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2008年6月

2008年6月27日 (金)

事業撤退の後始末 (殿軍)

昨夜、新宿京王プラザ42階の高尾の間でコニカミノルタフォトイメージングの社長、M氏の退任送別会が主なわれ出席した。写真事業撤退を実質的に進めた方で、戦ならもっとも難しい殿軍(シンガリ)を引き受け、混乱なく撤退を完了させ、自ら勇退したようだ。

私のホットアルバムコム㈱へ特許譲渡、事業引継ぎを行ってくれたのもこのM氏であり、お世話になった方で、お祝いに駆けつけた。

まだ任期もあったはずだが、撤退を完成させたところで勇退し、外に出て新たな仕事に就くそうで、大勢のお客様や社員を傷つけ、泣かせた役割から、最後はその責任を自らとった形を示したかったようであり立派である。

役割だから、一生懸命企業のために撤退作戦を完了させたことだろうが、人には言えないつらい、人切り、企業切りがあったことだろう。本当にご苦労様でした。

私どもコンシューマー事業にかかわってきたものすべてのものに代わって最後にお客様や社員にいやなことをいわなければならない役を負わせてしまった。いやな思いをさせたことだろうとつくづく申し訳ない。そういう感謝の念で参加した送別パーテイであった。

アナログ写真の終焉とともに、写真事業は立ち行かなくなってはいたが、新たな時代に向けさっさと儲からない事業を畳みリストラをすすめる企業姿勢は、株主利益優先の経営からすれば正しいが、長い間お世話になった、お客様に対する、感謝の念からすれば間違っており、好感は持たれない。喜んでの結果ではなく、まさしく矛盾の世界での苦渋の決断であったろう。

そういう意味からも、個人的には生きている限り、最後の一人になっても写真にかかわり、お客様の写真を守って、恩返ししたい、と新たな覚悟を持たせせられた。

40年以上お世話になったお客様に対しても、大好きだったコニカのためにもこれは、投げ出せない。

それにしても集まった、現役の社内各事業に散った、コンシューマ関係者は、ほとんどが課長、部長クラスで、そうそうたるメンバーで懐かしく懇親したが、私が知っている世間のいろいろな企業の,同レベルの人間と比べても、みな大きな事業を背負ってたてる実力をもち、事業撤退を乗り越え、逆風によく育ったな。。という感じで頼もしかった。

またいつの日にか新たな大きな事業をぶちたててくれることであろうと期待し、それだけでも救いであった。

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2008年6月23日 (月)

取材を終えて

今日は賢者tvの取材があった。どこから情報をとって私の小さな会社が選ばれたのか?分からないが、突然電話があり、賢者tvを知っていますか?見たことありますか?、見たことない知らないと答えても、取材したいという。

よくよく検討してみると、結構割り安の露出手段かなと思う。動画でDVDビデオ作っても、作品つくりにはもっとはるかな出費を迫られる。

こんな取材は初めての経験ではあったが、取材されるからにはと、思い切り意思を伝えたつもりだが、カメラの前ではなかなか思うようには行かないものだ。演技なのに泣いたり、迫真の役が演じられるタレントさんはたいしたものだとつくづく思い知らされた。

BS朝日、や日経CNBCのTV放映は賢者の選択という番組で、土曜の放映のようだが、今日の取材の賢者tvというのは、動画配信のサイトのようだ。

会社の創業の意図や、社会への企業のメッセージをまとめなおし、見直して見る事は、無駄にはならない気がする。自分の生きてきた価値も会社の存在意義も改めて明確となり、写真を守るためのこの会社の存在意義を改めて認識し、お客様の写真を守ることと、,HOTALBUMの普及は絶対にあきらめないと、強く思いを新たにした1日であった。

今日も醜い飛騨牛の偽装事件の社長が言い訳がましくTVをにぎわし醜い限りである。会社は社会の公器である事を忘れず、写真とお客様、社員を大切にする会社であり続けたい。

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2008年6月20日 (金)

人生の転機 世に何を遺すか!

