるらしい。
動物にオバケの世界は無いが、人間にはオバケというものを作り上げる言葉イメージが、妄想というのがある。
正しくない言葉情報も含めて、記憶してしまい、意識の中で判断に使ってしまう。
自分が手で触れ、確認した、真実のデータだけを記憶していたなら、人間も動物と同じで、判断や行動は、いのちに基づくから、間違いは犯さない。
しかし実際は聞いたことや教えられたこと、法則などすべて真実として記憶してしまって、知識にとらわれ、判断する、さらに欲が入るから厄介だ、この欲がもっとも判断を狂わせ、問題をおこすことになる。
現場を知らない上司や社長が、2つの異なる提案を受け、こちらが良いと、瞬時に判断し経営を誤らないのが、洞察力、決断力だ。
だから洞察力の育成には、言葉を断った、欲を断った禅的な、東洋的教育(修行)が必要なわけで、昨日も書いたとおりだ。
旧約聖書の神、主は、最初に言葉ありきだが、
釈迦は、言葉を断った、一切空、無欲の世界に真があるとした。
ある本に洞察力とはたとえればこんなものという問題が出ている。知識レベルの高い人ほど出来ないかも知れない。
1、2、3、4、5の次の数字は6.
1、1/2、1/4、1/8、1/16の次は1/32
ならば、
1、 1、 3/4、 1/2、 5/16 のつぎは?
直感力があれば直ぐ洞察できるはずだ。コンピュータは閃かない。
曲がりくねった道をまっすぐ行け、とか、山の鐘の音を捕って来いといわれても、無理ですというのが西洋式知識であり、教育だ。
東洋的な智恵では、動物的に、いのちにしたがえば、曲がりくねった道もまっすぐ歩けるし、山の鐘の音もたやすくとって来れるようだ。
| 固定リンク


コメント