私の人生に大きな影響を与え、今でも忘れない書物がある。”ライフワークの見つけ方”というはハウツーものの本で、著者はジャパンマネージメントアドバイスという会社の社長の井上富雄氏である。もう80歳以上だろう。

1978年ころこの本を読み、漠然とではあったが同じような工夫をしてきた私に、明確な目標と変化を与えた。

この本に出会う前から、いろいろ工夫をするのは大好きだった。高卒入社、実験助手の私に出世の望みなど無い、入社当時は、毎日仕事が終わると仲間と遊び、スポーツに明け暮れていたが、お前は結果などみなくてよい、という上司の目を盗み、自分なりに工夫をして結果は楽しんでいたが、

それでも、あのままだったら、問題になっている秋葉原の事件の若者とおなじような挫折感をづット持ち続けたかも知れない。

なにくそと勉強し、社内制度の国内留学派遣で、都立大の工学部を出たからといって保守的な制度や状況は変わらない。職場もフィルム開発の王道チームではなくその付属の現像処理という脇役だった。

そんな中でも、幸い子どものときのガキ大将根性から、入社以来反骨精神だけは旺盛で、どんな境遇でも自分が満足できる人生、自分が納得出来る人生を自分で設計しよう。会社が、社会が、上司が、職場がどうのというのはなんとつまらない人生か?遊びも仕事も自分で設計してみよう、思い切った人生を描いてみようと決意していた。

それでも限界があり、遊びが中心だったかも知れない

スポーツでも、野球をやれば、どこならレギュラーになれるか?皆が嫌がるキャッチャーをやり、座ったままランナーをセカンドで刺す方法を定時後暗くなるまで一人訓練し、暗くなればまた職場に戻って仕事、肩が強くなったらピッチャーに、地元の野球でも1部から4部のDまである中で、1部(Aクラス)のエースを何年か維持していた、

スキーをやれば1級をとるまで徹底して工夫を続け、何回か試験には落ちたが最後はものにした、当時のSAJ1級試験はジャンプやパスカング「平地滑走」、不整地滑降など10種目以上もあり結構難しかったが工夫次第で不可能は無いという実感をもったものである。

しかしこの本に出会って、仕事も生活も一変した。サラリーマン生活で世に何を遺すか?というものだった。

井上富雄に習って、人生25年計画をたて、5年後に必要となるスキルを計画的に習得しはじめた。会社にあっても上司に仕えるのではなく、仕事に仕えようと決め、写真の歴史に名を残すような大仕事を3回やろうと夢を描き、社会に貢献したいという大きな願いをたて、具体的な目標と達成計画を立てた。

その後は、この研究室に俺が陽をあてる、輝かせると決め込み、みんなで写真化学の原書の早朝輪講会を就業時間前に行い、開発テーマをHowではなくWhatにしていった。常に誰もやったことが無く、お客様がこんなものがあったらなーというような夢の商品開発を求めたから、回りからは冒険好きでチャレンジャ-的な社内起業家のように写ったことだろう。

井上富雄は大学卒業後日本IBMに入社早々、体を壊し長期に入院仲間からハンデを背負ってのサラリーマンでありながら、この人生長期計画で40歳で常務となり、43歳で日本IBMの常務の椅子をすて、コンサルタントとして独立し、ドラッカーをめざした男だ。

彼にはとても及ばないが、それでも、小さな処理グループが研究室に昇格し、システム研究に拡大、開発センターとなり、デジタル研究にまで発展していくことが出来た。みんな、信じあいながら、仲間として家族のようなチームつくりをしながら、絆のある組織と周りからもみられていたのが何よりであったとおもう。

個人的にもこの仲間達の仕事のお蔭様で紫綬褒章まで戴くことになり、人生計画の設計はそれほど間違いではなく、改めて井上富雄さんの本とお世話になった方々に感謝申し上げたい。

参考までに、スキルなどについても目標を立て、計画的に進めた。

ひらめきが必要なら、徹底的に知識が無ければひらめかない。あらゆる分野の知識を徹底的に学び、その上で発想法、創造的な手法を取り入れた。

創造スキルにしても、東洋的な発想法の祖である川喜田二郎博士のKJ法を徹底的に勉強し、使いこなし、自分のものとしていったし、NM法の中山正和博士の工学禅など読み漁って、知識の信号系のしくみや、創造的な発想ひらめきはどういう構造からくるかなどの研究にも没頭した。

また商品開発における顧客ニーズの調査法や、一見不可能と思われる開発テーマを、いかに実現するかの開発手法や組織運営法なども工夫し内外で積極的に発表した。

英会話も重要なスキルと認識し、ゼロからどう話せるようになるか、計画した。百年も前のドイツの実験心理学者エビングハウスの言を引用し井上富雄が言うとおり、記憶は20分で急速に忘れる、反復するなら10分以内、明日では遅い。。を信じ、

テープで英会話を繰り返せるよう、短文を何回も繰り返し録音してテープを自作したり、部下の女性と毎朝会社のある駅で落ち合い、皆が通る道を避けて、その日のラジオ英会話のダイアログを覚えてきて、日本語一切禁止で2人でロールプレイしながら20分歩いて3年も続けた。

誰もが、人目を避けて狭い道を毎日迂回して会社にくる2人を見たら不倫と思ったことだろう。当然覚悟の上で女房の許可もとってあった。これが無かったら、全く英語など聞き取ることも話すことも出来なかっただろうし、海外の企業と共同開発などできなかっただろう。それでも、実際彼らからみれば赤子が片言でしゃべっているようなものだから、現地に暮らさずに、会話は難しいことだ。

そんなわけで、目標を達成するためには、あらゆる仕組みを変える、出来ない理由は一切排除した。たとえ不倫と言われても。

この本が無ければ今は無いだろう、時々そうおもう。おそらく神様が私にくれたプレゼントだった。人間どこかで、そんなきっかけが、必要なのだろう。

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2008年6月19日 (木)

クレーム

写真を守るために、写真保管専用のdiscを用意したのがhotalbumだが結構苦情が多い。

大切な思い出を守るためには品質が確実に保証された太陽誘電製のDISCが必要と判断し苦労して専用生産をお願いしたものである。推奨DISCを使って下さいという程度のぬるいお願いでは、誰もこれを購入して使ってくれるとは限らない。

専用のCD-Rとして規格内でメーカーコードを新たに設定しスタンパーで刻印しても、ドライブが読まないという問題もあり、お客様は折角NETで専用HOPTALBUMを購入し、いざ使おうとしてPCに挿したら専用DISCではありません、専用discを挿入してくださいという指示が出てしまいクレームになる。

殆どが東芝のドライブで起こる問題のようだ。この東芝ドライブでHOTALBUM ディスクが書き込めない、ディスクを認識しないという問題が多発している。

調べてみたら東芝のドライブはいろいろなパソコンメーカーにOEM供給され、搭載したパソコンがいくつかあるようだ。東芝のパソコンだけではない問題のようで厄介だ。そして東芝のホームページにこの障害事故の告知が乗っている。
http://www.tsstorage.com/info/5002_6012j.html
http://www.tsstorage.com/info/1202j.html

お客様から問い合わせの多いこれらの問題をホームページの良くある質問に、すべてまとめて更新し掲載してみたので参考にして欲しい。 

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2008年6月18日 (水)

やはり、写真はいいな-

先週、音楽家で宗教家でもある先生に、HOTALBUMを使って、月末の講演で使われる写真を先生が作曲したピアノ曲をBGMに使ってスライドショ-にして差し上げた。

其の講演会の世話役の方から先生がブログで非常に喜んで感動されていましたよとメールで伝えてきてくれた。

この先生ご自分の自宅の教会を使われて音楽教室を開き、多くの子どもたちの育成に取り組んでおられる。1年生の小さな子どもたちと大きな紙に書いた音符を使ってのお勉強からはじめ、5年目で全国大会参加にまでこぎつけた活動史を紹介した写真ですが、子どもたちが音楽を通じ成長していく姿と、応援団の家族も一緒の手作りの活動が手に取るように分かる内容でほほえましいものでした。

実は私どものHOTALBUMは、主婦やシニアなどパソコンスキルが無くても使えることを特徴とし国民的なアルバムをめざしていることもあって、誰でも簡単にBGMつきのDVD-Videoが編集できるが、スライドショーはそれほど凝ったものではなく、きわめてシンプルで一切の修飾効果もありません。一枚一枚の写真に、短い一言をキャプションとして白抜き文字で入れただけのものでした。

先生が初めてこのスライドショーをDVDでTVでみられて、ものすごく感動していただいたとすれば、それは作品の出来ではなく、おそらくこの間の子どもたちとの苦闘の一コマ一コマが思い出され、子どもたちが良くここまで成長してくれた、という思いでジーンとされ感動してしまったものとおもわれます。

写真はいいな。。と思います。一枚一枚の思い出のシーンの後ろに多くの方の思いや愛がある。

動画のようにすべてを画像で表現し修飾してしまうと思い出に浸る”情”の部分のゆとりが損なわれるかもしれない。

記録をストーリーにまとめ、データとあわせてスライドショーでも保存できるこのアルバムはやはり人々に感動を与えることが出来そうだ。

勇気をまたこの先生からいただいた、やはり写真を大切にしていこうと思う。

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2008年6月17日 (火)

写真も企業もMigration次第

アナログ時代の100年プリントは、カプラーという色素のもとになる化合物の分子構造を工夫し、プリントの保存における耐久性を飛躍的に向上させ、プリントそのままの保存性で実現した。

デジタルでは写真データを100年後に遺すことは基本的に難しい。あらゆるシステムは進化し、100年後どころか30年でソフトもハードも手に入らなくなる。パソコンもメモリーカードも寿命は10数年、パソコンがクラッシュしたり、メモリーカードの形状も大きく変わり、使えなくなる。パソコンもメモリーも持ち主がいなくなれば、家族であっても、いちいちファイルを開けて写真を探し出してまで、遺そうとは思わない。

CD-RやDVD-Rも一部海外ブランドのものは全く寿命が無いものが売られているなどと報道され危険もあるが、たとえ100年の寿命があったとしても、100年後にはドライブが存在しないかも知れないから単に媒体の寿命が長いだけでは意味が無い。

デジタルのあらゆる進化を邪魔せず、進化に遅れずに、100年後にも誰もが昔の写真を鑑賞できるようにするには、データのMigration(マイグレーションといい渡り鳥の移動とか、PC関連ではデータ移動、とかデータ移住を意味する。)しかない。いかに簡単に誰でもこのMigrationが行えるアルバムを作るかがデジカメ100年アルバム成功のキーと思っている。

HOTALBUMは保存耐久性が世界一の日本製の太陽誘電の専用生産DISCを使い、30年を1世代として3回migration「書き換え」することで100年遺すシステムを提唱しているが、おそらくこの方策しか安心保管のシステムとしては無いだろうと確信している。

100年とは赤ちゃんが生まれ成長し、結婚して子どもが生まれ、其の子どもに赤ちゃん「孫」が生まれて成長し、幸せなおじいちゃん矢おばあちゃんになるまでが写真が有効に鑑賞される3世代であり、この間は思い出が大切に保管され、いつでも見れるようしておかなければならないと思っている。

写真を永久に保管し社会共通で利用できるように、富士フィルムやコダックの協力を得て策定したのが業界規格”Everplay standardだ。この規格では、写真をアルバム単位で一括保管でき、写真や写真につけたメタデータ「付帯シーン情報などXMLデータ」をそのまま欠落せずMigration(継承)したり、メタデータの業界互換性が実現できるのが特徴だ。世間のシステムが変わっても昔のままの写真が鑑賞できるよう継承される。

企業もその理念が正しく継承,(Migration)されなければ其の姿は大きく変わってしまい、寿命を迎えることになる。

私の場合も、赤ちゃんの写真を成長後の30年後にもきちんと遺せるようなシステムの普及を願い、パソコンスキルに乏しい主婦やシニアや育児ママなど、誰でも簡単に使え、安心保管し、Migrationできることで100年後にも楽しく鑑賞できるアルバムを実現し、写真文化を発展させ、お世話になった業界へ恩返ししたいという、起業の大義がある。

初心を忘れない事業の継承、Migrationが行われるよう心がけないと起業の目的が一瞬で消えてしまう危険もある。儲けに走ったり、顧客優先を忘れ、事業内容まで簡単に変わってしまうような継承が無い様、小さくても企業の”EVERPLAY”についても考えておきたいと思っている。

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2008年6月10日 (火)

大義ある起業を

昨日、久しぶりに写真店のミニラボ(プリント)機器のサポートサービス大手K社長と会食した。小星さんは定年後も写真文化を護りたいといって写真業界のために苦労し、努力されている。写真の業界に長くお世話になったOBや、名を残したOBの多くが、そうしてくれれば写真業界はもっと活性化するのだが、なかなか皆さんお金が目的のようで、全く違う仕事をやっていますよ。老後は違う生き方をしたいね、と嘆いていた。

アナログ時代の長くを写真業界で過ごし、当たり前だと思って精力をかけ、大事にしてきた各社互換性(世界のどこで,買っても、どこのお店に出しても共通で使え、同じプリントが仕上がる、フィルム、カメラ、現像処理、の各社共通性)だが、デジタル時代には、この互換性は完全に崩れてしまった。メモリーカードはバラバラ、保管の方法、アルバムもバラバラだから写真を撮った本人以外は家族であってもパソコンから勝手に写真を取り出し、観ることもプリントに持ち出すことも自由には出来ない。パソコンやメモリーカードでは写真は数年で探せなくなり、ウイルスやクラッシュで寿命も短く、長くは遺せなくなってしまった。

アナログ時代は、写真を撮れば家のどこかにプリントやネガがあり、たいていはアルバムに貼ってあったから、赤ちゃんが成長して結婚するとき、子供のころの写真を探して2人の思い出ビデオ、紹介ビデオを作ることが出来たし、100年後にも遺せるという信頼もあった。

今後30年後はどうなるだろう?と思ったとき、デジタル家電の仕組みの本質は、如何に売り切り、次は其のシステムをそのまま使えないよう進化させ、次のシステムに買い換えてもらうという企業活動に他ならないと気がついた。

CD-RやDVD-Rに保管してもブランドによっては写真は直ぐ消えてしまうという2月9日の朝日新聞夕刊記事や5月6日のNHKニュース9の特集でも、写真の価値は10年後、20年後だから、今消えるといわれても、消費者はあまり驚かない。

私の起業動機は、デジタル時代の写真のお客様が将来困らないよう、正しい写真の保管方法を啓蒙し普及させたいというものだった。写真が携帯で撮って、携帯で観て終わりとなってしまったら、写真文化はきっと衰退してしまう、プリントとあわせデーターもきちんとアルバムとして遺せるようしておこう。其の普及に最後の命を賭けてみよう、写真のお客様への恩返しのつもりだった。

コニカミノルタが、あっさり写真事業を捨ててしまったことにたいする、お客様への申し訳なさ、贖罪の気持ちもあったが、コニカ時代に開発した技術で、写真と写真文化を護れたら、データーが取り出し易く、プリントしやすい保管、TVでも鑑賞できる保管が普及できたら、30年後にこの保管をしておいてよかったとお客様から感謝されれば、きっと恩返しになる、という気持ちだった。

起業は、若かろうが、中年であろうが、自分がもっとも大切にしている事を実現するためにして欲しい。バブル前ならビジネスモデルをアイデアひとつで探し出し、起業し急成長させ、一攫千金を狙うこともあっただろうが、結果的にお金や成功が目的なら、株や資源投資でもやったほうが良いかも知れない。

そういう意味で、起業は夢や大義の実現であって欲しい。自分の命を燃やすに値する、Whatを明確にして、これをはずさず、創造性を発揮して、困難を乗り切り目的を達成する喜びを求められたらとおもう。お金を求めたら手段は何でも良くなりHOWとなってしまう。この差は実はとてつもなく大きい。

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2008年6月 7日 (土)

スキルアップ

企業は人なりと社内教育に力を注ぐ会社が多いが、社内教育だけで人が育ったためしは無い。セミナーや教育に参加直後は熱く燃えて大きく変わって帰ってくるが、1週間か、2週間ですっかり忘れ元に戻ってしまう。社内教育でも本人は大きく変われるのだが、職場の者は全く変わってないし、さめているから、そのぬるい環境に、戻されてしまうのは当たり前だ。新入社員に挨拶や電話のかけ方などマナー教育しても、戻った職場のマナーが乱れていれば其のレベルに直ぐそろってしまうのと同じだ。

職場に高い理想や理念があり、常に高いアウトプットを求められる緊張がなければ、幾ら教育しても鍛えられないし身につかない。これが職場の風土というもので、風土はTOPの姿を写した鏡だから、TOPが自ら変えなければなかなか難しい。

しかし、起業家をめざすような方は、職場レベルに合わせていたのでは力はつかない、自ら風土に染まらず、風土を少しずつでも変えていく力が無ければ、独立しても無駄だろう。

起業して成功する方は、サラリーマンや学生時代から、この力を持っているようだ、自ら作った目標に向かって環境を変え自主的に工夫をする。

スキルやレベルアップも社内教育に頼らず、自主的で無ければ、身につかない。モシぬるい職場なら自分が其の職場のTOPでなくても職場の風土を自ら変えていく、努力や、工夫を続けることでスキルが身につく、出来るだけ参加費が高い、外部のセミナーや講演会にーテイなどに参加することだ、この気概が無ければ、独立してもおそらく難しい。

会社にクリエイテイブ休暇と言うのがあった。勤続10年とか20年になると2週間休暇がもらえ、20万円の休暇費用もくれた。たいていは海外旅行や家族サービスに使う。

私は、妻や小さな子供に、これは自分のリフレッシュのために使わせて欲しいと断って”英語で13日間を地獄の特訓”と言う、富士山の麓にある研修センターに28万円だったと思うが自費を追加して参加したことがある。

当時、地獄の特訓は生徒は、皆泣かされると言う有名なものだったから、地獄で先生を泣かせてみたいという怖いものみたさの、興味本位の気持ちと、英語漬けの13日間で少しは会話が出来る力がつくなら、これ以上の有効なクリエィブ休暇はないと言う気持ちだったと思う。私を除く全員が会社から派遣された社内教育だった。

毎日皆さん夜は、会社に英語の報告書を数ページ書かされるのだが、私だけは会社から来ているわけではないから報告する相手がいない。免除されるかと思ったら、毎日数ページの手紙は妻宛に書かなければならず,書く内容に困ったことを思い出す。この地獄の特訓への自費参加は非常に有効だった。いろいろな意味で大きく成長できた休暇の使い方だった思っている。

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2008年6月 1日 (日)

仕事は誰のためにやる?

創造性についていろいろ書いてきたが、一言で言えばお客様のための自主的な作業であり、ノルマ的な作業や強制的な組織からは創造性は生まれないと思う。幾ら開放的な組織がいいといっても放任ではもっと最悪だ。もっともいいのは、高い目標と納期を互いに納得した上で設定し、達成する方法は本人に任せることである。任せるとは言っても達成できる仕組みが見えるまで、納得できる仕組みを考え尽くすまでNOを言い続け、妥協せず、納得できる仕組みが創出できたら具体的な手法や手段は自主性に任せ仕上げを待つべきだろう。

単に職場の評価を高めるための目標であったり、手段まで指示され、ノルマを課されると、自主性が無くなり、創造性は発揮されないから、目標も達成できず、本人もやりがいは無い。大義や夢を語り、方向を明確にした上での高い目標なら、やり方は自主性に任されたら、幾ら高い目標でも、しらけることは無い。特に目標達成が会社や上司のためではなく、本人がやりがいを感じるためには、任せ、考えさせることだ。自主性と成長を感じてもらえるかどうかが、創造的な仕事をしてもらうために重要だろう。

私はよく、棺おけに足を突っ込むとき、ああ、いい人生だったなーとつくづく自分が思える様な仕事をしようよ。会社のためなどと、考えたらチョットの給料の差でも、愚痴になったりやけになったりする。そんな他人の評価を気にせず、自分が自分を評価できるよう、自分が褒められる様な仕事をしようよ。お客様のためになったなーと、最後はそれしかない。と皆にいっていた。

往々にして経験が深い自信ありげの上司は手段まで指示してしまい、手足として成果をあげさせようとする。この場合失敗し手も本人は自分の責任とは思わないし、成功してもそれほどうれしくないから、いずれの場合でも成長を感じられず、創造的な仕事にはならない。

だから管理組織では創造性は出ない。フラットな組織で、目標で管理するのがよいと思う。

会社のトップがある方針を出し、部門長が部長を集めてこれを伝え、部長が課長を集めて報告し、課長が係長を集め、係長が部下に指示するようなピラミッド組織が全盛の時があった、そんな時代でも私は常に全員に同時に語りかけてきた。古い管理組織では、実際の仕事の8割は社内管理のための作業となり、お客様のための仕事は2割程度となってしまう。末端社員だけが仕事と呼ばれる作業や開発をしていることになり、殆どは報告を受け、指示を伝えるだけの管理作業となってしまう。日本の古い企業の多くがこういう無駄なピラミッド形式をとってきた。

管理ほど楽な仕事は無いから、これを取り除かれると何をやったらいいか管理職ほど分から無くなり、結構しんどいもので、上程苦しい仕事になるはずだ。

冒頭の、目標を高くして、其の目標を達成する仕組みを、部長は部長なりに自分の領域で創造的に考え、課長は課長なりの高い目標を達成する創造的な仕組みを考え出し、お客様を裏切らないよう、毎年新たな組織の仕組みをダイナミックに革新していけるような組織になれば、下から上まで、自主的で創造的な仕事を通じ、生きがいある組織となり、お客様のために、自分の命を自主的に燃やせるはずだ。

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